野川紀行
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2014/05/15(木) 夏目漱石の解説・・
三部作 「三四郎・それから・門」を読み終わった \(-o-)/

私の感想は、
巻末に有る 解説に対してである・・

発展段階説に於ける夏目氏の如きは 上位に位置される者であり、
常に 自己の中との対話を以てして、
それを媒体物に変換しての外界(世間)への発表である。

つまり 普通の人では見えないものが見え(又は、違って見え・・)
それを 俗世間に発するものであり、
我々のそれは 音であり 決して 最初から音楽で有ることを意味する訳ではない。

その作業とは、差し詰め ”音化” でも言いましょうか・・

(それが 結果として 共演者・聞く人達にとって 
楽しい ”音楽”であれば 幸せな結末である・・ だけの事なんです。)



つまり 言い表せない物を 見える(感じられる)形を通しての
ツールへ変換する作業なんです。。
ま・・ それには、そのための不断の練習が必要になるんですがね・・(^^ゞ


話しは戻って、
夏目氏は その最上位に位置する人物であって、
つまり・・
彼の”言語”とは 言い表せないものを 言語そのものを使って表そうとしている者であって、
彼の使う言語とは、一般に使われているそれとは、質量が違うのである ( `ー´)ノ

しかも (限られた)同じ分子(言語)を用いながら、

一つの文章を構成するに当たっての 組み合わせ方、
その一つ一つの文章をセンテンスとして 構築した 一つの物語・・

同じ炭素結合でも その組み合わせ方によって、
”石炭” になり ”ダイヤモンド” にも成り得る って作業を意図的に、

いや 彼の様な者だと うんと意識に意識を重ねた結果としての
”無意識”の域に達した時点より 発せられた結果としての作業なのかも知れませんね・・ \(-o-)/


その様な者の書いた作品に対して
言語を使っての”解説”とは・・ ?!

いや〜 甚だ・・ 


それは あたかも・・
田中将大の投球を解説している人が 彼以上の投球が出来た訳でも、出来る訳でもないのに、それをやっているのと同じ感じですね・・ (^^ゞ

何故なら 彼らこそが 自らの解説をやり続けて来た結果の
”今”であり、
自らが 自らへの解説を以て→”解決者” へと変化を遂げ
不断の努力によって それを克服すべく
その際限の無い作業をし続けて来た人達であり、

彼らにとっての”今”とは、
それを続けて来た結果としての”帰着点”であると同時に、
そこ(今)とは 次に対する”ドミナント・出発点”で有ることが
意識するしないに関わらず 解って?!出来ている人達なんです。

(あくまでも 持論ですが・・)


一方 解説者というのは その連続する”今”の一部分を切り取り、
デジタル的に理論を付けているに過ぎず、

つまり・・
前後の対流を絶っての ”絶対”の場面での理論なんですよね・・

絶対という事は、絶対に無い!! という事が 絶対なので有る!!

という 謂わば究極のパラドックスが持論の私から言わせてもらえば、
「芸術家と評論家は相容れない者である」
の意味として、

芸術家(哲学の最高峰に位置する(と私が考える)スポーツ選手)とは 先述したように その時点は 次の時点への布石・ドミナントで有るが故に、
その時点での デジタリックな解説とは、

芸術家達は、それをされた時には 既に次の地点(時点)へと移動している訳で、
前の地点について とやかく言われることは 甚だ迷惑にしか感じられないのではないでしょうか?!

後ろ髪を引っ張り掴まれ 倒されるかの如く・・


**(私にとって、現場での ドラムのハイハットの如く・・ でもありますが、)**後に解釈付き

勿論 発展段階説の初期の時点に於いては、
自分だけでなく、他人の批評家・評論家達の行ってくれる(?!)
その作業は 大いに役だつ物なのかも知れませんが・・

その上位に位置する者達へのその作業は・・・
・・ という事です。


夏目氏の解説に当たっては、
その 一方方向から光を当てることによって、ある種の指針を与えてくれ、
つまり 光を当てられるかの如く!! 
とも取れますが、
少なくとも 私にとっては テレビに於ける 誘導的”やらせ”の様に強く感じられたのです "(-""-)"

解説者が 夏目漱石氏よりも素晴らしい作家であるなら別ですが・・

また、その様な者は その様な解説を書かないでしょうし・・


まぁ、
よく考えたら、そんな解説文・・ 読まなきゃいいんですけどね (^^ゞ

私に必要だったのは 夏目氏の 生涯年表の中で、
それらの作品が どのくらいの位置で書かれたのか?! 
という デジタル的な情報が解れば 御の字だったんです・・


そこは、夏目氏の言うが如く 
「物事を知るための 見なければならない 際限を知りたい」 という 知欲から起こっての行動だったんです・・

でも 今回のそれは、完全に裏目に出たみたいです。。

至って 邪魔な汚物・・ とでも言いましょうか・・


しかし それは同時に、

この様な感想を私に与えてくれている時点で、
”有意義” だったとも言えるんですがね・・ \(-o-)/

この様な パラドックスからの こぼれ落ちた話しとして確かに”有る”んですから・・


** ドラムの 2・4拍に於けるハイハットとは、**

次に有る 表(1・3拍)の裏のものであるべきで、
つまり、表・成さしめる為のもの(表拍への 導拍)であるべきで、

我々が音を出すに、その音を出した時には 既に次の音へのドミナントと成そうとしている時に、
その前の裏拍(2・4)を 評論家の解説の如き拍を刻まれると、
甚だ、後ろ髪を引かれて 前へ進めない感を与えられるんです。

両足で 「よいしょ!!」 って、地面に着地されてる感じなんです。。

我々のそれは 
片足ずつ つま先で 前のめりになりながら 「よっ・よっ・よっ・・」 ってな感じで走っているのに・・


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