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2016/10/01(土)
クンタ・キンテ
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10時間弱に及ぶドラマです。。
小生にとって 心に残る3大作の一つです。。
ちなみに後は・・ ”二百三高地”(座布団運びの山田君:豆腐屋役) ”関ケ原”(加藤剛:石田三成役)
”ルーツ”と題されての CS放送だったのですが、、
1977年のオリジナルを 近年、 リメイクして 更に 史実を基に より忠実に再現したモノを世に出したお蔭で、両方を観る事が出来たんです!!
番宣では 今回のは オリジナルでは間違った表現だったもの(民族衣装であったり 民族音楽であったり・・) を 手直しして取り入れた・・ との事でした・・
両方合わせて観るのに 20時間弱を要しました・・ "(-""-)"
結果・・・ オリジナルの完勝でした〜 \(-o-)/
そこに ”時代の流れ” を感じざるを得ませんでした・・(-。-)y-゜゜゜
最新作のは より ”デジダル化” が進んだことによって、 ブツ切れの 切り貼り的な・・
観る人に 〜ねばならない!! という ”意図” 作為・・ やらせ・・
という単語に象徴されるようなモノに仕立て上ってたんです。。
学者の研究材料的には適してるんでしょうけどね・・"(-""-)"
編年体的な・・ 箇条書き的な・・ カタカナ的な・・
とにかく 細部にこだわり過ぎる事から来る、、
”全体像”ってのが 返って見えにくくする原因と為ってたんです (+_+)
私を含む 我々ってのは 物語的な 紀伝体的な 連続性がある方が 世の中の振る舞いとして スッと入って来ますからね・・ (^^ゞ
それは・・
デジタル的な極地の不断なる連続性の結果・・が ”普段”というワードに昇華されているからです。。
それを ”自然” と大きく詠む人もいますが・・
結果は同じでも 意外と?! 入る順番が違うと そこに含まれる結果の分子構造ってのは違うんですよね・・
ここにも 量子力学に於ける
同じ画素数であれば・・
動画にして観れば、全体像が(ぼんやりとながら)把握出来るが、
ぼんやりとした画像を より鮮明なモノ(高画素数の静止画)に集約した時には、極地でのハッキリとしたモノとして 捉えられる変わりに 今度は全体像が見えなくなる・・
これを同時に観る事が出来ない・・ ってのがジレンマなんです。。
だからこその!! フォーカスであり、アングルチェンジであり、 その時の局面ってのを限定付ける!! 微分!! ってのが必要条件になるんです <(`^´)>
「木を見て森を見ず」 にも通ずるのですが・・
昨日の読売新聞の編集手帳での それについての論調が 安かったですね〜 (ー_ー)!!
言葉が上滑ってました・・ "(-""-)"
当にこれもまた 最近の プロとアマチュアの境界線の曖昧さを象徴するかのごとく・・ "(-""-)"
プロたるものは ”矜持” を真摯に持つべきであるのに・・
これも 時代の流れによる 集約・集合化 → マニュアル的な無個性化・・
一言で言えば、、 「 換えが利く 」 って事です。。
代表例で言えば 歌丸さんが降板した 笑点です。。
たわいのない話しでも、プロは違うんです・・ 結果に含まれて居る 過程ってのが違うんです・・
しかるに・・
たけしさんの言を借りれば・・
「バカ三流大学の学芸会・・」 の様相を 笑点の中にも観る事が出来てしまうんです・・
ただ楽しいだけの・・ その場だけのポップなモノに・・
あれだと 他の人が そこに代わっても 違和感なく成り立ってしまいますね・・ "(-""-)"
これが ”換えが利く” の訓読みです。。
もちろん これはどの世界にも 集約化する 現在の時代の流れの中に含まれて居て、、
それが 私にとって 一々 見たくも無いのに目にしたり 聞こえたりするが故に、大変なんです _(_^_)_
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