野川紀行
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2014/09/10(水) 歴史を紐解く意味
ここ最近の生活パターンとして、

午前中読書→午後〜21:00練習 というのが定着していましたが、
現在の”言語学”という 事象学の関係の本を読むに当たり、
その事実に対する 自身の中の”時系列”を整える為に、
パズルのキーワードになっている ”ワード” の解明が必要なんです!! (^^ゞ

何せ・・ ワードってのは、

その時代々の賢明なる、汗と涙の結晶:即ち ”最大公約数”が結果としての ”最大公約数” という形に成り、
その形ってのが 時を経る事によって ”ワード”というツール(媒体物)へと変換されるんですから・・

しかも、その距離(自分達から見た)が遠ければ遠いほど(時代が古くなればなるほど)
凝縮(圧縮)されて、数学的に見れば、小さい単位(逆に質量は重い)へと閉じ込められるんです。

だから 昨日今日の出来事、去年一年間の出来事 という ”一”の単位を基準に取ると、

昨日今日は(365分の一年になりますが)

日本に於ける縄文時代は 一万年

同じ”有る”という事実に基づく ”一”に付く0の数が違う事が、その質量の差を物語っているのです。


そりゃ・・ 歴史のワードを紐解くには それを構成するワードが多数埋め込まれている訳で・・

情報の沢山有る現在では インターネット等が使える状況もあり、
それらを引っ張り出そうとすれば可能な訳で・・

それをしようとしたら大変な訳です・・ (>_<)

ここ1500年位の歴史についても・・
何せ 過去に居た人の人数だって、現在 世界中に居る人の数より多い訳ですから・・

人一人の命×(かける) を考えると 途方も無い数字になります "(-""-)"

私は、そんな時 歴史的事実ってのを その時代の中の人々から、ワードという 表層的な形で表される ”例えられた”
形という風に捉えるんです。。

例えば、時の”社会”を見るに当たっては、
〜式目 という 時の政府の決め事(制度)を見る事が最も例えられていると思うんです。

それは、裏を返せば 「そうせねばならない」 という前の事実が有った結果として見えるからなんです。

何せ 「必要は発明の母」 ですからね・・ (^^ゞ

それを規制する必要が無ければ 制度によって制約する必要はありませんからね・・

時代は違っても 同じ人間ですから・・
根本的な視点に立って見れば 解る事です!! (^^)/

”逆もまた真なり” の一例でもあると思います \(-o-)/


だから 私にとっては 原始的な!! ってのは それを指すもので、人間にとって 最も動物的な意味をも含むものとして、
注目に値するものだと考えるんです。。

何も無い所から 能動的に動き出す 第一歩!! であると・・

「急がば回れ」 の根幹的な要素だと思うんです (一般的な捉え方は違うと思いますけど・・ (^^ゞ


「歴史を紐解く」ってのは この作業を 逆順に行う事を意味し、
それは同時に 能動的行動に於ける 次の(未来)一手に対しての
判断の基準に成る 分母数の一つとして組み込まれていく事を意味するんです。

人間が霊長類の長に収まり得るのは、
自己の経験値だけを以て ”気付く”のではなく、
他人の経験 HISTORYを My Story へと変換出来る結果として表れているからだと思うんです。。

例えば、お腹が空いているから 目の前の物を全て食べ尽してしまったら、太り過ぎる!!
とか、栄養のバランスが・・とか、食べ合わせが・・とか、
もっと大きく言うと 世界が 食糧難になる・・ とか、

熱い物を触ったら火傷するっていう事実も、
意識のうんと”自然”な幼児期であれば、熱い物に
「これ、何だろ〜?」 って触って見たくなるのは当然の興味であって、
それを 既に社会の一員たる大人が 触ったら火傷するから!!
と 止めてあげないと みんな 野口英世(手だけ(^^ゞになってしまう訳で・・


フグの毒だって・・
どの種類のフグの どの部分を食べれば、人間にとって 死に至るまでの作用を及ぼすのか・・って事実が明らかにされるまでには
随分と多くの人のサンプルが必要だったと思いますよ〜 (>_<)


こういった 「何で〜?!」 を 目に見える形で表したのが
科学であって、私に言わせれば 歴史を紐解くツールの一つなんです。


少々長くなりましたが・・
今を認識出来る条件として、過去→現在→未来 という時系列が成立している事がありますが、

例えば ”茶碗が割れる”という事実は、
手を離れ→落下→下の物とぶつかった衝撃を受け→”割れる”

歴史の事実とは、
茶碗が割れる事とは、その長さが違うだけの事なんですよね (^^ゞ

その途中経過に 人為的要素が入りますが・・
これがまた ややこしくしている原因でもあり、
逆に だからこそ面白い! 事でもあるんです。



私は、常々 事実は ”例えられてる” として見るんです!!

例え、止まっているモノでも・・


この見え方こそが 私を能動的にさせている事実なのかも知れませんね・・ (^^ゞ

何せ、事実が 向こう側から 向かって来る・・ という風に捉えるんですから・・

それに対しては 迎え撃つか、逃げるか・・等の 選択をせざるを得ない状況へと追い込まれる?! 訳で、
これが 能動的言動の根幹に有る様な気がします・・


あ〜 面倒くさ・・   "(-""-)"

購入後 未だ解決していない 我が家の”雨漏り”問題!!

これだって、

雨漏りしてるって事実が → 何処かに 雨の侵入経路が存在して、室内に雨が侵入しているって事実を結果的に示すものであり、 

”例えられた”結果としての ”雨漏り” という事実を浮かび上がらせている・・ と思うんです・・ 私・・ (^^ゞ

雨漏りだって 私にとっては歴史の一部なんです・・

・・ 何とかしなきゃ!! と思うでしょ "(-""-)" そうやって例えられてるんだから・・


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