野川紀行
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2016/10/15(土) アイデンティティー 2
そこから発するに・・

自己のアイデンティティーとは 人によって その大きさ・深さ・容量・・等が 全く違う・・ って事なんです。。


まぁ これまた然り・・ なんでしょうが、、



一体・・ 音楽と文学の区別って・・

日本語のあやでしょうが・・ 音学と文学となら まだ割り振れるのでしょうが・・


そもそも 文字ってのは 
       音ってのを、   形として 記号化して表したモノであり、

その意味では、
文字が先・・って事は 有り得ない話しなんですね・・(-。-)y-゜゜゜


もし、、 それらが無かったら・・?!

の 我が事として 先祖返りして診れば?! 解る事です <(`^´)>


そして、、 目に見える形を表したのが 象形文字であり・・



然るに・・ 現代の表現方法としての 西洋音楽ってのは、
バロック音楽に端を発しており、、

バロック音楽ってのは、古代ギリシア辺りの 叙情詩に端を発してるんですね・・


つまり、両方が、共に・・ 含まれて居る・・ んですね・・


ここでの区切りのキーワードとしては ズバリ!!

「 ”詩” と ”歌” 」  との差異にあるんだと思います(^^♪

「歌わずして語るべし、されど 語ってだけ いたのでは歌にならない」

の本幹でもある訳なんですが・・ (^^ゞ


言い換えれば・・

詩を語るに より効果的に表現したモノが 歌 であって、

その意味では 文字というツールに置き換えた時点でも 十分にポップなモノが、

より 歌にする事によって 更に ポップなモノへと仕立て上げられる・・ って事に他ならないんです "(-""-)"


ただ・・ それだけのことなんです・・ "(-""-)"


より相手に伝える為に 語気を強めたり、弱めたり、
短くしたり長くしたり・・ 間を開けたり・・ と、、

音楽自体に 文学的要素が含まれて居るんです (^^♪


話す事と同じ・・ とも言えるんです。。


同じ文を朗読しても 上手い人のそれは 音楽に為ってますからね〜 (^^♪

音の高低・強弱・間合い・声色・・

それらを含んだ ”リズム” 自体が (^^♪


詩で言う所の 頭韻・脚韻  韻を踏む・・ 事と同じなんです。。



文学の世界でも ただただ羅列された・・

改行・改段・句読点 の無い文章は リズムが無く、
詠みにくいですからね・・ (+_+)

日本語で言えば、
長〜い 巻き物に ただひたすら カタカナがズラッと書かれている様を読んでいる姿を・・
自分に置き換えて診ていただければ・・ (-"-)


ポップについて言えば、

あれは より 大衆全体に いかに?! 知ってもらうか?
興味を持ってもらうか?


マルチン・ルター(プロテスタントの創始者)の讃美歌であり、

今で言う所の コマーシャルソング なんですよね (^^♪


ここに我あり!! の 御旗を立てる為の〜 (^^♪



さて ここで問題なのは、

その ポップな中に 一体どれだけのモノが含まれて居るのか?!


なんです。。


同じ 一(いち) でも そこに含まれて居る”解”の分子構造が問題なんです。。



さてさて・・

ボブ・デュランのノーベル文学賞受賞での問題提起・・


ここに来てやっと本題に入ることが出来ましたが・・ \(-o-)/


アイデンティティー の問題でもあるんですよね・・



そもそも ノーベルさんとは・・

大量破壊兵器に引用される結果に為った ダイナマイトの発明者なんでしょうが、、

もちろん そんなつもりでは無かったはずですが・・"(-""-)"


弟が先に死んだ時、
世間は、本人が死んだものと勘違いして、上記の様な 痛烈なバッシングを与え・・

しかも 本人はまだ生きていて これらの記事を読んでしまったもんですから、

世間の 自分への評価ってのを 生きながらにして 見てしまった訳で・・


これじゃあ〜 いかん!!

という事で、 罪滅ぼし?! をも兼ねて?!

慈善事業的に始めたのが ノーベル賞ですからね・・ "(-""-)"


もりろん これもまた 言語が伝えるモノであって、、

そのモノでは無いんでしょうがね・・ "(-""-)"


今の選考委員達のアイデンティティーの集約の結果が 世間に御旗を立てた昨日今日・・

今度はそれに対して 今生きて居る 我々の評価は・・

さて、、如何に?!


ここにもまた 個々のアイデンティティーが関わって来るんですよね〜 <(`^´)>


色々な主観・感想を含めた ”批判” があって 然るべし!!


だと思います〜 \(^o^)/



何故なら 不断に続く現世では また・・

それらの 個々の アイデンティティーの結果が 最大公約数として 文字へと昇華され、

過去へと流れて行くんですから・・ (^^♪



しかも・・

過去・現在・未来 それぞれが フィードバック しながら・・ (^^♪

2016/10/14(金) アイデンティティー
ちょうど  この・・ 読売新聞に挙がった文字を利用させてもらって 〜 (^^ゞ


全てはそこに含まれて居る・・ そこを構成して居る”解” にこそ ”解” が在るモノだと思うんですよね・・ (^^ゞ


”アイデンティティー”

新聞によると 司馬遼太郎氏の訳は ”割り符” だそうな・・


そうであって・・ そうでないような・・  

世の中に ”同じ” モノが無い・・

でもそれではそれがどういうことなのか?! が解らない為に・・

敢えて?! 限定的命題を課して ”=(イコール)”というのを作為的に創りだして そこに含まれる”解”を求めようとしたのが

代数幾何学・・ だと思うんですね (^_^.)


言語を含む ”記号”ってのに置き換えて・・ の作業の事を指します。。


そこに在る 同位体と同異体との”差異”を見い出す為に・・


本来の姿・・ そのままの形ってのは 
本来・・ 置換不可能・・ な作業ってのが絶対である事を知りながら・・


言葉ってのは そのモノ自体が 既に 置き換えられているからこそ、、 そこには色々なモノが含まれてしまっているから・・

人々が共通媒体として用いるツールとしては 大変便利なモノではあるんですが、、

人によって解釈が違うのもまた・・ これ然り・・ なんですよね・・ "(-""-)"

本来の姿が・・ ”同じ”でない以上 これもまた当然の事かと・・ "(-""-)"


あ・・・ いつもの如く まだ本題に入ってないにもかかわらず、
前置きに 多言を要してますが・・


これもまた、”軸”を決める為の ”定義付け”のようなものでして・・

先日にも記述しました 

外に向かって 広げる為の <(`^´)> 
”バッキング” する為のモノだと解釈して下さい。。


人が その瞬間に どう割り切って判断するのか!!

その連続性の結果が、今に繋がってるんですが、、


アイデンティティー = 割り符  ってのもいいですね〜 \(^o^)/


その時その時の決断・・ でもあり、

決断をする瞬間の上では 差別・分別・区別 ってのが必要であり、、



”差別” って単語の中に 

自らが 限定的に箱を区切った中での差別のことを ”区別” と言い、

自らが請け負った 世の中の あるべき姿の中での差別を ”分別”と言う。。


これが私の定義付けです <(`^´)>


最初から区切られた中での差別・・ ってのは、

最初から最大公約数の中での差別でしか無く・・

それでは そのどちらの単語にも さしたる差異は無く・・


これでは 池の中の鯉も育たない・・ って 寸法です・・ (-。-)y-゜゜゜


せめて 太平洋に出ないと・・  

くらい・・     で 無いと・・ ( `ー´)ノ

2016/10/09(日) 時空間を制する!!
バッキングする!! 
音を出す!!

の本幹がそこには在りました!!

確かに!! それは 必要だったんです!!!


「 そこに音を打ち込む!! 」

サジェスト(提案)するの意味でのそれは、

確かなる ”そこ” を示すモノであって、、

しかもそれは同時に そこを帰着点として 次への一歩たる 始発点をも示すモノなんです ( `ー´)ノ

解説が解決へと、
聞いた事があるが 聞いた事がない へと、、

過去の だから・・ を
未来の だから・・ へと、、


つまり 事が有る!! 事に対しての ”臨界点” ”境界点” に為って居る事が 絶対必要条件なんです。。

最小公倍数の結果が 最大公約数になる、、

当に!! 瞬間の連続が事実を為さしめる・・


あ・・・   また こ難しい表現になってしまいそうですので、

その 音を出す瞬間の事を フォーカスして 物語風に言い表し(換え)ます!! (^-^)



「 柔道の技を仕掛ける時に、左足の親指を 赤いライン際に残したまま 大技を繰り出す その 瞬間の連続・・ 」

右利きの私が 背負い投げか 内股を掛けてる様です。。


赤いライン上ってのは 当に 規定範囲内という”極”を表してるモノで、

その外ばかりで 大技が決まった所で、

それは 場外 → フリー という事で ”無効” となるのです。。

あくまでも 親指は 有効ラインに掛かってないと・・


幼稚園児の描いた絵と 絵を描くに必要な要素を全て習得した ピカソが描いた絵とでは

同じようでも 異なるモノ って事と同じです (^^ゞ

既存するモノを使って その先に在る所での勝負!! の連続が結果に繋がる・・


このライブでの景色ってのは その瞬間瞬間の連続が・・結果・・

一夜のライブ自体が 瞬間 に為ってた・・ って事でした。。


先日描いた クロード・モネ の ”絵” と 同じです。。

点と線で描いた集合体・自体が ”点” に為ってた・・ っていうのと・・



でも、その実は・・

この ”境界線” ってのを 自らが設定する作業・・ ってのが、難しいんですよね・・ "(-""-)"

知り得る限り・・ ってのが 同時に、自分の知ってる範囲・・ って事を指すからなんです (^^ゞ


だから、 その知り得る範囲ってのを 普段から、
自ら 広めておく必要が そこにはあるんです <(`^´)>

そうすれば その円(縁)は 

出す技の連続の結果・・

自ずから広がりますからね〜 (^^♪


そうやって 限られた円を使って 無限に その円・自体を広げる事が出来るんです!!


その結果・・って、

そこには もはや・・

時間・・ って寸法は存在しない・・

・・ って ”寸法” に為る! わけなんです。。。



そこに・・ 

時空間を制する!! ってモノの正体が・・


これが、 私の ”訓読み” です。。。。


全てがそこに含まれて居る・・  正体です (^^♪

2016/10/08(土) 言葉の先に在る”言葉”
ゲル氏(ピアノ)〜とのデュオ演奏、、

この三年間 自らが、自らの意思を以てして・・

ただひたすらにフォーカスし 微分化してやり続けて来た事が ”実” と為って現れた瞬間瞬間の連続でした!!


逆に言えば、

この瞬間を創りたい・・ この瞬間の中に浸りたいがためにあった様な〜 三年間だった・・ とも言い換えられます (^^♪

瞬間の中に全てが含まれて居る!! という言葉を現実の下にさらけ出した

結果・・ 世の中の振る舞いへと昇華した・・ような〜 (^^♪


それは、

言葉になる前の言葉・・ であり、
音楽になる前の音楽・・ 

なんです。。


これが インプロビゼーションの本幹であり、

”そのままの形” そのモノの正体だったんです。。


これまで ここで 随分と書いて来た こ難しい?! 論文調の文面の数々をすべて含んだ・・


今日のライブの実現の前では、

これらすべては・・ 

もはや!! 語れば語るほど ”形骸化” するのでは?!

と思われるほどの そのままの形 だったんです!!!

言葉ってのが ただの?! 記号論理学 である事の 証明の様な・・


ただ、、

ライブって、 その瞬間に そこに居合わせない限り、ライブで無いが故に、

その 記号を使ってのみでしか 言い表せないのを承知の上で・・

ここで、報告いたします。。 (^^ゞ

2016/10/02(日) 続き・・
近年 小生が 外界に触れる事を極度に抑え、

ひたすら 自分の中のオリジナル・・ 

言葉になる前の ”音”を出す為の作業に費やしている・・ って現状は このためなんです。。


これが ”自分自身を微分化する” って事への 訓読みです。。


いよいよ来週の土曜日 10月8日 に その一端を発するに至ります!!

その一端は一瞬であっても 全てはそこに含まれる・・

「時間の中に瞬間が”有る”のではなく、瞬間の中に時間が”在る”」

ちなみに 有る と 在る は フィードバック可能です〜 (^^♪



そのモノを決めるのはそのモノにして非ず、
他のモノをして有らしめるモノである!!

私の言う 陰影法であり 遠影法です。

この場合の 光 と 影 は フィードバックOKです・・

というか 物事には 表裏一体で含まれて居てしまっているから、
見えにくくなってるだけの事なんですけどね・・

光の正体を診る為に そこから出来る (結果としての)影を分析し、
さりながら・・ 
影というのは 光が無ければ出来ない・・


そこに含まれる”解”を診るには 特化した限定的命題を科して、
その痕跡たる ”影”を診るのが 最も適した方法論の一つですからね ( `ー´)ノ


”今の自分の立ち位置” を決めるのも然り・・ です。。


最近では プロのピアニストの方々と ちょいちょい・・ クラリネットで吹かせて貰ってるんです (^^♪


自分自身ってのを決めるのは また 他人ですからね・・

しかも その他人ってのは 自分からは かなり自分勝手に限定的に位置付けられますからね <(`^´)>

(実は この 限定的命題を科すって事自体が難題ではあるんですけど・・ それは 多項に譲って・・)

      ↑ ↑  

   絶え間の無い 演繹法と帰納法による だから・・ です。



その他人から帰って来る言葉 音 を聞いて見れば・・

おのずと 自分の位置ってのが解る!! って寸法なんです (^^♪


もちろん 絶対条件としては その相手に どれだけ自分が請け負って位置付けられているのか?! ってのがありますけどね・・


これはホント・・ 解り易いですよ〜 \(^o^)/


その他大勢の バカ三流大学の輩達からの無機質な反応とは違って、
自分の言葉でしゃべる ベテラン系のピアニスト達が 私の問い掛けに対して しゃべってくれる言葉ってのは \(^o^)/


数人の方とやらせてもらってのですが、
それだけで 10冊の本が描ける程に・・ (^^ゞ


ただ・・ 事実として・・

私と たった一曲やってしまったが故に、
その方々は その後の曲では 時空の軸がずれてしまってました・・ "(-""-)"

そうならない方も一人だけ居るのですが・・


10月8日(土)の共演者 森下氏は その両方を兼ね備えている人ですから、

相当楽しみです〜 (^^♪

2016/10/01(土) クンタ・キンテ
10時間弱に及ぶドラマです。。

小生にとって 心に残る3大作の一つです。。


ちなみに後は・・ ”二百三高地”(座布団運びの山田君:豆腐屋役) ”関ケ原”(加藤剛:石田三成役)


”ルーツ”と題されての CS放送だったのですが、、

1977年のオリジナルを 近年、
リメイクして 更に 史実を基に より忠実に再現したモノを世に出したお蔭で、両方を観る事が出来たんです!!


番宣では 今回のは オリジナルでは間違った表現だったもの(民族衣装であったり 民族音楽であったり・・)
を 手直しして取り入れた・・ との事でした・・


両方合わせて観るのに 20時間弱を要しました・・ "(-""-)"


結果・・・ オリジナルの完勝でした〜 \(-o-)/


そこに ”時代の流れ” を感じざるを得ませんでした・・(-。-)y-゜゜゜


最新作のは より ”デジダル化” が進んだことによって、
ブツ切れの 切り貼り的な・・

観る人に 〜ねばならない!! という ”意図”  作為・・
やらせ・・

という単語に象徴されるようなモノに仕立て上ってたんです。。


学者の研究材料的には適してるんでしょうけどね・・"(-""-)"

編年体的な・・ 箇条書き的な・・ カタカナ的な・・


とにかく 細部にこだわり過ぎる事から来る、、

”全体像”ってのが 返って見えにくくする原因と為ってたんです (+_+)


私を含む 我々ってのは 物語的な 紀伝体的な 連続性がある方が 世の中の振る舞いとして スッと入って来ますからね・・ (^^ゞ


それは・・

デジタル的な極地の不断なる連続性の結果・・が ”普段”というワードに昇華されているからです。。

それを ”自然” と大きく詠む人もいますが・・


結果は同じでも 意外と?! 入る順番が違うと そこに含まれる結果の分子構造ってのは違うんですよね・・


ここにも 量子力学に於ける 

同じ画素数であれば・・

動画にして観れば、全体像が(ぼんやりとながら)把握出来るが、

ぼんやりとした画像を より鮮明なモノ(高画素数の静止画)に集約した時には、極地でのハッキリとしたモノとして
捉えられる変わりに 今度は全体像が見えなくなる・・


これを同時に観る事が出来ない・・ ってのがジレンマなんです。。


だからこその!! フォーカスであり、アングルチェンジであり、
その時の局面ってのを限定付ける!! 微分!! ってのが必要条件になるんです <(`^´)>


「木を見て森を見ず」 にも通ずるのですが・・

昨日の読売新聞の編集手帳での それについての論調が 安かったですね〜 (ー_ー)!!

言葉が上滑ってました・・ "(-""-)"


当にこれもまた 最近の プロとアマチュアの境界線の曖昧さを象徴するかのごとく・・ "(-""-)"


プロたるものは ”矜持” を真摯に持つべきであるのに・・


これも 時代の流れによる 集約・集合化 → マニュアル的な無個性化・・


一言で言えば、、  「 換えが利く 」 って事です。。


代表例で言えば 歌丸さんが降板した 笑点です。。

たわいのない話しでも、プロは違うんです・・ 
結果に含まれて居る 過程ってのが違うんです・・

しかるに・・ 


たけしさんの言を借りれば・・

「バカ三流大学の学芸会・・」 の様相を 笑点の中にも観る事が出来てしまうんです・・

ただ楽しいだけの・・ その場だけのポップなモノに・・

あれだと 他の人が そこに代わっても 違和感なく成り立ってしまいますね・・ "(-""-)"

これが ”換えが利く” の訓読みです。。


もちろん これはどの世界にも 集約化する 現在の時代の流れの中に含まれて居て、、


それが 私にとって 一々 見たくも無いのに目にしたり 聞こえたりするが故に、大変なんです _(_^_)_


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