野川紀行
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2014年9月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新の絵日記ダイジェスト
2017/10/31 「”そこ”にあるモノと”ここ”にあるモノ」との違い
2017/10/30 物語
2017/10/29 どうして・・?!
2017/10/28 野川紀行
2017/10/25 ”真実”

直接移動: 201710 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 1 月 

2014/09/02(火) 社会論
社会に居る事は 嘘をつく事なり!!

例えば、急いでる時に 信号が赤だったら どうしますか?!
急いでるからといって 無視する人が沢山いたら、社会は成り立ちません!!

それは 約束事ですから・・


ただし・・ 
(ホントに緊急の場合は その限りではありませんが・・)




問題は、その嘘を 如何に能動的に こちら側からつけるのか?!
という事であり、

つまり・・
嘘との距離・仕切り線を如何にして作り、その距離を認知しているか?! という事なんです。。


やりたい事を やりたい様に出来るのは、人が未だ社会に属して無い(社会の外に居る)子供時代だけだって事です。
その時分に 社会のルールの成り立ちと、自分からの距離・・ってのを、自発的に作って置いて、認知して置く必要が有るんですね (^^ゞ

人に決められた・・ からではなく、
自らが能動的に距離を取った結果としてのルールとして捉える・・

その結果、納得して 「イエス」と答えたものに対しては
人に決められたものではなく、自らが責任を持って設定したものと
認める事!!
その時点で 人のせいには出来ないことを意味しますが・・

日本人は、
「下されたもの・お墨付きを頂いたもの」
ってのに、異様に重力を感じるんであって、

つまり・・ これは 長く続いた 貴族社会ってのに起因してる訳で、日本人のDNAに染み込んでるんですよね (^^ゞ

自らが決めるのではなく、上から決めて貰う・・ という


だから、事の本質って、失って見ないと ”気付かない”訳で、
その時初めて気付いたのでは ”後の祭り” ってなことになり、
それじゃ 遅きに帰する場合だってあるんです ((+_+))


この欠如こそが 今の社会の歪(ゆがみ)に繋がってるんだと思います!!


それを解決するための”一里塚”として、

一体、世の中に無数に有る 有効な知識の中で、、
小生の知り得る範囲の中で、代表例を2点程 挙げて置きます (*^_^*)


アダム・スミスの
「国富論」「道徳感情論」

折しも 偶然?! 先日の読売新聞でも取り上げられてたんですが、その言を借りて・・

今につながる資本主義社会の 経済学の祖である彼は、
経済学を 「より総合的な人間学の構築への一里塚ーそこを通過することなしには先に進めないが、
決して目的地ではない一里塚ーに過ぎない」
と考えていた・・

国富論とは その後の大量生産(ピン工場の理論)を含むもので、
効率性を上げる事へのメリットを説いてるんですけど、

それが 外へ対してのものである一方、

日本では 請負制度による 一つの物 (例えば 刀とか漆物・・等)を作り上げる・・ という意味では

内へ対してのもの なんですよね (^^ゞ

一つの物に対して 複数の人が関わり、より質量の高い物へと作り上げる〜 っていう。

一見 逆に見えるんですけど 僕にとっては同じ事の様に見えるんです!! \(-o-)/


一方は 効果的に 多くのより良い物を作るために・・
一方は 効果的に 一つのより良い物を作るために・・

”ものづくり日本” の根幹はここに在る!! んだと思います \(-o-)/

両方とも ’より良い物’に対して、
その質量が違うだけなんですよね。。


日本人って、与えられたミッションを 自分に課せられた命題へと昇華させ、
そこに 責任と誇りを持って遂行する・・ っていう特異性を持ってますからね・・

これが 職人技の域まで上がれば 大したもんなんです!!

問題は、それを 
知らない間に 人からやらされてるのか・・
今、自分がやっていることは どの位置に属しているのかを把握出来ずに 粛々とやってるのか・・

の場合は、それに気付いた時には↓・・ って事になる確率が↑ なんですよね "(-""-)"

その結果に対する過失を 人のせいにして 自分は回避の方向へと向かう・・ 確率が↑ になるんですよね・・


自らが挙げた御輿では無く、
挙げられた御輿に後から乗りこみ、
それがダメだった場合・・ 
今度は、みんなで引き摺り下ろす・・

しかも・・ 外野的立場で・・


これが 無責任社会を作ってる根源で、
その様な立場では、自らが 反省も 総括も出来ませんから、
当然、次の動作へと移れない事をも意味するんです(>_<)

何せ、自分の置かれている位置が把握出来てませんからね・・ (^^ゞ


まぁ マスコミ連中にとっては、一つの事例で 2度(上げ下げ)使えて おいしいんでしょうけどね・・ (-_-)

この場合、内野に居るって事は 自らの能動的行動原理に基づくって意味ですけど・・


話しは少し逸れてしまいましたが、

もう一人・・

ジャン・ジャック・ルソー の 「社会契約論」「人間不平等起源論」
は、社会との距離を ”言い表している” という意味に於いて、
有効な 道標と成るもんだと思います!! !(^^)!


それらをうまくフィードバックさせて ”いい加減” を以て
対流させた結果としての 個人の ”詩”を謳歌させる事
の集合体としての社会こそが 最小公倍数の社会であり、
質・量のバランスが良い社会に成る!! んだと思います。。


自らが設定した ”自然” の中に 社会を取り込む形で・・

・・の様に、社会を捉える事が出来る人が多ければ、その社会が良くなる確率は↑ なんですけどね・・ (^^ゞ


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.