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2015/06/13(土)
椿姫(道を踏み外した女)
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Verdi(作曲)のオペラを観ました〜(^^♪
先に見た 「死せる魂」程の衝撃は無かったものの・・
と言うか、、イタリアンオペラの過渡期であるこの作品は、 その様な視点から見るべきなんですけど・・(^^ゞ
それでも 見る者に与えるメッセージとしては 先のモノと同じ感じでした〜 \(-o-)/
つまり、、 その役者々 の立場で見ても 感想が変わって取れる!! って事です。。
この様な形態のモノは、その内容を解説している文面を読んでしまうと 反って 想像力を限定してしまうものであり・・
妄想族たる小生にとっては 実に!! 都合のいいモノなんです\(^o^)/
それは、 その場面場面に プロフェッショナルな仕事が集約されている事から発せられるモノであり、、
その結果が 磁力を与えるモノであって、 どの角度から見ても ”そのままの形” ってのが 見る人の主観によって変化してても ”見える”もんだと思うんです。。
逆に言えば 昨今の 日本に於けるそれ・・(ドラマ・映画等)とは、、
製作者の意図が 余りにも 一方方向へと意義付けられている感があり、
・・・ つまり 「やらせ」 という言葉に抽出されますが・・
これは 悪い意味での ”ポップ”なのであり、
所謂 コマーシャル的な?! 先導性を持つもんなんです・・"(-""-)"
あ・・ もちろん コマーシャルとは そうあるべきなんですが・・(^^ゞ
一つ気付いた事で言えば、 ドラマなどの間に挿入されるコマーシャルの場面と 本編では その質量が 余り感じられない事が その事実を示しているもんだと思います (ー_ー)!!
作為性が強すぎるんです!!
それは 見る者に 判断するという機会を奪う事をも意味しており・・
まぁ 何も考え無くても見える事から・・
その事が解って居て 適材適所で こちら側が選択して見ればいいだけの事なんですけどね (^^ゞ
ただ・・ 最近の世の中の傾向として 余りにも この風が多くて・・
ポップ過ぎて それが返って 社会の閉塞感を生みだしているんですよね・・ "(-""-)"
便利に使っているつもりが・・
でも その実は その人自身が 集合論の一部と化して、為してしまっている事に気付かないで ”居る”って事です。。。
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