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2016/05/02(月)
豊橋にて〜(^^♪
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一年振りの 同じ地点でのセッションでした。。
あれから 1年という時点の違いでの 同場所での ”事実” という見方にしたら、
随分と違うモノに為って居ました (^^♪
それは 自分が決める事では無く 周りに居る人が決めた結果であって・・
その事実を客観的に観る事によって 自分自身を”診る”という作業が出来た訳なんです〜 (^ω^)
それに対する私自身の感想→主観としては、、
”活ける(行ける)” が直感でした ( `ー´)ノ
この判断は 自らが 自らの経験をベース(基)にして出したモノであり、 そのモノに対して 自らが ”請け負う”事の出来るモノでもあるんです〜 <(`^´)>
とにかく 来週の金曜日:13日 の 「世清」 への 試金石に為るモノだと確信しました。。
・・ というか 試金石自体に”解”を含ませて居るが故に、
試金石自体が”金”に為る!! と表現した方が適格かな?!
そして もう一つ気付いた事が・・
豊橋の仲間たちとの会話の中で、
「日本語を使って〜(^^♪」 というのがありまして・・
日本語で訓読みした結果が”音”に置換され、、 ってのがありまして、
ここで 限定的命題としては、
カタカナでのそれは ただの”音読み”であり、 漢字のそれは 漢字自体が意味を持つ フレーズのワンセンテンス・・であり、(つまり 戦術と置き換えます)
それらのモノを含ませ 掛け合わせた結果・・
::: 二次元上での表記に限定した場合 :::
カタカナ→点 漢字→線 という事になりますが、
面=ひらがな で表記されることになります。。
それが 「「 ゆ 」」 (一筆書きの) なんですね〜\(^o^)/
ま・・ そうであって そうでないとも言えますが、 上記の限定の基には そう言い切れるんです!!
一つの音 一つ一つのフレーズの連続性を以てしての 結果を為すモノ・・ って意味です。
それら一つ一つを遮断する細胞壁を取り外し、 全てを含めた一つの細胞へと昇華した結果が
一つのひらがな ゆ という文字に置換されるって寸法なんです。。
「全てはそこに含まれ そこは全てに含まれる」
っていう 自然の法則を 私が訓読みした結果が ゆ の一文字に表す事が出来るって事です \(^o^)/
これは 私にとっては ”同位体・同異体”であって、
つまり 同音異義語 って訳なんです。。
とどのつまり 反対から詠めば、
”音楽” っての 訓読みが それに相当するモノだと言えるんです!! (^^♪
さて その発する地点と時点(→事実を為す)が決まって居る訳ですから、
(( 13日(金)狛江:アド・ナインス 20:00 スタート ))
後は 過去の歴史に於ける だから→ をベースにした 未来に於ける だから⇒♪ を為すだけです!!
未来が”今”を作る という 絶対の域のモノを 表現する未来が来週末の金曜日に”有る” という事に為りました〜 ( `ー´)ノ
完全なる ”生モノ”に為る事 間違い無し!!
そして 生モノは 美味しければ美味しいほど・・ 保存が効かないモノである・・
置換が効かない・・
んです・・・ "(-""-)"
あ・・ 今 これを書いてて気付いたのですが・・
”今”を基準にした時に
過去に対する 「だから〜」は 理屈っぽい 屁理屈になりがちで、
未来に対する 「だから〜」は 積極的な 指向性を表す モノになります・・
同じ 接頭語でも 時点へのベクトルが違えば 意味(方向付け)自体が変わるもんです・・
*** 未来に対しての だから〜 を積極的なモノにする為には ***
*** 過去に対しての だから〜 を屁理屈なモノにしない為には ***
真ん中に ”今” という ”軸” を設定してから、 過去の事実に対する だから〜 へと向き合わなければ、
過去の事実に含まれる だから を研究するだけの事になってしまって、
それは・・
本来の目的が見失われて ・・ 俗に言われる ・・
「目的を達成する為の手段が 目的化してしまう・・」
森を見ずして 木だけを見てしまう・・
→ どうか してしまう・・
って結果に為ってしまうんですよね (+_+)
過去の ”だから”を ただの研究材料としての 屁理屈的なモノにしない為には、
真ん中の ”縦軸” 今 を作って その左右に 過去・未来 を設定するのが良策だと思うんです。。
私の表出する ゆ の一文字には それらを含んだ→ ”今”を表現しようとする”生モノ”なんです <(`^´)>
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