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2014/09/02(火)
社会論
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社会に居る事は 嘘をつく事なり!!
例えば、急いでる時に 信号が赤だったら どうしますか?! 急いでるからといって 無視する人が沢山いたら、社会は成り立ちません!!
それは 約束事ですから・・
ただし・・ (ホントに緊急の場合は その限りではありませんが・・)
問題は、その嘘を 如何に能動的に こちら側からつけるのか?! という事であり、
つまり・・ 嘘との距離・仕切り線を如何にして作り、その距離を認知しているか?! という事なんです。。
やりたい事を やりたい様に出来るのは、人が未だ社会に属して無い(社会の外に居る)子供時代だけだって事です。 その時分に 社会のルールの成り立ちと、自分からの距離・・ってのを、自発的に作って置いて、認知して置く必要が有るんですね (^^ゞ
人に決められた・・ からではなく、 自らが能動的に距離を取った結果としてのルールとして捉える・・
その結果、納得して 「イエス」と答えたものに対しては 人に決められたものではなく、自らが責任を持って設定したものと 認める事!! その時点で 人のせいには出来ないことを意味しますが・・
日本人は、 「下されたもの・お墨付きを頂いたもの」 ってのに、異様に重力を感じるんであって、
つまり・・ これは 長く続いた 貴族社会ってのに起因してる訳で、日本人のDNAに染み込んでるんですよね (^^ゞ
自らが決めるのではなく、上から決めて貰う・・ という
だから、事の本質って、失って見ないと ”気付かない”訳で、 その時初めて気付いたのでは ”後の祭り” ってなことになり、 それじゃ 遅きに帰する場合だってあるんです ((+_+))
この欠如こそが 今の社会の歪(ゆがみ)に繋がってるんだと思います!!
それを解決するための”一里塚”として、
一体、世の中に無数に有る 有効な知識の中で、、 小生の知り得る範囲の中で、代表例を2点程 挙げて置きます (*^_^*)
アダム・スミスの 「国富論」「道徳感情論」
折しも 偶然?! 先日の読売新聞でも取り上げられてたんですが、その言を借りて・・
今につながる資本主義社会の 経済学の祖である彼は、 経済学を 「より総合的な人間学の構築への一里塚ーそこを通過することなしには先に進めないが、 決して目的地ではない一里塚ーに過ぎない」 と考えていた・・
国富論とは その後の大量生産(ピン工場の理論)を含むもので、 効率性を上げる事へのメリットを説いてるんですけど、
それが 外へ対してのものである一方、
日本では 請負制度による 一つの物 (例えば 刀とか漆物・・等)を作り上げる・・ という意味では
内へ対してのもの なんですよね (^^ゞ
一つの物に対して 複数の人が関わり、より質量の高い物へと作り上げる〜 っていう。
一見 逆に見えるんですけど 僕にとっては同じ事の様に見えるんです!! \(-o-)/
一方は 効果的に 多くのより良い物を作るために・・ 一方は 効果的に 一つのより良い物を作るために・・
”ものづくり日本” の根幹はここに在る!! んだと思います \(-o-)/
両方とも ’より良い物’に対して、 その質量が違うだけなんですよね。。
日本人って、与えられたミッションを 自分に課せられた命題へと昇華させ、 そこに 責任と誇りを持って遂行する・・ っていう特異性を持ってますからね・・
これが 職人技の域まで上がれば 大したもんなんです!!
問題は、それを 知らない間に 人からやらされてるのか・・ 今、自分がやっていることは どの位置に属しているのかを把握出来ずに 粛々とやってるのか・・
の場合は、それに気付いた時には↓・・ って事になる確率が↑ なんですよね "(-""-)"
その結果に対する過失を 人のせいにして 自分は回避の方向へと向かう・・ 確率が↑ になるんですよね・・
自らが挙げた御輿では無く、 挙げられた御輿に後から乗りこみ、 それがダメだった場合・・ 今度は、みんなで引き摺り下ろす・・
しかも・・ 外野的立場で・・
これが 無責任社会を作ってる根源で、 その様な立場では、自らが 反省も 総括も出来ませんから、 当然、次の動作へと移れない事をも意味するんです(>_<)
何せ、自分の置かれている位置が把握出来てませんからね・・ (^^ゞ
まぁ マスコミ連中にとっては、一つの事例で 2度(上げ下げ)使えて おいしいんでしょうけどね・・ (-_-)
この場合、内野に居るって事は 自らの能動的行動原理に基づくって意味ですけど・・
話しは少し逸れてしまいましたが、
もう一人・・
ジャン・ジャック・ルソー の 「社会契約論」「人間不平等起源論」 は、社会との距離を ”言い表している” という意味に於いて、 有効な 道標と成るもんだと思います!! !(^^)!
それらをうまくフィードバックさせて ”いい加減” を以て 対流させた結果としての 個人の ”詩”を謳歌させる事 の集合体としての社会こそが 最小公倍数の社会であり、 質・量のバランスが良い社会に成る!! んだと思います。。
自らが設定した ”自然” の中に 社会を取り込む形で・・
・・の様に、社会を捉える事が出来る人が多ければ、その社会が良くなる確率は↑ なんですけどね・・ (^^ゞ
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