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2016/06/14(火)
その2
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やはり・・ 数回に渡って語らないと為らないンですね・・"(-""-)"
でも、、 一見?! 難解に見える これらの論文調のモノは、 極地での説明であって、、
よく私の言は、 煙に巻いたような・・ と表現されますが、 それはそうです (^^ゞ
あくまでも それら 一つ一つは 極限値の説明に過ぎませんからね・・
私がよく言うのに、私の言を聞くコツは・・
「全体を眺め詠み、眺め聞きするように〜」
ってのは、
それら一つ一つは 全体像を為さしめるための ただの”点”に過ぎず、、
絵画に置き換えれば、油絵の 点と線 に過ぎないって事です。。
近くで見れば ただの点でも 遠くから見れば 立体的な形を為すモノへと昇華するのと同じです \(-o-)/
これは 量子物理学に於いても同じで、、 不確定要素の核を為すモノでもあるんです。。
つまり・・
極限地に於ける量子の振る舞いとは、エンタングルメント(量子のもつれ)故に、予測不可能な世界であるがゆえに、 みる事は出来ないんです。。
我々が目にするのは その極小の世界に於ける、予測不可能な結果であって、
それは 観測された時点で決定付けられるモノなんです。。
その有り様を デジカメで例えるなら・・
(同じ画素数というのを絶対条件にした場合・・)
ズームアップした写真ってのは 鮮明に撮れるけど、 撮れる枚数は少なく・・
ましては 動画を録ったら 更に ぼやけたモノしか録れない・・
って事です。。
我々は連続した 絶え間の無い世界に住んでいるが故に、 全体像を、、 この ボケた状態でしか捉える事が出来ないんです・・
でも その瞬間瞬間には 極小の量子の世界ってのが在る!! のが事実でして・・
それを見るために 鮮明な画素数で見ると、 撮れる枚数が限られてしまうが故に、情報量が少なくなってしまい・・
全体像がボヤけてしまうんです。。 全体のストラクチャが解らなくなってしまうんです・・ "(-""-)"
まとめると・・
個々を見ようとすると全体像がボヤけ、 全体像を見ようとすると 個々がボヤける!!
というジレンマが そこには含まれているからなんです。。
現実問題が抱える問題も そこに含まれて居るんです。。
後で述べる・・ 篠塚氏の様に ぼ〜っとしか見えないのに ちゃんと見えるようにする為には・・
だからこその アングルチェンジ → 見方を変えての ”みる”作業ってのが 必要不可欠になって来るんです。。
”みる” の 三段活用 です!!
でも、、 職人の世界には それが在る!! んですよね \(-o-)/
1000分の1ミリの世界が・・
見えるんですよね 〜 <(`^´)>
実際に見るのではなく、
(もちろん 見る際の最大の情報源は 視覚ではあるんですが・・)
川上哲治氏が言っていた、 「打つ瞬間に ボールの縫い目が見えた!!」
ってのも ホントだと思います。。
一方・・
元・巨人軍にいた 篠塚氏が言っていた、
彼は、目が悪かったらしく、ボールが ぼ〜っとしか見えて無かったらしく、、
それがある時、よく見えるメガネをかけた所、
「ボールが見え過ぎて 返って打てなくなった!!」
球が ぼ〜っとして見えてる時の方が よく”見える”ってのが、
視覚が みるための ただの一つの情報源に過ぎない!! って事を、
例えられた事実として抽出してくれていると思います。。
ただし・・ そうやって ”みる” 為には、 絶え間の無い努力の連続が必要になりますが・・ ( `ー´)ノ
特化された者でないと、全体の中の その瞬間! ってのは 見えないもんです。。
音楽の世界でよく言われる、
「自分の”一音”を出すのには 10年掛かる!!」
ってのがありますけど、、
これは 全体の中で、自分の言葉として出せる音は ここ一番のここだ!!
という瞬間を 自分の判断で出す事が出来るのに 10年は掛かる!! って意味だと思うんです。。
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