Tsubasaの部屋
音楽と代官山と。。。社長であり、作曲家である山根翼の代官山生活日記
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2005/07/01(金) LA salsa Piano日記 出発
 サルサのダンサーであるMiwaさんから4月にSalsaの曲を頼まれたことがきっかけであのLA CongressのステージでMIWAさんと2004年グラミー賞受賞のグループであるSpanish Harlem Orchestraのメンバーと一緒に「ウステ アブソ」演奏してきました!
ソロのところで聞こえたすごい歓声が忘れられません!
 話しが長くなりそうですので少しづつ時間を追って書いていきますね。
 このミュージックセミナーに参加させて頂いてその際たくさんの協力を頂きましたGeorge WatabeさんMiwaさん新居田さんそしてアルバートさんSpanish Harlem Orchestraのメンバーにこの場をおかりして心からお礼を言いたいと思います。
本当にありがとうございました。LA Congress万歳!

                         出発
 成田エクスプレスに乗って景色が流れてゆくにしたがって、行く前までのあわただしい締め切りの波を乗り越えて気持ちは一人のMusicianに戻っていた。
空港のロビーで待ち合わせてそしてMiwaちゃんのすがすがしい笑顔をみたとたんにめまぐるしかった日々全てのことを忘れてしまった。
このところ東京の生活は何年ぶりかのひどい風邪のせいで仕事ができなくなったりしてスケジュールはめちゃくちゃになった。風邪で一週間苦しんで特に前日は頬から頭から身体の左側半分が激痛で起きていることさえできなくなり出発日夜中の3時までは苦しくて何もできない状態だった。しょうがないので知り合いの鍼灸師の人にきてもらい応急処置をしてもらった。
実は行くことさえ危ぶまれていた。でも行くまでに絶対治すと心に誓った。
あと4時間で私は絶対治る。
 そして朝7時。治った!
行く前に私のマネージャーの松田ちゃんが来てくれて
「楽しんできてくださいね」
 そして「行ってきま〜す!」
どうしてこんなことになったのかというと、SalsaダンサーであるMiwaさんが自分のパフォーマンスのステージで歌って踊りたいから私にSalsaの曲を作ってほしいと依頼されたのがきっかけだ。
Miwaちゃんとは主人を通して知り合い私達の結婚式でFirst danceをSalsaで踊りたいと思って
MiwaちゃんにDance のBlash upをお願いしたことがきっかけで仲良くなった。
私はSalsaは趣味で踊っていただけなので自分がSalsaを演奏したり、作ったりするつもりは
なかった。仕事ではR&Bのを中心に作曲活動ををしている。
私にSalsaの曲をお願いしたいとMiwaちゃんが行った時、「Salsaは専門の人に頼んだほうがいいよ。ラテンは深いし、なんっちゃってではできないよ。」という私に
「翼ちゃん一緒にLAに行ってSalsa勉強してSalsaを作ってほしいの。翼ちゃんのPopなメロディーとR&BとLatinが融合したような曲になってくれれば。。講師は2004年グラミー賞受賞者だよ。」
と彼女と彼女のマネージャーが言ってくれたのがことのはじまりだった。
それなら話がわかる!という話の流れの中私はもう、飛行機に乗っていた。
飛行機の中でMiwaちゃんの持っていた瞑想のテープを二人で聴いた。
瞑想の中で感じた今回のテーマは何故かブラジルだった。
Miwaちゃんと私は第六感といわれる感覚を大事にしている。
そのことについては二人がはじめて二人だけで会った日に、私の車が駐車違反で赤坂警察に持っていかれるのも気づかないほど夢中でしゃべったこともあった。
そして何かうまくいくときにはSYNCHRONICITYが働くことを信じている。


今回LAに来た目的はMIWAちゃんから急に頼まれたサルサの曲づくりのためでもるけれど私の人生の転機にもなる大きなステップでもあった。私は現在作曲の仕事をしていてピアノもラテンは弾いたことはなかった。
でもこれを機にラテンが私の中に入り込むことになったのだ。ピアノは普段レコーディングで弾く、たまにライブで弾くというかんじで弾いている。しかしサルサのピアノは弾いたことがない。いくらなんでも何も練習しないでLAに行くわけにはいかないので東京でのあのめちゃくちゃなハードスケジュールの最後の一週間の中でサルサインストラクターの友人やラテンのDJに頼んでたくさんの曲を集めて聴けるだけ聴いた。何せ私はサルサは好きで踊っていただけだったのでサルサ音楽に真剣に取り組んだことがなかったのだ。それをたったの3日間でプロのラテンピアニストの領域まで持っていくことになるのだ。


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