野川紀行
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2016/05/08(日) マニュアルを読む・・
・・という事は、

与えられた・・ そこに限定された・・ モノを固形化して・・

主観を外し・・ 粛々と・・ 自らを無機質化して・・ ・・

言われた事を ただそのままに・・



これが ホントに出来ないんです・・ (>_<)

ただ読むのではなく、 ”詠んで” しまうがためなんです・・ "(-""-)"

訓読みしてしまうって事と 同位体です。。


最近の例を挙げれば、

車のワイパーのゴムを付け替えるだけの作業に 1時間半・・

大雪のためにタイヤチェーンを施す作業に 4時間・・


しかも、、 大雪が降る事が判っていたため、前日の良く晴れた昼間に 家の庭で 
事前に、予行演習を行い 5分程度で装着する事が出来る様になっていたにも関わらず・・ "(-""-)"

老若男女にも分かる様に書かれた 家電製品の説明書・・

上に同じ・・ なんです・・ "(-""-)"

「手前」が、どこの軸に対してか?! によって、

手の前(まえ)→自分の手に近い所なのか?
手の前(さき)→自分の手の先の方なのか?

事実に対する地点の設定場所が変わってしまうんです・・ "(-""-)"


今日の問題になったモノは・・ 新聞に掲載されていた 料理のレシピからやって来ました (+_+)

 
         *************

「タコの卵焼き」

卵・・・・・・・・・・・・・2個
塩・・・・・・・・・小さじ1/4弱
小麦粉・・・・・・・・・大さじ2
水・・・・・・・・・・・大さじ2
ゆでタコ・・・・・・・・・50g
サラダ油・・・・・・・・大さじ1

@ボウルに小麦粉と水を入れよく混ぜる。
A別の器に卵を割りほぐし、@に加えてよく混ぜる。タコ、塩も加えて混ぜる。
B小さめのフライパンにサラダ湯をを熱し、Aを一気に流し入れる。箸で大きく混ぜ、8〜9割火を通す。
C裏返して中まで火を通し、タコが見える面を上にして皿に盛る。


これに 説明文の1ヵ所を抜粋します。
というか、この抜粋した一文が私の”軸”を決めてしまう きっかけに為ってしまったからです・・ "(-""-)"

「作り方のポイントは、あらかじめ小麦粉と水を混ぜ合わせておき、そこに卵を加えて混ぜること。ダマを作らないためだ。」


つまり、、この文によって 私の軸→ 川で言えば ”本流”ってのが @ に為ってしまったんです。。。


*******************

レシピの一文:::::::::: 「別の器に卵を割りほぐし、@に加えてよく混ぜる。」

上記の解説文の一文:::: そこ(@)に卵を加えて混ぜること。

*******************

{ってのがその根拠で、私にとっては @は 加えられる 基になるべきモノであり、、}


その@に加えられるのは 

:別の器に卵を割りほぐされたモノであり、
:タコ、塩

として捉えられたんです。。



これが @を”本流”として理解してしまった訳で・・

{{ 本流では無く・・

@を Aで混ぜ合わせたモノの ”源流”として理解して居れば良かったんですけどね・・ (^-^; }}



ここで 要らぬ常識が働いてしまったんです。。。

つまり、「本流であるならば、(川が)大きい→水量が多い」 モノへと変換されてしまったんです (^^ゞ


そうすると、、

@の (全てを加えられるべき::)ボールってのが大きくなるって寸法へと為るんです・・

しかも、Aが そのボール内に加えられ、よくかき混ぜられる
十分な大きさでなくてはならないって事でもありますし・・


そうなると、最初にそのボールの中に在る 小麦粉と水ってのが、
マニュアル通りの量(大さじ2づつ)だと、

微量であり 実に ”物足りない” って想像力が発動されてしまったんです "(-""-)"

それに気付いたのは @にAを加えた瞬間だったんです。。

(私にとっての) ”本流たる”
 
@=(ボールの)中には 割りほぐされた卵より大きい質量の・・小麦粉と水をかき混ぜたが液体が 堂々と鎮座して居たんです。。

  本流として 実に!! ”威風堂々とした” モノが・・


本来なら 割りほぐされた卵への味付けとしての源流である筈の@の方が メインになってたんです・・


その様は・・ 客観的に言えば・・ まさに・・

大量の水の中に よくかき混ぜた生卵を投入するかの如く!! だったんです。。 "(-""-)"




時すでに遅し・・

出来上がったのは・・ 


塩を加えた、 しょっぱいホットケーキであり、、

具として タコがアットランダムに顔をひそめる・・


「中までよく火が通り、固くなった平面的:巨大タコ焼き」

ってなブツ(モノ)でした。。

もちろん 焦げ付いて焦げ臭かったのもありまして、、

ウインナーを添えて、ケチャップとマスタードで口の中に入れました。。


とは言っても ”瓢箪から駒” ってな風には為り得ず・・



自分のマニュアル弱さ加減ってのを 再認識するだけの事件へ・・としか昇華(消化)しませんでした・・ "(-""-)" 

2016/05/06(金) バック・トゥー・ザ・フューチャー
1・2・3と シリーズで一挙放送を観ました〜 \(^o^)/

1985年の映画ですが、当時 映画館へ行くことを禁じられていた高校時代ですので、

私が実際に目にしたのは テレビ放送(1989年)頃だったんでしょうね・・

その後にも 再放送を観たのか? 大学へ入って 暇つぶしにビデオショップで借りて観たのか?!


とにかく 複数回は見ているってのが実際の所だったんです・・



今晩観たそれ(映画)は、、

直ぐに”答え”を見付けるのではなく、
時間を経ての自分の中での感想→主観が ”詩”に為って居る事への再確認出来るモノでした。。


映画を観た時の自分(今から約30年前・・)ってのは まだ 日本語ってのに置換出来なかったって事でもあるんですけど "(-""-)"



それは・・


    「 時間への概念 」 です。。


「全てはそこに含まれ、そこは全てに含まれる」 って 自然の法則であり、

その事は 生物界で言う所の 我々 有機物の初期の原生生物:ルカ ってのは 細胞壁に穴が開いていて、
元来は オープンだったっていう事であって・・

我々の意識する ”時間” ってのに対しての 私の概念とは・・


「時間の中に瞬間が有るのではなく、瞬間の中に時間が在る!!」

ってのが ・・

私が ”時間” ってのを ”訓読み” したモノに 最も近い、そのモノで有る様な気がするんです (^^ゞ

”今を構成する” ってのと 同音異義語です。。


そこに含まれてしまって居るからこそ、差別化する為に
最もハッキリ・くっきりと細胞壁を作る作業→ 

これが 代数幾何なんです <(`^´)>

最強のツール 数字化 って訳です。。


限定された命題の範囲内で・・

例えば 数独 ですが、、

そこに当てはまる数字ってのは そのモノが決めるのではなく、
他の数字が それを決めるのであって・・

これは 人間社会でも同じなのですが、、

数字と違うのは 細胞壁が無い→ 限定されない・・ ってのが ジレンマでして・・


逆に言えば ”どうか” してしまわない為に 限定する為に 記号化→数字 ってのに置き換えてしまえば、

客観視出来てしまう・・ って ”寸法” に為るんです・・


結果が 今の ”経済” ってのに 例えられた事実として在るんですけどね・・ (ー_ー)!!


日本語に含まれて居る”解”ってのと対比して診ても、

日本人の 「数字に対する苦手意識」 ってのは 私には解るんです・・

本来 我々にとって都合良く使うためであった筈の数字が・・

我々を逆に 追い込む結果に・・

「時間に追われる・・ 営業成績の数字に追われる・・」

ってのは ほんの一例です・・ "(-""-)"

人から見た数字って意味では 本末転倒ですね "(-""-)"



私の受けて来た教育の範囲内では、

数学のテストで 「何について解かせようとしているのか?」

自体が理解出来なかった事がよくあったんです。。 "(-""-)"


「一体、なんの為に?!」 って事が・・


屁理屈の様にも思えますが、

この数式を解かせるのに 一体 どういう意味が在るのか? が解らなかったんです。。


まぁ 今から考えれば クイズ・ごっこ だったんでしょうね・・"(-""-)"

日本人得意の? 途中の命題(仮定)自体が目的化する・・ ってやつです (+_+)


しかも 相手(教師)は 正解を あらかじめ持って居るし・・

その場とは ”伏魔殿” の様です・・ (ー_ー)!!



数式とは 本来 そこに含まれてしまって ”同化”して居るモノを、目に見える形に置き換えて 客観視する為のモノであるんです。。

この事は 別に・・私が決めたのではなく、

過去に於ける 歴史の だから〜 なんです <(`^´)>



「数字を訓読みする!!」

これはまた、、 13日のライブでのモチーフに含まれて居るんです!!


その時のライブで ”実” を為さないと、

私はただの 「机上の空論・・ 砂上の楼閣・・」主義者に為って終いますからね・・ (>_<)


             おしまい・・ (^^♪

2016/05/05(木) うちの かえる君・・
庭の一角にある バラのふもとに居着いてるんです・・(^^ゞ

今年の春先に 剪定を施したところ 居を構えてたんです!!


そして その後も 数日間・・ 居なくなった時期もあるんですが、

また 再び戻って来るんです (^^ゞ


一体 どこにご飯を食べに出掛けてるのやら <(`^´)>


これで 結構大きいんですよ 約15センチ位・・


昼間はちょっと暑いらしく 穴を掘って じっとして居ます。

そして 夜になったら 何処かへ出掛けるみたいです。。

でも、、次の日の朝には ここに帰って来るんです・・


何時まで居るのやら〜 (^^ゞ

2016/05/02(月) 豊橋にて〜(^^♪
一年振りの 同じ地点でのセッションでした。。

あれから 1年という時点の違いでの 同場所での ”事実” という見方にしたら、

随分と違うモノに為って居ました (^^♪


それは 自分が決める事では無く 周りに居る人が決めた結果であって・・

その事実を客観的に観る事によって 自分自身を”診る”という作業が出来た訳なんです〜 (^ω^)


それに対する私自身の感想→主観としては、、

      ”活ける(行ける)” が直感でした ( `ー´)ノ


この判断は 自らが 自らの経験をベース(基)にして出したモノであり、
そのモノに対して 自らが ”請け負う”事の出来るモノでもあるんです〜 <(`^´)>


とにかく 来週の金曜日:13日 の 「世清」 への 試金石に為るモノだと確信しました。。

・・ というか 試金石自体に”解”を含ませて居るが故に、

試金石自体が”金”に為る!! と表現した方が適格かな?!



そして もう一つ気付いた事が・・


豊橋の仲間たちとの会話の中で、

「日本語を使って〜(^^♪」 というのがありまして・・


日本語で訓読みした結果が”音”に置換され、、 ってのがありまして、


ここで 限定的命題としては、

カタカナでのそれは ただの”音読み”であり、
漢字のそれは 漢字自体が意味を持つ フレーズのワンセンテンス・・であり、(つまり 戦術と置き換えます)

それらのモノを含ませ 掛け合わせた結果・・ 


::: 二次元上での表記に限定した場合 :::

カタカナ→点
漢字→線     という事になりますが、


  面=ひらがな   で表記されることになります。。


それが  「「 ゆ 」」  (一筆書きの) なんですね〜\(^o^)/


ま・・ そうであって そうでないとも言えますが、
上記の限定の基には そう言い切れるんです!!


一つの音 一つ一つのフレーズの連続性を以てしての 結果を為すモノ・・ って意味です。


それら一つ一つを遮断する細胞壁を取り外し、
全てを含めた一つの細胞へと昇華した結果が 

一つのひらがな ゆ という文字に置換されるって寸法なんです。。


「全てはそこに含まれ そこは全てに含まれる」


っていう 自然の法則を 私が訓読みした結果が ゆ の一文字に表す事が出来るって事です \(^o^)/

これは 私にとっては ”同位体・同異体”であって、

つまり 同音異義語 って訳なんです。。


とどのつまり 反対から詠めば、

”音楽” っての 訓読みが それに相当するモノだと言えるんです!! (^^♪



さて その発する地点と時点(→事実を為す)が決まって居る訳ですから、

(( 13日(金)狛江:アド・ナインス 20:00 スタート ))

後は 過去の歴史に於ける だから→ をベースにした 未来に於ける だから⇒♪ を為すだけです!!

未来が”今”を作る という 絶対の域のモノを 表現する未来が来週末の金曜日に”有る” という事に為りました〜 ( `ー´)ノ


完全なる ”生モノ”に為る事 間違い無し!!

そして 生モノは 美味しければ美味しいほど・・ 保存が効かないモノである・・ 

置換が効かない・・


んです・・・ "(-""-)"


あ・・ 今 これを書いてて気付いたのですが・・

”今”を基準にした時に

過去に対する 「だから〜」は 理屈っぽい 屁理屈になりがちで、

未来に対する 「だから〜」は 積極的な 指向性を表す モノになります・・


同じ 接頭語でも 時点へのベクトルが違えば 意味(方向付け)自体が変わるもんです・・


 *** 未来に対しての だから〜 を積極的なモノにする為には ***

 *** 過去に対しての だから〜 を屁理屈なモノにしない為には ***



真ん中に ”今” という ”軸” を設定してから、
過去の事実に対する だから〜 へと向き合わなければ、

過去の事実に含まれる だから を研究するだけの事になってしまって、


それは・・

本来の目的が見失われて ・・ 俗に言われる ・・

「目的を達成する為の手段が 目的化してしまう・・」

森を見ずして 木だけを見てしまう・・


→ どうか してしまう・・

って結果に為ってしまうんですよね (+_+)


過去の ”だから”を ただの研究材料としての 屁理屈的なモノにしない為には、

真ん中の ”縦軸” 今 を作って その左右に 過去・未来 を設定するのが良策だと思うんです。。




私の表出する ゆ の一文字には それらを含んだ→ ”今”を表現しようとする”生モノ”なんです <(`^´)>


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