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2005/08/23(火)
伊勢神宮・内宮
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昨日からの変な天気は続いていますが、随所に晴れ間も・・。特に、内宮参拝時にお日様が・・これも神の恵みなのか?!
江戸時代には、5人に一人はお参りをした伊勢神宮(内宮・外宮・別宮・摂社・末社・保管社・計125社)、日本国内の神社の総本山!! 俺個人として、国内で見てみたい建物ベスト5(出雲大社、永平寺、中尊寺、熊野神社)の一つ。 歴史マニアの自分としては、とにかく行く前から心浮き浮き。 何せその縁起たるや〜 由緒正しいどころでは・・ とても言葉では言い尽くせません。
ところが、実際接して見てみると、それまでのイメージが全く変わりました。 目で見えるような、そんな可視の範疇では到底無かった。 とにかくその厳かさ・・。 到底小生の文章力では書き表すことは出来ない。 太古の昔から、延々と流れる物を感じた。日本人の源流とでも言おうか。 縄文時代からの流れであろうか。
@@@ ここからは興味のある人だけ付き合ってね @@@
やはり日本は神の国だったんだ(あくまでも個人的意見です、誤解の無いように・・) 538年に仏教が伝来して、度々、時の権力者に利用された(例えば645年大化の改新等)その後も右往左往あって、8世紀末には本地垂迹説が生まれ、やがて神仏習合思想に発展していく。これは、仏と神とは同じものである”という思想だ(仏陀が民衆救済の為に日本の神になって現れたという考え、例えば”大日如来(仏様)→天照大神)
ついでに書いとくが、”神宮寺”とは神社の境内に建てられた寺院のこと。”鎮守八幡宮”とは寺院の境内に建てられた神社のこと。
この時期に作られた薬師寺の”僧形八幡神像”等はその現れである。ちなみに”権現”とは”仏が権(かり)に神として現れる”という意味らしい。
鎌倉仏教盛んかりし時代には、伊勢神道(伊勢における伝統的神仏隔離を説教化)が発生。神本仏迹説(神こそが本地であり仏は仮の姿)に影響を与えた。 その後も神仏に対する思想は変化し、現在に至っている。 様々な場面で論じられているが、結論は出ないだろう。何てったってこの1500年出てないんだから・・。
蛇足はこれ位にしておいて・・・。
*** 写真説明 ***
上段左:伊勢神宮・内宮の入り口 上段中:宮内の松(見事に剪定されてます) 上段右:御手洗場(みたらし)。参拝前のけがれはここで流す”という意味らしい。 読み方によって随分違うもんだ (-_-;)
中段左:宮内にはこんな大木が沢山・・うーん凄い! 中段中:別宮の一つ 中段右:伊勢神宮・内宮の正宮。この石段の下からしか撮影は不可。 しかも外宮同様、正面に行っても4つの垣があって正宮はどこやら??
下段左、中:ご覧あれ〜 (^^)/~~~ とある所から聞き出し、裏手に回って遂に”伊勢神宮・内宮正宮を激写!!! 下段右:おはらい町
PS この建物郡は式年遷宮(20年に一度神殿を新しく造り替える)するらしい。125の社、全てをだって。この1300年間・・・しかも全部新しく(移築しない) このことについては、聞いてかなりショックでした。 途方もない・・・ これに関しては後日記載予定です。 は〜 \(-o-)/
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