Tsubasaの部屋
音楽と代官山と。。。社長であり、作曲家である山根翼の代官山生活日記
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2005/07/07(木) スタジオのVersion Up完了!
皆様に心配やらいろいろおかけしました機材のSet UPついに終了しました。やるぞお〜!ほぼ一ヶ月もかかったのはいろいろ買ったものが壊れていたりというトラブルが続いたからです。
 やっとあんなにも望んだソフトシンセの環境が整いました。
音すごくよくて使いやすくてびっくりです。
今日からがんばるぞお!


 

2005/07/05(火) LA salsa Piano日記 Last Stage!! Vol1
            4日目

 朝起きると昨日から私達の新しい同居人の佳代ちゃんが加わり、三人で朝ごはんを食べた。
起きたばかりの私の顔を見てMiwaちゃんはまたもや笑って、 「ねえ、ねえ翼ちゃんグリとグラって絵本知ってる?」「知ってるよ。似てるっていいたいんでしょう?私いつも言われるもん。何が一体似てるの?」「全体的にかもし出す雰囲気!」「うっ。。。。。。。」
私とミワちゃんがそんな会話をしているうちに佳代ちゃんはなんと大根ワカメサラダをさっと作ってよかったらどうぞなんていって出してくれた。
 彼女もやはりエネルギッシュで芯の強い素敵な女性だ。彼女はサバンナで明日パフォーマンスするためにやってきた。彼女のお陰で私達は緊張なはずの朝もリラックスした雰囲気を持つことができた。ありがとう!佳代ちゃん!
4日目は朝からバンドリハーサルだった。
 リハーサルの用意がされているはずの部屋には何も楽器がなくミュージシャン達が手持ちぶさたにただ待っていた。
 ピアニストの友人がみんなにとクロワッサンを持ってきてくれたのを食べているとフランキーとレイ デ ラ パスが話しかけてきてくれた。音楽はかかっていなかったけど少しサルサを踊ってみたり写真を撮ったりしてリハーサルの準備を待った。
 そして別の部屋にリハーサルの準備が出来てみんなで移動した。
そして一曲ずつリハーサルをしていった。Miwaちゃんはまだソロを歌えるかどうかわかっていない。歌がいいかどうかの判断の前に歌わせてもらうチャンスさえもらえないMiwaちゃんとVocalコースの人たちのためにMiwaちゃんは昨日Oscarに直談判した。そしてOscar は必ず歌うチャンスを作るからと約束した。
 そして私の番もきた。みわちゃんもその中で歌った。きれいな声だ。。。。
ピアノに座って弾き始めると身体の中に音楽が染み渡っていった。
 バンドの音がひとつになってゆく。。。。
 Oscarをはじめ、バンドの人たち、クラスメイトが拍手をくれた。素直に嬉しかった。
そしてMiwaちゃんからの報告が入った。一緒の舞台に立てると!
やった〜!本番は思いっきり楽しむぞ〜!
 リハーサルは3時に終わった。このミュージックセミナーにはLコングレスに協力したり、出演したりするいろんな有名な人たちがリハーサルを見に来ていた。
そして演奏の後でそれぞれ声をかけてきてくれるので有名なサルサ界の方とも話すことができて
楽しかった。
今日で最後なのでピアノコースの友人でオスカーに何かプレゼントしようということになった。花束は?と私が言うと全員賛成でみんなでカードも買いに行った。
 そしてそこで一度解散した。
何をしていたわけでもないのになんだかうろうろしている間にもう6時だった。
黒いステージ用のドレスに着替えてメイクをした。
 そしてクラスメイトと待ち合わせていたのでみわちゃんとロビーに行った。
 そしてサルサランドに到着した。かなりの勢いで寒い!
 みわちゃんはなんだか必死でCDを聴いているので話しかけないようにする。
 東京のサルサクラブで見かける顔に出会った。みわちゃんが私を紹介してくれると、みんな
「応援してます〜」と笑顔で声をかけてくれた。
 そしていよいよステージにアルバートが上がり、MCがはじまった。

2005/07/04(月) LA salsa Piano日記 3日
             3日目
 3日目も10時からlessonである。
朝またMiwaちゃんと早く行って練習をした。
Miwa ちゃんと「ウステアブソ」を合わせてみた。
「Miwaちゃん、声が戦いになってるよ。音楽だから競争じゃないし、もっとこの曲の詞のこと
考えて歌ってみたらどうかな?」理解した途端彼女の声は全くすばらしい段階へと飛躍した。
これは絶対一緒に演奏できる!私には確信があった。

 そしてOscarが到着してLessonnが始まった。
今日はみんなと少し話しをしようとオスカーは言った。
「明日夜にコンサートがあるけれど、曲は五曲しかない。
どうすればいいか実は悩んでいるんだ。
あの舞台では選ばれた人が弾くのだけれど、僕は少しでもみんなが弾くことができたら自信がついていいのにと思っているんだ。でも選ばなきゃならなくてつらいんだ。」
リックは僕は全てさらえてないしうまくないから僕のことは気にしないでと言う。
Vashtiはソロとソロじゃない部分で分けて弾いたらどうかな?と言った。
 そのオスカーの精神にみんな感動してその話し合いとともにさらに仲間意識は素晴らしいものになった。
それぞれどの曲を弾きたいのかまずは質問をした。
そして弾きたい曲をひとりづつ弾いていった。
「Tsubasa この曲やってきた?」私の弾きたかった曲「「ウステ アブソ」だ。
「はい、もちろん」
「いいね、楽しみだなあ」と彼は言ってくれた。
 一回CDと合わせて弾いた後、オスカーがベースを弾いて私がピアノを弾いた。
そして弾き終わったら「Outstanding!」と言って大きな拍手をくれたのだ。
聴いていた仲間達も大きな拍手をくれた。「やった!Yeah!」
そしてまた昼食だ。階下のレストランでまた食事になった。
ピアノのクラスの仲間といっしょにランチを同じレストランで食べた。
それぞれのバックグラウンドを話ながら楽しいランチタイムは過ぎていった。

 そして昼食後はいよいよバンドでのセッションだった。その中でVashtiと二人でかわるがわるソロをとった後、オスカーは親指を上にあげてうなずいてJimmy Boschは二人のピアニストにもう一度拍手をといってくれた。
Vashti は弱冠26才女性でとても素晴らしいサルサピアノを弾く。後にデモテープを聴いたが
素晴らしかった!

 私が弾きはじめた途端VocalのWillieがそばに来てくれて、「君の演奏すっごく気に入ったよ」と声をかけてくれた。Jimmy Boschもそばに来て拍手をくれた。Jimmy Boschは「全てのピアノのタイミングがはまっていて気持ちよかったよ。」という言葉をくれた。
同じピアノのセミナー仲間のOtisは全米でたったひとつの公立のサルサの高校の先生をやっている彼は私の演奏を細かいところまで表現できていたと言ってくれた。彼はグラミー賞をとったノラ ジョーンズの母校の音楽先生でもあり、彼の生徒達は来る6月にNYのタイムズスクエアガーデンで偶然にもSpanish Harlem Orchestraの前座で演奏することになっている。
彼は私の譜面を生徒達のためにコピーさせてほしいと言ってコピーをとっていった。
レイ デラ パスとバイオリンのアルフレッドもセッション後に「よかったよ、Tsubasa」
と声をかけてくれた。
 そしてオスカーは私の演奏が終わった後、「君は明日のステージで弾いてもらうからね」と言ってくれた。明日舞台に立てる!Miwaちゃん決まったよ〜!
このアットホームな雰囲気も手伝ってリラックスして演奏できたのだとも思う。ほんとにこのセミナーは素晴らしいミュージシャンと一緒に音楽を分かち合うことができてすごいし私は運がよかったと思う。としかいいようがない!
 このセッションでヴォーカルクラスのMiwaちゃんと一緒に演奏できるのかなと思って楽しみにしていたのだが、フェアではないことが起きていたらしくその日一緒に歌うことができなかった。すごく残念だった。
 その後Miwaちゃんと会ったらMiwaちゃんや多くの参加者が歌うチャンスさえもらえないない状況になっていた。「これはフェアーじゃないから私Oscarと話する。」と言っている矢先にoscarが少し手持ち無沙汰に歩いてきて「どうした?Miwaは元気でやってる?」とOscarから尋ねてきた。そのままMiwaちゃんにはOscarと話し合うチャンスが訪れ、Oscarの配慮で歌うチャンスは翌日みんな平等に訪れることになる。
 その夜はサルサコングレスの前夜祭なので有名なバンドがいくつも出演するのでMiwaちゃんとピアノのクラスメイトみんなで見に行った。朝3時近くまでバンドを聴いた。バンドも仲間もミュージシャン達も本当に最高だった。
Miwaちゃん、いよいよ明日だね。でも私彼女と合わせてみて彼女以上にこの曲を心を込めて歌える人がいるとは思えなかった.
必ず一緒に演奏できることに何の疑いも持っていなかった。
そして明日はいよいよ本番。

続く
 写真は左からDan,Ray De La Paz,私、Willie Torres、Vashiti

2005/07/03(日) LA salsa Piano日記 2日
              2日目

 朝10時からレッスンがある。9時の起こしてねとMIwaちゃんに頼んでおいたので「9時だよ〜。翼ちゃん」と起こしてくれた。
「私の時計だと1時間早いんだけど。。。何か間違ってない〜?」
起きた途端に私の顔を見て彼女が笑った。
「目が真っ赤だよ〜。時計はあってるよ。さあ、早く起きて!」
急いで準備してレッスン室に着いたがまだ空いていない。
もしかして、、、1時間早かった。何故か部屋の時計が1時間進んでいたのだ。
部屋を開けてもらってミワちゃんと一緒に何曲か合わせてみた。いい感じになりそうだった。
 そして10時近くになるとクラスメイト達が現れてレッスンが始まった。
昼からはアンサンブルの授業なので変わりがわりに弾いていった。
Vashtiから弾いていった。「素晴らしい!僕が初めて弾いた時もこんなには弾けなかったよ」とオスカーは言った。
 私の順番が来た。弾く前に私の譜面を見て「何だこれは〜?」とびっくりするオスカー。
しっかりCDからピアノのパートを全部コピーしていったのだ。
昨日から今までかかってずっと耳コピーっしてたんだよという冗談を私のかわりにオスカーが返した。
私はラテンの経験がないのでとりあえず、自由にMontunoが弾けるようになるまでコピーしようと思った。というとオスカーはこの勉強方法は確実にうまくなる一つの方法だといった。日本人の中に時々そういうことをやってのける人達が中にいる。
オルケスタデラルスのホーンセクションの譜面を見てそれが全て音を耳でコピーしてあったのをみてびっくりしたことがあったとオスカーは言った。これは確実にうまくなる方法の一つだからみんなも試してみてほしいとオスカーは言った。
五曲コピーしたので今まで聴いていたのと合わせて一日で雰囲気はつかめていた。
 そしていよいよ昼からはBand Sessionだ。

その前に一時間のランチタイムになった
もしかしてTsubasaは絶対音感があるでしょう!とNitaが言った。
 「そうよ。何でわかるの?」ときく私に「弾く音がクリアだからわかるの」と彼女が言う。
Nitaは作曲家で有名な人のもとでLAで作曲活動をしている。
クラスメイトが私をチェックしにかかる。「この音は何?、これは?これは?」とおもしろがって私にいろんな音をあてさせた。。
 ピアノコースの仲間達はオスカーのリーダーシップのお陰ですでに仲良くなった。
ランチもホテルのレストランでクラスのみんなで食べた。オスカーも一緒だった。
私は普段はほとんどベジタリアンなので少し火であぶったマグロがのっている野菜サラダをたのんだ。偶然レストランで会った渡部ジョージさんに会った。
渡部さんはとても忙しそうなのに私やMiwaちゃんのことを気にしてくれていて嬉しかった。
 このセミナーではそれぞれバックグランドや人種は違うけど共通の目的を持って頑張っている仲間で過ごす時間は人生で初めて過ごすちょっとした留学のような貴重な時間でもあった。
 そして昼食が終わり、いよいよバンドセッションの時間になった。
一同が大きな部屋に集まって一曲ずつ弾いていく。
ピアノは二台あった。なるべく多くのセッションに参加できるようにとのオスカーの配慮だ。
Spanish Harlem Orchestraのメンバーも加わりすごくグルーブのある演奏になった。
そしてちょっとした休憩になってもすぐにセッションがはじまった。
もりあがったのなんのって、それはもう素晴らしかった。
 セミナーが終わった後も練習があるのでまた私とミワちゃんは軽い夕食を共にした。
本番は絶対一緒だから大丈夫とお互いを励ましあいながら。
そして夜、また明日のための曲をさらった。
続く

2005/07/02(土) LA salsa Piano日記 初日
初日

初日はまずアルバートの挨拶、そしてグラミー賞を受賞したグループであるSpanish Harlem OrchestraのリーダーであるOscarの挨拶から始まった。
そしてひとりひとりの自己紹介もし、いよいよパートごとに分けられた。

 私はピアノクラスなので講師はなんとOscarである。
ピアノのクラス初日は7人だった。メンバーはダン、ヴァシティ、トニー、リック、ニータ、リサ、私である。そして翌日からはJoel,Otisが加わることになる。
Spanish Harlem Orchestraのことを話してくれた。Spanish Harlem Orchestraはメジャーの大きなレコード会社も入っていなくてインディーズなので「It’s kind of sweet」とはにかむような表情でオスカーは言った。
はじめに音楽の経験をひとりひとり話した。
それからバックグラウンドの違うメンバーが集まっているのでさまざまなサルサへの質問がとびかった。中には多少答えずらい質問もあってオスカーはこう説明した。
 「僕は普段先生として本を書いたり研究したりしているわけではないのでそのような質問に答えられないかもしれないけれど私が長年演奏した経験を通して感じたり学んだりしたことを伝えるよ。」
 そしていよいよ課題曲が配られる。曲は5曲。譜面が配られてみんなで一緒に聴いた。
最後の日にステージで選ばれた人が演奏することになっているのでみんなどれか好きな曲を選んで1曲でも2曲でも弾いてくるようにということだった。
そして5曲目、何故かオスカーの譜面が見あたらなかったので私の譜面をオスカーのところに持っていきとなりでその曲を聴いた。
 5番目に聴いた曲「ウステアブソ」はメロディーとコードチェンジがきれいで鳥肌がたつくらいきれいな曲だった。途端に私はこの曲にしようと決めた。そしてこの曲はブラジルの曲をサルサにアレンジしたものだとオスカーは言った。飛行機で感じたキーワードは何故かブラジル、これで合点がいった。

そしていよいよはじめてのサルサのピアノの練習に入った。
いくつかの練習の課題があってフレーズを初見で見て弾く。今度はコードチェンジをして弾く。
そしてクラ−べの2ー3、や3ー2についての取り方の説明があった。変わるがわるにピアノを弾いていった。サルサの構成やコードチェンジやMONTUNOについてひとしきりの説明と質問がありその日のレッスンは終わった。
明日までにさらう曲はなんと五曲。そして帰ったらすぐ練習だと思いきやピアノがない。
せっかくの夜のパーティーのお誘いもあって行きたかったが、これは勉強しないとだめだと思い、Miwaちゃんと部屋で曲をそれぞれCDでさらった。
私はもう曲を「ウステアブソ」に決めていたし、Miwaちゃんにもこの曲がぴったり合うと思ったのでこの曲で二人で最後の日にステージに立とうねと誓いあった。.
そして夜ごはんを食べる時間さえ惜しんで二人それぞれ曲をさらった。

続く

2005/07/01(金) LA salsa Piano日記 出発
 サルサのダンサーであるMiwaさんから4月にSalsaの曲を頼まれたことがきっかけであのLA CongressのステージでMIWAさんと2004年グラミー賞受賞のグループであるSpanish Harlem Orchestraのメンバーと一緒に「ウステ アブソ」演奏してきました!
ソロのところで聞こえたすごい歓声が忘れられません!
 話しが長くなりそうですので少しづつ時間を追って書いていきますね。
 このミュージックセミナーに参加させて頂いてその際たくさんの協力を頂きましたGeorge WatabeさんMiwaさん新居田さんそしてアルバートさんSpanish Harlem Orchestraのメンバーにこの場をおかりして心からお礼を言いたいと思います。
本当にありがとうございました。LA Congress万歳!

                         出発
 成田エクスプレスに乗って景色が流れてゆくにしたがって、行く前までのあわただしい締め切りの波を乗り越えて気持ちは一人のMusicianに戻っていた。
空港のロビーで待ち合わせてそしてMiwaちゃんのすがすがしい笑顔をみたとたんにめまぐるしかった日々全てのことを忘れてしまった。
このところ東京の生活は何年ぶりかのひどい風邪のせいで仕事ができなくなったりしてスケジュールはめちゃくちゃになった。風邪で一週間苦しんで特に前日は頬から頭から身体の左側半分が激痛で起きていることさえできなくなり出発日夜中の3時までは苦しくて何もできない状態だった。しょうがないので知り合いの鍼灸師の人にきてもらい応急処置をしてもらった。
実は行くことさえ危ぶまれていた。でも行くまでに絶対治すと心に誓った。
あと4時間で私は絶対治る。
 そして朝7時。治った!
行く前に私のマネージャーの松田ちゃんが来てくれて
「楽しんできてくださいね」
 そして「行ってきま〜す!」
どうしてこんなことになったのかというと、SalsaダンサーであるMiwaさんが自分のパフォーマンスのステージで歌って踊りたいから私にSalsaの曲を作ってほしいと依頼されたのがきっかけだ。
Miwaちゃんとは主人を通して知り合い私達の結婚式でFirst danceをSalsaで踊りたいと思って
MiwaちゃんにDance のBlash upをお願いしたことがきっかけで仲良くなった。
私はSalsaは趣味で踊っていただけなので自分がSalsaを演奏したり、作ったりするつもりは
なかった。仕事ではR&Bのを中心に作曲活動ををしている。
私にSalsaの曲をお願いしたいとMiwaちゃんが行った時、「Salsaは専門の人に頼んだほうがいいよ。ラテンは深いし、なんっちゃってではできないよ。」という私に
「翼ちゃん一緒にLAに行ってSalsa勉強してSalsaを作ってほしいの。翼ちゃんのPopなメロディーとR&BとLatinが融合したような曲になってくれれば。。講師は2004年グラミー賞受賞者だよ。」
と彼女と彼女のマネージャーが言ってくれたのがことのはじまりだった。
それなら話がわかる!という話の流れの中私はもう、飛行機に乗っていた。
飛行機の中でMiwaちゃんの持っていた瞑想のテープを二人で聴いた。
瞑想の中で感じた今回のテーマは何故かブラジルだった。
Miwaちゃんと私は第六感といわれる感覚を大事にしている。
そのことについては二人がはじめて二人だけで会った日に、私の車が駐車違反で赤坂警察に持っていかれるのも気づかないほど夢中でしゃべったこともあった。
そして何かうまくいくときにはSYNCHRONICITYが働くことを信じている。


今回LAに来た目的はMIWAちゃんから急に頼まれたサルサの曲づくりのためでもるけれど私の人生の転機にもなる大きなステップでもあった。私は現在作曲の仕事をしていてピアノもラテンは弾いたことはなかった。
でもこれを機にラテンが私の中に入り込むことになったのだ。ピアノは普段レコーディングで弾く、たまにライブで弾くというかんじで弾いている。しかしサルサのピアノは弾いたことがない。いくらなんでも何も練習しないでLAに行くわけにはいかないので東京でのあのめちゃくちゃなハードスケジュールの最後の一週間の中でサルサインストラクターの友人やラテンのDJに頼んでたくさんの曲を集めて聴けるだけ聴いた。何せ私はサルサは好きで踊っていただけだったのでサルサ音楽に真剣に取り組んだことがなかったのだ。それをたったの3日間でプロのラテンピアニストの領域まで持っていくことになるのだ。


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