|
2012/07/05(木)
主観と教育
|
|
|
明日にも消してしまうかも・・ の持論を一つ・・ (-_-;)
東電の社長がおっしゃってました。 やることはやって 後は 国民の皆さんに真を問う・・と (ちなみに小生は 新社長が あまり嫌いではない方です)
大前提として この国の国民に 主観があると思ってらっしゃるのでしょうか?? あるとすれば マスコミに先導された いわば 作為に満ちた主観では?!
三権分立 等と 偉そうな建て前を言いつつ 成り立ってない我が国・・ 歴史が示している様に それぞれの主権が成り立ちづらい上に成り立っている この国の形態・・ それは 言い換えれば 貴族文化・村社会・・
俺に言わせれば 簡単な事!!
何故 この世に生を受け 生きて行くのか?!
こんな 簡単な事を 給料を貰っていながらにして(プロの分際で) 伝える事が出来ない教育制度にある!! 以上 <(`^´)>
僕の中で”物”を少々・・・ (^^ゞ
1:人間というのは始めから人間ではなく 作られていくものであるという認識。 これに関しては 江戸時代の”武士道”というものが 例としては解り易いと思われる。
2:上の議題にも関連するが、教育こそが 一個人 言い換えれば 社会の根底を形成するものと考える。
3:マニュアルを使ってでは無く 何故 それが出来たのか?! という事を 読み取った上で マニュアルを使いこなす事が出来るか?! 以外にこれに関しては 失ってからでしか 実感できないのかも?!
4:”有る”が故の 全ての物に対しての ”ソルフェージュ”(対位法)を実感しているのか。
5:続きとなるが、有ることを 実感する為の道具としての教育!!
つまり・・
国語:日本語という”媒体物”を通して 如何に、他人との距離を測ることが出来るか。 (英語:となると 文化も違うので 更に難しい)これも ソルフェージュ
算数:大きい・小さい・速い・重い・・(一体どれ位の)・・・等々 それらを、人間の都合の良い(?!)見える形での物差し(所謂・数字とか公式等)を使って具表化させてるものである。
理科:目に見える地球上での 化学反応とでも言うべきか・・ とにかく 眼前の実験結果が全てである。 (高等教育では 物理・化学・生物 と派生するが 数学のそれともリンクする物である。)
社会:今 自分が生きている! という 座標軸を学ぶ物差しになるべき物!! (これも 歴史・地理等に派生して行くけど)
統合すると やはり ”哲学” である!! という結論に・・(^o^)/
一つ一つを説明していくと 無限大に広がってしまうんですよね・・
だって 見えないもの以外しか 見えないんですものね・・・
|
|
|