Tsubasaの部屋
音楽と代官山と。。。社長であり、作曲家である山根翼の代官山生活日記
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2006/02/03(金) コートダジュール日記  行くまで編
 おお、よりにもよってパリに発つ日があの大雪の日だった。
成田で一日中待たされた上その日は欠航になった。
いくら天候のせいじゃないとしてももうちょっと対応の仕方があるのでは
という航空会社の対応の悪さに少しあきれ次の日にまた来ることにした。
 航空会社からかかってくるはずの電話がかかってこないので
その日用意されていたホテルに電話を入れたら明日は12時の便になったということだったので、その日は自宅に帰った。
 旦那さんが本当は仕事があったのに土曜日の午前中に発つはずだったので
成田まで送ってくれた。がしかし一日中つきあわせるはめになり、申し訳なかった。
本当は仕事があったみたいなのに。彼へのおみやげは何にしようかな。

 そして翌日、 昨日成田で同じ便になるはじだった日本人の音楽関係の会社の方2人と帰りに名刺交換した。FさんとYさんという方でDVDの販売をされる会社で今回は買い付けに行かれるそうだ。
朝一で一方の女性のYさんから彼女にも航空会社から電話がなかったのでもしやと思いといって電話をいただいた。もう一人のFさんが航空会社が用意したホテルに泊まっていらっしゃるので状況がわかったのでと連絡をいただいた。
私たちはホテルに帰るのがいやだったので自宅に帰ったのだ。
 時間通りに着いたが成田はみたこともない混雑ぶりっ!
こんなのお正月よりすごい!そして急いで行ったのにまた何時になるかわからないという。とり急ぎ出国をすませてしまってまた彼女達と合流した。
ただ立って何時になるかわからない飛行機を待つのもいやだったのでちょっと買い物に行くことにした。
 ドトールの前をすぎるとなんと40分待ちと書いてあった。え〜!
でもほかに食べたり飲んだりするのにいい店がないので待つことにした。
後ろにいた外人さんと少し話しをしたら彼らも昨日発つはずだったと言っていた。
でもそんなに急いでないし、東京見物できたからいいけどねという感じで笑っていた。ふ〜ん。そっかあ。
 そして30分以上待ったところでさっき合ったFさんとYさんに電話をし、
そろそろおなかすいている頃だろうと思い何がいいかをきいて、一緒に軽いランチにすることにした。
 思わぬところで道ずれができて嬉しかった。
気さくで楽しい方達だった。
 そしてそうこうしているうちに今日の便が先に出ようとしていた。
昨日は順番にお客様をご案内させていただいているのでと言っていたのに
どうして28時間以上待っている私たちがあとなんだと日本人の女性と
外人の男性がマネージャーを出せ、私たちが優先だと場が騒然となっていた。
そりゃそうだ!ここは日本だから除雪作業のプライオリティーが低いんだと航空会社の人も言う。しかし、昨日の私たちが今日のフライトの人たちより遅くなるのは確かにおかしい!
 今日の便は予定通り出るという!!!
あんまりだ。。
 しかしこんなことにめくじらをたててももうしょうがないと思った私たちは
(変なところで日本人だなあ!)
あきらめてコーヒーを飲んだ。するとアナウンスか電光掲示板で案内を出すからと言ったのになにもないままなぜか夕方になって搭乗がはじまってそして終わっていた。なんなんだ!この航空会社は!
 私たちは乗れたけど乗れない人いたんじゃないかな。
 しして遅れて出たために案の定ニース便に間に合わず、パリで一泊することになった。
 ほんの少し待っていてくれればよいのに。
 しして朝7時15分の便がとれてやっと明日はニースだった。

 翌朝5時から朝食をいただいて迎えのバスに乗った。
これも込み合って乗れない人がいた。私は荷物を積んでいるのにもう乗れないからと閉められそうになった。これはさすがにちょっと待って荷物あるんだから乗せてよと大声で叫んだ。病気の子供連れのイギリス系おかあさんも同じく荷物を積んでいたのに置いていかれそうになっていた。
昨日ははちきれんばかりでも乗せていたのに今日は何なんだろう?
 とりあえずそんなこともありながら、ニースに着いた。
 では現地でねとFさんとYさんにしばしの分かれを告げ私はレンタカーの会社に向かった。これがニースまで簡単だからということだったが借りたカーナビは全然作動せず、地図もなく本当に大変だった。
 何度帰ろうと思ったかわからない。
しかしもうすぐだからと自分をなぐさめ、3時頃ホテルに到着。
ちゃんとしたホテルのはずがまたおねえさんがいい加減でいろいろ問題があった。
そうそう、道をききに交番に入ってここはどこですか?ときいたらそこに地図があるからみれば〜みたいな対応で何も相手にしてくれないので、すぐさま外に出ておまわりさんを探した。
ここがどこかわからないからきいてるのに。確かに私がフランス語がしゃべれないからなのかお姉さんは空港でもあまり親切とは言える対応ではなかった。
交番でもホテルでもお兄さんはほとんどやさしかったのに。
 しかし、後でわかったことだが国によって考え方はさまざまでフランスは自分でできることは自分でやるという国なのでもしかしたらおねえさん達は普通だったのかもしれない。親切な日本のサービスになれすぎていたのだとも思った。
そして甘えていた自分にも気がついた。でももう、ヨーロッパでは車には乗らないわ〜!と誓った私であった。アメリカではロスからニューヨークまで車で大陸横断した私でしたが、さすがにめげました。
しかし、そうも言っておられず早速ミーティングにでかけました。

続く

Photo by Allen Johnston


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