野川紀行
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2013/10/08(火) 最大公約数と最小公倍数の相関性〜
ちょうど、先週からの続きを・・・

と言っても、この一週間、何も考えて無かったわけでは無くて・・
一部の熱烈なる方々とのメールのやり取り&自分の中での論文の数々をば書いてたんです・・ (^^ゞ


自分の中での論文とは、
その瞬間に思った事・・
これは、ある種の夢のようなもので、何かの媒体物に変化させないと、漠然とした ”あ〜” の様になってしまう訳で、
そうなってしまうと もはや ”あの時の”は 悪く言うと ”無かった” 事になってしまうんです。。

まぁ いちいち全部覚えてたら、さぞかし うっとおしいでしょうし、その都度全部を忘れていたら 空っぽな人生になってしまいますし・・
全ては その ”いい加減” こそが ミソなんですが、

どうも 自分の事を考え見るに・・



「あの時に、あんなに素晴らしい!!(但し、完全な自分よがりですが・・)物語が見えたのに!!!、今となっては、何だったのか?! 忘れてしまった・・」
そして、年を追うごとに、その事に対して、勿体無く思えてきて・・

ひょっとして、 譜面と同じで ”降りて来た” 時に、文字というツールに変換して 書き溜めてみたらどうなるんだろ〜?!

そうして始めたのが 自己論文であって、ここ数年間 続けているのですが、普通の日記等とは全く違う・・
時によっては、もはや 文字では無く 記号だったり、絵であったり・・ とにかく その時に降りてきた物を なるべく そのままの形で残す!! という作業をしているに他ならないんです。。

最大のコツは、、
読み返さない事!!
文字を書く時に 書きながら ”音読み”しない事!!

なんです。。

これは 書くという作業を行うにあたって、意図的にならない様にする為なんです。


そして最大のポイントは、、
過去の自己論文は読み返さない!! 事なんです (^^ゞ

ただ その時に降りてきた物を 形にしているだけに過ぎないんです・・

その作業の連続したものが ”詩” になっているだけなんです。。

ある ”有り難い”方から頂いた言葉の中に、
「コニタンのパラドは自分の表現された絵画のおつり・おまけ・釣銭・自己探求・ジレ・深層真理・赤影、白影、青影、、向き合うエネルギーが宝です」
という 一文で 目の前が開けた思いがしました!! \(^o^)/


つまり・・
目の前に有る ”現実” を飛躍させた ”仮想理想現実” の構築をし続けて来た ”自分”の解明です (^^♪

”見える物”以外は ”見えない物” として 「見る」という風に捉えようとしてきた結果を・・


だから 常に 自分の中では 割り切ろうとするが故に 割り切れない物が増えて 蓄積されていく訳で・・
そのこと自体が もはや ”パラドックス”なんですよね (^^ゞ

代表的 パラドックスの意味としては

「 私は嘘をついてます!って言っている人の言ってることは、嘘なのか?! 
私のこの発言は嘘である!というのは、果たして嘘なのか? 」

というものであり、僕の中では この種の問いかけを 
常に仮想理想現実を構築する際に自分の中に問い続けているのであって、、
そこで生じた、余り汁の数々がそこらじゅうに漂ってしまう訳で・・
そして それらが 何かの折に ”実”となって 出現してくるんでしょうね・・ (^^ゞ
”ヒッグス粒子” の如き物だと思います <(`^´)>


いよいよ本題ですが、

その、判断基準たる 大きい意味で言うと ”歴史”ということになりますが、、


その時代時代を 懸命に生きてきた人達の結晶がそれであって・・
それとは 結果的には、最大公約数になるのですが、、
視点をミクロに変えて、その時代に思いを馳せれば、
その時の人々の 賢明なる努力!! 個人々が 広げてきた最小公倍数が そこには有った筈なんです!!

それが 時代を経る事によって、最大公約数へと変化を遂げ、
またそれが故に 現代の我々に 理解し易くなってるんですね。

逆に言えば そこに興味を以て 紐解いていけば、そこには その時代の最小公倍数が”有る”んですよね(^o^)/


これが 相関関係です。。


形ある物には 必ずそれを構成する原子が有る!!

人はまた、生きて行く為に 無意識に(長い進化の過程に於いて)割り切って見ているんです。
というか、割り切れる物しか見えないんです!!

そこを見ようとする私とは・・・ これも パラドックスの一つです (>_<)


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