野川紀行
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2014/05/31(土) いよいよ〜
ここの所、クラリネットの管の中の水蒸気を拭うための スワブ通しの回数を記録として残しているのですが、

昨日・今日と・・ 

4時間で、ゼロ回・一回 と 見事なほどまでに その回数が激減しました!!


コツは シャープキーに於ける 力の入る方向としてのベクトルの向きが はっきり見えた事に有るんです (^^♪

クラリネットの向き→ 縦に南北と過程した場合に於ける向き 
の意味です。

でも よく考えたら ベースでも その様に考えてたっけな・・
指盤を羅針盤に例えて・・


更によく考えたら ひょっとしたら この 真夏的な気候の
高温度による事が 一番の原因だったりして・・ (^^ゞ

2014/05/29(木) サムディ・ライブ
ホントに いい汗かきました〜 !(^^)!

日本人の日本人による・・


それを具現化したかのようなライブでした。


かく有りたい!!  もんです (^^♪

2014/05/28(水) クラリネット プレイ
な〜じゅにて プレ発表致しました〜 (^^♪


なにせ・・ シナプスが繋がっていない状態でのプレイでして・・


・・・ と言っても、自らが発する!! という範疇に於いて・・ですが (^^ゞ

その辺が、クラッシックとジャズミュージックとの 根幹的な違いでして、

現在は 理論物理学で言う所の、掛け算の九九の段階でして、

その先のビジョンは はっきり見えてはいるんです \(-o-)/


ただ、少々時間を要する作業には違い無く、
やり続ける事こそが 王道であり、近道なんですね・・ (^^ゞ

セッティングに関しても よく解りました (^-^;



千里の道も一歩から〜 ですね ( `ー´)ノ

2014/05/23(金) 全てを開く鍵
ずばり!!

右手親指に有るんです!!

一昨日・昨日・今日と・・ 
計20時間に及ぶ集中練習・・


今日の 後半で 一筋の光が見えた様な気がしました ( `ー´)ノ


やってはいけなことを 意識してずっとやってきたからなんですが、

どうやら 一日置いた明日以降が ポイントになりそうです (^^ゞ


不安と期待の入り混じった 複雑な心境です〜 "(-""-)"

何せ 全てが ”初体験” ですから \(-o-)/

2014/05/20(火) 音化に至らず・・
ホントに久し振りの・・ 
充実したメンバーによるライブでした。。


その事は、つまり、
誰の ”骨を拾う” 作業もしなくていいし、
自分の出す音が、そのまま その曲の 分子構造の一部に組み込まれる・・

という意味に於いての 自分が”有る”事の出来る夜だったんです。


ところが・・ ご存じ(?!)の通り、
小生 只今 立派な 「読書中年!!」 真っ最中でして・・

夏目漱石・宮沢賢治 両氏による影響を モロに受けている最中でして・・


今日ほど 自分と 楽器の距離を感じた日も珍しいのでは?!
と思えるほど、遠かったですね "(-""-)"

それは同時に 自身の”詩”を発するに於いて、
言語が 音化を超えた事を意味し、
自分の中では 大変な驚きだったんです!!


まぁ〜

詩を変換する媒体物としての ”コニータ” の練習不足!!

これが 一番の大きな要因である事も事実なんですけど・・


もう一つは・・

今晩のライブでの使用楽器は ”チャリーナ”の方がベターだという事は解っていたのですが、

現在の状況下では その”チャリーナ”が使える 調整の範疇なのかどうか?!

これを判断する事が出来ない自分がいて・・


この辺りにも 宮沢氏の影響のこぼれ汁が・・・ (^▽^;) 

2014/05/18(日) 今度は・・
ある方に言われたのがきっかけで、
(小生自体が 銀河鉄道の夜の如く思われる・・ っていう)

宮沢賢治作品を読んでいます・・



初めて読みましたが・・(まだ2作品ですが・・)

夏目氏のそれとは違って、
実際に”音”に出して、

何なら 人に説明をする様に話し聞かすくらいの感じで読まないと、
堂々巡りになりますね・・


それ程、人物・背景設定が しっかりしてるんですよね (^^ゞ

また それが解らないと 全体像も解らないし・・



そして それらがはっきり解った結果・・

やっぱり解らないんですよね・・・ "(-""-)"


”実を以て虚と成す”

ホントに 凄い事だと 心に浸みています・・・ \(-o-)/

”虚実一致” を 文章を以て表せるとは・・

2014/05/16(金) ”ワード”への意味付け\(-o-)/
アングルチェンジの一例でもあり、
結果から逆算しての、考証学の一つである ( `ー´)ノ

今回使う、そのワードとは

    ”面倒くさい” です。。

能動的行動にするための原理としての その変換の仕方とは・・



何かの行動を起こす前に連想される ”面倒くさい”とは、
多分に、マイナス(−)のイメージが有る訳で、
どうしても 億劫な感じがするもんです・・ "(-""-)"

つまり、それは 〜ねばならない!!

という ”最大公約数”的な”閉塞感”から来るもので、
自ら発して突き抜ける〜 
能動的行動の結果としての 最小公倍数を意味するものでは無い・・



ある事に対して、自らが積極的に行い、(良い)結果を得た時に 感想として発する 「あ〜面倒くさかった〜」

というワードに内包される”面倒臭い”は どこか、ある種の爽快感が有る訳で、


つまり 何か事を起こすに至っての心境の一つ・・

「あ〜面倒くさ〜」 には これから起こり得る苦難の数々に対して、
何か ワクワクするような、 冒険心に苛まれた様な・・

前向きの意味での ”面倒くさい” という風に捉えられれば、
多分に能動的になるのでは?! と思う次第なんです・・


もちろん 物事に 絶対は無いので あくまでも その成功確率を上げるためのものなんですが・・


・・・あ、

それでも 能動的に捉えられない場合は、
それはもう・・ 屁理屈を付けてでも!! 
無理やり ワクワクする気持ちになる様に、アングルチェンジするしかないですね・・ (^^ゞ

ただ、例えこじつけであっても その様に理解・判断する為の基準になる、分母数の増大を 不断から心がけて置くことが必要ですけどね・・


その 分母数に基づいて、間違った判断を下せば、人に言わせると 

あの人 ”どうか” してる・・!!  って事になり、


事・成就した暁には、
その屁理屈が 成功の為の ”理論” へと 変わるんですから・・

要は その確率論なんですよね・・


なるべく成功させるための判断基準としての分母数は大事なんです。



という事を理論立てて構築している 小生のクラリネット練習とは・・

最初から 面倒くさいものでは無く、
むしろ ウキウキしながらやっている訳で、(だから 飽きないんでしょうね・・)

それは 敢えてアングルチェンジをしたからではなく、
その作業が 一般的に 外から見ると 面倒くさそ〜 に見えるだけのもんなんです (^^ゞ


全ては、
事が成就した暁に 

今 やっている事(練習)が
「あの時は 面倒くさかったな〜」(^^ゞ

という 爽快な感想を得る為に 今日も面倒くさい?! 練習を
6時間半にわたり 楽しんだ・・ という次第なんです (^ω^)

2014/05/15(木) 夏目漱石の解説・・
三部作 「三四郎・それから・門」を読み終わった \(-o-)/

私の感想は、
巻末に有る 解説に対してである・・

発展段階説に於ける夏目氏の如きは 上位に位置される者であり、
常に 自己の中との対話を以てして、
それを媒体物に変換しての外界(世間)への発表である。

つまり 普通の人では見えないものが見え(又は、違って見え・・)
それを 俗世間に発するものであり、
我々のそれは 音であり 決して 最初から音楽で有ることを意味する訳ではない。

その作業とは、差し詰め ”音化” でも言いましょうか・・

(それが 結果として 共演者・聞く人達にとって 
楽しい ”音楽”であれば 幸せな結末である・・ だけの事なんです。)



つまり 言い表せない物を 見える(感じられる)形を通しての
ツールへ変換する作業なんです。。
ま・・ それには、そのための不断の練習が必要になるんですがね・・(^^ゞ


話しは戻って、
夏目氏は その最上位に位置する人物であって、
つまり・・
彼の”言語”とは 言い表せないものを 言語そのものを使って表そうとしている者であって、
彼の使う言語とは、一般に使われているそれとは、質量が違うのである ( `ー´)ノ

しかも (限られた)同じ分子(言語)を用いながら、

一つの文章を構成するに当たっての 組み合わせ方、
その一つ一つの文章をセンテンスとして 構築した 一つの物語・・

同じ炭素結合でも その組み合わせ方によって、
”石炭” になり ”ダイヤモンド” にも成り得る って作業を意図的に、

いや 彼の様な者だと うんと意識に意識を重ねた結果としての
”無意識”の域に達した時点より 発せられた結果としての作業なのかも知れませんね・・ \(-o-)/


その様な者の書いた作品に対して
言語を使っての”解説”とは・・ ?!

いや〜 甚だ・・ 


それは あたかも・・
田中将大の投球を解説している人が 彼以上の投球が出来た訳でも、出来る訳でもないのに、それをやっているのと同じ感じですね・・ (^^ゞ

何故なら 彼らこそが 自らの解説をやり続けて来た結果の
”今”であり、
自らが 自らへの解説を以て→”解決者” へと変化を遂げ
不断の努力によって それを克服すべく
その際限の無い作業をし続けて来た人達であり、

彼らにとっての”今”とは、
それを続けて来た結果としての”帰着点”であると同時に、
そこ(今)とは 次に対する”ドミナント・出発点”で有ることが
意識するしないに関わらず 解って?!出来ている人達なんです。

(あくまでも 持論ですが・・)


一方 解説者というのは その連続する”今”の一部分を切り取り、
デジタル的に理論を付けているに過ぎず、

つまり・・
前後の対流を絶っての ”絶対”の場面での理論なんですよね・・

絶対という事は、絶対に無い!! という事が 絶対なので有る!!

という 謂わば究極のパラドックスが持論の私から言わせてもらえば、
「芸術家と評論家は相容れない者である」
の意味として、

芸術家(哲学の最高峰に位置する(と私が考える)スポーツ選手)とは 先述したように その時点は 次の時点への布石・ドミナントで有るが故に、
その時点での デジタリックな解説とは、

芸術家達は、それをされた時には 既に次の地点(時点)へと移動している訳で、
前の地点について とやかく言われることは 甚だ迷惑にしか感じられないのではないでしょうか?!

後ろ髪を引っ張り掴まれ 倒されるかの如く・・


**(私にとって、現場での ドラムのハイハットの如く・・ でもありますが、)**後に解釈付き

勿論 発展段階説の初期の時点に於いては、
自分だけでなく、他人の批評家・評論家達の行ってくれる(?!)
その作業は 大いに役だつ物なのかも知れませんが・・

その上位に位置する者達へのその作業は・・・
・・ という事です。


夏目氏の解説に当たっては、
その 一方方向から光を当てることによって、ある種の指針を与えてくれ、
つまり 光を当てられるかの如く!! 
とも取れますが、
少なくとも 私にとっては テレビに於ける 誘導的”やらせ”の様に強く感じられたのです "(-""-)"

解説者が 夏目漱石氏よりも素晴らしい作家であるなら別ですが・・

また、その様な者は その様な解説を書かないでしょうし・・


まぁ、
よく考えたら、そんな解説文・・ 読まなきゃいいんですけどね (^^ゞ

私に必要だったのは 夏目氏の 生涯年表の中で、
それらの作品が どのくらいの位置で書かれたのか?! 
という デジタル的な情報が解れば 御の字だったんです・・


そこは、夏目氏の言うが如く 
「物事を知るための 見なければならない 際限を知りたい」 という 知欲から起こっての行動だったんです・・

でも 今回のそれは、完全に裏目に出たみたいです。。

至って 邪魔な汚物・・ とでも言いましょうか・・


しかし それは同時に、

この様な感想を私に与えてくれている時点で、
”有意義” だったとも言えるんですがね・・ \(-o-)/

この様な パラドックスからの こぼれ落ちた話しとして確かに”有る”んですから・・


** ドラムの 2・4拍に於けるハイハットとは、**

次に有る 表(1・3拍)の裏のものであるべきで、
つまり、表・成さしめる為のもの(表拍への 導拍)であるべきで、

我々が音を出すに、その音を出した時には 既に次の音へのドミナントと成そうとしている時に、
その前の裏拍(2・4)を 評論家の解説の如き拍を刻まれると、
甚だ、後ろ髪を引かれて 前へ進めない感を与えられるんです。

両足で 「よいしょ!!」 って、地面に着地されてる感じなんです。。

我々のそれは 
片足ずつ つま先で 前のめりになりながら 「よっ・よっ・よっ・・」 ってな感じで走っているのに・・

2014/05/12(月) 46年目突入〜
齢45にして 最近気付いたことが有ります!!


数年前に ”我、全ての私利・私欲を廃す!!”

の境地に入ったのですが・・(あくまでも、自認系ですが(^^ゞ


夏目漱石の本を読むに至り、、

私利・私欲は無くなったのですが、煩悩は人並み以上有る訳で・・

しかも・・その 109個目の”煩悩”一つ分が、
前の 108個のそれの総数より 質量の面に於いて 大きいのでは!?

という事に 気付いたんです "(-""-)"

つまり、
ドラゴンボールで言う所の 「7つ目の 最後のお願い」が
「何でも叶えられる ”打ち出の小槌”が欲しい!!」

というかの如くなんです・・・ \(-o-)/

それは エンドレスを意味するものでもあり、
合わせ鏡の様なもんなのです。


その意味に於いて考えると、
世間一般で言われる所の 物欲系は無いのですが、

自己探求に於いての ”知りたい” という欲求は 人一倍強いものであり、


そう考えると 誰よりも ”欲張り” なんだなぁ〜 と思うに至ったんです。

夏目氏の言を借りると、
「読書範囲の際限を知りたい・・・」
という趣旨の文面があったのですが(あくまでも 私の主観による)

一体 どこまで知った上で ”サイを振る”作業が出来るのであろうか・・ という事だと解釈しますが、

その意味に於いては 哲学の最高峰としてのスポーツとは、
互いに準備に万全を尽くし 絶対勝つ!!と 絶対勝つ!! 
同士が実際に交わり、そして 目に見える形での優劣が着く。

それは 世の中に ”絶対という事は絶対に無い!! という事が絶対なのである!!”

という 持論の証拠であり、

つまり、
つい(対)をたった(絶った)ものとは そのもの単体としては、
その存在を認められるものでは無く、その前後の対比を以て存在たらしめるものであり、
その意味に於いては、絶対というのは ゼロ:0 であり、
西田幾多郎氏の言う所の ”永遠の今”に通ずるものであり、

例えば 我々が音を出す時に、
その前の流れから その音を出すわけであるが、

しかし、その音を出した瞬間、その音は 次の音への導音でなければならない!! という意味なんです。

つまり、帰着点が 同時に 出発点でもある!! という事なんです。。


その連続作業の結果としての 一曲であり、
その一つ一つの音の結合の仕方によって、
同じ元素(例えば炭素)でも 結び付き様によって、
石炭にも ダイヤモンドにも成り得る!! 様に、、

その曲の充実度・・ に関わって来るんですよね (^^♪

そして そうして演奏された曲の連続によって その日のライブの充実度に影響を与え、
そんな日々の連続によって 人生が構築される・・ って訳なんです・・

ミクロとマクロのアングルチェンジによって、
同じことなんです (^^♪

要は そのフレーズの区切る場所によって 印象が違うだけで・・
長いか短いか・・

平安時代から見れば、私の45年間などは ホンの ”一拍” ですからね・・ (^^ゞ

何せ ジャズミュージックというのは 自らが 自発的に出し合うという意味に於いては、”時空を作る” 事が出来てしまいますからね・・

それだけに 音を出す!! っていうことは 大事な作業なんです!!


うんと考えて、経験して、失敗して、反省して・・・

そして それら全てを 次に出す音への判断材料としての分母へと変換し、自ら判断した上で
サイを振る!!(音を出す) 
・・ という作業の連続を以て 一つの”詩”を作り出すんです。

この様に、
主観を育てる作業とは・・

そこには うんと その判断材料が必要となり、
それは 先述した(夏目氏の言う所の) 際限を求めるものであり、

然し、しょせん人間の求めるそれとは 際限がない事は絶対であることを解った上でのそれを求める作業とは・・・


つまり・・・

誰よりも ”欲深い” んですよね・・・ (^-^;



これが 小生、45歳の誕生日を迎えた時点に於いての 一つの結論です・・ \(-o-)/


現在、我が家で 私は ”平成の漱石”と呼ばれている所以です (^^ゞ


ちなみに 今日、夏目漱石氏が通った (元)御茶ノ水小学校の横を通って来ました〜

たまたま 今晩の現場が近かっただけの事ですが・・ (^^ゞ



長文 失礼しました (-_-;) 

2014/05/09(金) 30年の時を経て
最近 朝日新聞の紙面に、100年振りに連載されている夏目漱石の「こころ」の流れを受け、、



かつて 高校時代に 折角 郷土の事を書いてくれてるんだから・・という単純な意味もあったにせよ、
「坊ちゃん」を読んだのですが、

その 余りの難解さにギブアップして、
そのまま・・ 30年の月日が流れ、


新聞に(土日を除く)毎日 ちょっとずつってのもいい方に流れ〜

今の世の ”オンデマンド”時代に於いては、
求めてしまえば 求められてしまう風潮があり、

それはそれでいいんでしょうが、

行間に人情と景色が無いような・・


つまり いいところで終わって 
「この続きは、また明日〜」 みたいな・・

・・ あ、テレビマンガの様な ポップな物では無い意味で (^^ゞ


腹八分目・・ とでも言いましょうか、

自分の中で 消化されるのに 丁度いいと言った具合なんですよ〜(^^♪
その行間たる時間が、、


でも、夏目漱石氏に興味を持ったのは むしろ その言に有って・・


とにかく 取っ掛かりに代表作 ”三四郎”をば。。。

すっかり 一日で読み切ってしまいました (^^ゞ


主客二元論で色分けする必要も無く、登場人物の誰にも主眼を置かなくてもよく、
それ自体がそれ自体で有るが故に、全てが ”スッと” 入って来るんです!! (^_-)-☆

・・ で、三部作という事で、昨日 「それから」「門」をゲットしてきました。


書かれた時期が異なるという事もあるでしょうが、
30年前の感想・・

「さすが 名作というものは 表面上はよく解らなくても 魂の中からじわじわと来るもんだ!!」

と思い、、 勝手にに納得して(逃げるように) 武者小路氏の作品に移ったんですよね (^^ゞ

ちなみに 氏の邸宅がこれまた近所に有って、何度も足を運んでるんです。

今では 彼の文人画としての作品の方が興味あるんです (^^)/


”文化” ってのは 夏目氏の様な作品の事を言うんですね。


・・という事は
自分の求めているのは、さながら ”音化” なんでしょうね。

その結果として 音楽に成れば その幸せの度合いが↑ するだけの事なんですよね (^^♪


妙に納得できる”本”です!!

5月絵日記の続き


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