野川紀行
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2016/06/11(土) 一瞬の”タメ”
久し振りにセッションに行き、

瞬間の中に時間が在る・・ の実践版でした〜 (^^♪

これは 実際に経験しないと そのモノってのを 中々言い表せないのですが・・ と言っても 文字数・・無制限でしたら 解るまで書き表す事は出来ますけど・・ (^^ゞ


でも、、 言葉って 一体・・ <(`^´)>

音楽でのそれには 語気・抑揚・高さ・速さ・長さ ・・・ 等々 色付け出来る事によって 表現可能範囲が広まるのですが、

一方 言語だと・・
一対一の会話意外だとまだいいですが、

第三の事実点として抽出した時に、 ”定置化” するのは 困難ですよね・・ (-"-)


小生、、 この頃に 特に思うのですが・・

どうも、日本人の使ってる ”差別” って言葉が気になってしょうがないんです・・

そこで ここ数日間掛けて せめて何とか 自分の中に 腑に落ちるようになるまで 興味を傾けて診たんです・・ <(`^´)>

それをまた ここでは、、
言語という記号を用いてのみでしか 表現が出来ないのがジレンマでもあるんですが・・ "(-""-)"


日本人の大半の人が使ってる ”差別”とは ”分別” に過ぎないような気がするんですね・・ "(-""-)"

これは 与えられた・・ 囲われた社会の中に在って、
あるべき姿!! の範疇での 「区別」 に過ぎず、、

そこに 個人の主観たる ”判断” ってのが在していない・・


何故なら その社会に属して居る・・ 属すことに対して 
この国に於いては 何らの 契約をなされる事が無く、、

ごく自然に?! 居られるかの如くの ”体”為してるからなんです。。


いわゆる、、 常識・自然 ってのに対しての 態度 って事ですけど、、


それは別に その人によらず・・ その前から在った訳で、、 

つまり、 その人とは 本来 何の関わりの無い所で ”為された結果” ってのが常識であるのに・・

あたかも その常識内に居る事が正しい!! かの如く振る舞う輩の多いのが 昨今の実情のような気がするんです。。

自分の言葉でしゃべっていない・・

ただ 言葉だけが 上滑りしてるかの如く感じるのは そのせいのような気がするんです。。


日本人ってのは というか・・ 人間ってのは、、 瞬間瞬間の判断をする事を嫌うもんですから 仕方の無い所でもあるんですが、

日本人は特にその傾向が強いと感じるんです。。 

これは DNAに含まれる 村社会の社会構造であり、

”我”というものの 自分自身の、身の置き場への観念から来てる様な気がします・・"(-""-)"


よく耳にする言葉で (AC広告機構かな?!)

「よく相手の身になって考えて見てください」 ってのは、

相手の身になって考えて見れば解る一方、相手の身になって見ないと解らない!! ってのと反意語であり 同異義語のような気がするんです。。

毎日の 繁多な生活の中、、 常に 相手の身になって考えるってのは 不可能な事でもあり、

この結果が、 事が起こった時にのみ 関心が向けられる → 熱しやすく 冷めやすい・・ 
喉元過ぎれば熱さを忘れる・・ ってのに置換されるような気がするんです。。

日本語ってのは 話し手の主観が強く 観念的でもあるので、
最も形を為すのに大事な 第三点を為すのには 不都合な言語でもあるんだと思うんです "(-""-)"

あまりにも 生々しいが故に、戦争中の実体験を 積極的に話して来れなかった先人達・・とか・・

お蔭で その貴重な体験談を聞き逃してきた我々は・・ "(-""-)"



話しは随分と逸れましたが、、

私が関わってる音楽の世界でも この言語ってのが 大問題なんです!!


それは、、

安易に 「 (その曲) 知ってます!! 」 と言う輩の多い事・・多い事・・

私に言わせれば 彼らの ”知ってる” ってのは ”聞いた事がある” 程度のモノで、、

ホントに知ってる人ってのは 安易に 知ってる って言葉を使わないんです・・"(-""-)"


まぁ そういうデータがあるもんですから お蔭で そういう輩の発する言葉は 全く信用に足りないもんだと 差別する事が出来ますけど〜 "(-""-)"


個々の 主観に於ける”差別”の最小公倍数が その社会の 最大公約数の”分別”へと昇華されるべき!! だと考えるんです。。

大多数の輩の発する差別とは そこに 本来の ゼロベースでの 個人の主観が入って無く、

決められた範囲の中での分別・区別の事を言い、、

その結果は、、 「究極のカニカマ、ほぼホタテ」 という 同じ顔をした日本人作成へと昇華してしまうんでしょうね・・ "(-""-)" 


次項は 熱量保尊の法則と 微分・積分法 です。。 (^^ゞ


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