|
2016/05/06(金)
バック・トゥー・ザ・フューチャー
|
|
|
1・2・3と シリーズで一挙放送を観ました〜 \(^o^)/
1985年の映画ですが、当時 映画館へ行くことを禁じられていた高校時代ですので、
私が実際に目にしたのは テレビ放送(1989年)頃だったんでしょうね・・
その後にも 再放送を観たのか? 大学へ入って 暇つぶしにビデオショップで借りて観たのか?!
とにかく 複数回は見ているってのが実際の所だったんです・・
今晩観たそれ(映画)は、、
直ぐに”答え”を見付けるのではなく、 時間を経ての自分の中での感想→主観が ”詩”に為って居る事への再確認出来るモノでした。。
映画を観た時の自分(今から約30年前・・)ってのは まだ 日本語ってのに置換出来なかったって事でもあるんですけど "(-""-)"
それは・・
「 時間への概念 」 です。。
「全てはそこに含まれ、そこは全てに含まれる」 って 自然の法則であり、
その事は 生物界で言う所の 我々 有機物の初期の原生生物:ルカ ってのは 細胞壁に穴が開いていて、 元来は オープンだったっていう事であって・・
我々の意識する ”時間” ってのに対しての 私の概念とは・・
「時間の中に瞬間が有るのではなく、瞬間の中に時間が在る!!」
ってのが ・・
私が ”時間” ってのを ”訓読み” したモノに 最も近い、そのモノで有る様な気がするんです (^^ゞ
”今を構成する” ってのと 同音異義語です。。
そこに含まれてしまって居るからこそ、差別化する為に 最もハッキリ・くっきりと細胞壁を作る作業→
これが 代数幾何なんです <(`^´)>
最強のツール 数字化 って訳です。。
限定された命題の範囲内で・・
例えば 数独 ですが、、
そこに当てはまる数字ってのは そのモノが決めるのではなく、 他の数字が それを決めるのであって・・
これは 人間社会でも同じなのですが、、
数字と違うのは 細胞壁が無い→ 限定されない・・ ってのが ジレンマでして・・
逆に言えば ”どうか” してしまわない為に 限定する為に 記号化→数字 ってのに置き換えてしまえば、
客観視出来てしまう・・ って ”寸法” に為るんです・・
結果が 今の ”経済” ってのに 例えられた事実として在るんですけどね・・ (ー_ー)!!
日本語に含まれて居る”解”ってのと対比して診ても、
日本人の 「数字に対する苦手意識」 ってのは 私には解るんです・・
本来 我々にとって都合良く使うためであった筈の数字が・・
我々を逆に 追い込む結果に・・
「時間に追われる・・ 営業成績の数字に追われる・・」
ってのは ほんの一例です・・ "(-""-)"
人から見た数字って意味では 本末転倒ですね "(-""-)"
私の受けて来た教育の範囲内では、
数学のテストで 「何について解かせようとしているのか?」
自体が理解出来なかった事がよくあったんです。。 "(-""-)"
「一体、なんの為に?!」 って事が・・
屁理屈の様にも思えますが、
この数式を解かせるのに 一体 どういう意味が在るのか? が解らなかったんです。。
まぁ 今から考えれば クイズ・ごっこ だったんでしょうね・・"(-""-)"
日本人得意の? 途中の命題(仮定)自体が目的化する・・ ってやつです (+_+)
しかも 相手(教師)は 正解を あらかじめ持って居るし・・
その場とは ”伏魔殿” の様です・・ (ー_ー)!!
数式とは 本来 そこに含まれてしまって ”同化”して居るモノを、目に見える形に置き換えて 客観視する為のモノであるんです。。
この事は 別に・・私が決めたのではなく、
過去に於ける 歴史の だから〜 なんです <(`^´)>
「数字を訓読みする!!」
これはまた、、 13日のライブでのモチーフに含まれて居るんです!!
その時のライブで ”実” を為さないと、
私はただの 「机上の空論・・ 砂上の楼閣・・」主義者に為って終いますからね・・ (>_<)
おしまい・・ (^^♪
|
|
|