野川紀行
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2016/06/12(日) リード職人・・
分別という枠の中でしか区別できない日本人って・・

と言ってる私は 遂に!! リードの 最後の領域に手を入れることを敢行しました ( `ー´)ノ

裏面はもちろんのこと・・

リードの両側 極めつけは 先のカット・・ (V字にしたり、ハートカットにしてみたり・・)

そうする事が どういう事なのか?! を 自らが経験して自分の言葉にする為・・です。。



おおよそ その道の人からは激怒されるほどの試行をやってきたんです・・

それでも 最後まで手を入れなかった領域こそが、、

ハート(真ん中より先の削られている部分)と リガチャによって固定される部分とを分ける部分だったんです。。

ファイルドカット、アンファイルドカット、と呼ばれてますが・・


要は ざっくり言えば、
かっちり カットされているファイルドカットの方が、
固定化されている分 音が出やすい(^^♪ というもんです。。

小生は初めから ハッキリと区分けされていない アンファイルドカットの方が使い勝手が良かったのですが・・ ('◇')ゞ


本日は もう どこをどう削っても使えない、破棄寸前のリードを、
ならば・・ という事で その区分けされているモノ自体を削って診よう!! という事になったんです。。

一体化 (楽器自体に一本化される事)・・ 状態にする事を意味します。


結果、

やはり?!  いい感じになるんです !(^^)!

既に 死に体のリードが・・

もちろん そうしないでも使えるのにこしたことは無いのですが・・(^-^;


どうやら小生は 規格品・自体がフィットしない・・ってことが、
この一例でも、例えられた事実 みたいです (-"-)


まぁ そもそも、特殊なセッティングですし、
レジェールという プラスティック製のリードがフィットする事も、
その事を例えてるんですけどね・・ (^^ゞ

2016/06/11(土) 一瞬の”タメ”
久し振りにセッションに行き、

瞬間の中に時間が在る・・ の実践版でした〜 (^^♪

これは 実際に経験しないと そのモノってのを 中々言い表せないのですが・・ と言っても 文字数・・無制限でしたら 解るまで書き表す事は出来ますけど・・ (^^ゞ


でも、、 言葉って 一体・・ <(`^´)>

音楽でのそれには 語気・抑揚・高さ・速さ・長さ ・・・ 等々 色付け出来る事によって 表現可能範囲が広まるのですが、

一方 言語だと・・
一対一の会話意外だとまだいいですが、

第三の事実点として抽出した時に、 ”定置化” するのは 困難ですよね・・ (-"-)


小生、、 この頃に 特に思うのですが・・

どうも、日本人の使ってる ”差別” って言葉が気になってしょうがないんです・・

そこで ここ数日間掛けて せめて何とか 自分の中に 腑に落ちるようになるまで 興味を傾けて診たんです・・ <(`^´)>

それをまた ここでは、、
言語という記号を用いてのみでしか 表現が出来ないのがジレンマでもあるんですが・・ "(-""-)"


日本人の大半の人が使ってる ”差別”とは ”分別” に過ぎないような気がするんですね・・ "(-""-)"

これは 与えられた・・ 囲われた社会の中に在って、
あるべき姿!! の範疇での 「区別」 に過ぎず、、

そこに 個人の主観たる ”判断” ってのが在していない・・


何故なら その社会に属して居る・・ 属すことに対して 
この国に於いては 何らの 契約をなされる事が無く、、

ごく自然に?! 居られるかの如くの ”体”為してるからなんです。。


いわゆる、、 常識・自然 ってのに対しての 態度 って事ですけど、、


それは別に その人によらず・・ その前から在った訳で、、 

つまり、 その人とは 本来 何の関わりの無い所で ”為された結果” ってのが常識であるのに・・

あたかも その常識内に居る事が正しい!! かの如く振る舞う輩の多いのが 昨今の実情のような気がするんです。。

自分の言葉でしゃべっていない・・

ただ 言葉だけが 上滑りしてるかの如く感じるのは そのせいのような気がするんです。。


日本人ってのは というか・・ 人間ってのは、、 瞬間瞬間の判断をする事を嫌うもんですから 仕方の無い所でもあるんですが、

日本人は特にその傾向が強いと感じるんです。。 

これは DNAに含まれる 村社会の社会構造であり、

”我”というものの 自分自身の、身の置き場への観念から来てる様な気がします・・"(-""-)"


よく耳にする言葉で (AC広告機構かな?!)

「よく相手の身になって考えて見てください」 ってのは、

相手の身になって考えて見れば解る一方、相手の身になって見ないと解らない!! ってのと反意語であり 同異義語のような気がするんです。。

毎日の 繁多な生活の中、、 常に 相手の身になって考えるってのは 不可能な事でもあり、

この結果が、 事が起こった時にのみ 関心が向けられる → 熱しやすく 冷めやすい・・ 
喉元過ぎれば熱さを忘れる・・ ってのに置換されるような気がするんです。。

日本語ってのは 話し手の主観が強く 観念的でもあるので、
最も形を為すのに大事な 第三点を為すのには 不都合な言語でもあるんだと思うんです "(-""-)"

あまりにも 生々しいが故に、戦争中の実体験を 積極的に話して来れなかった先人達・・とか・・

お蔭で その貴重な体験談を聞き逃してきた我々は・・ "(-""-)"



話しは随分と逸れましたが、、

私が関わってる音楽の世界でも この言語ってのが 大問題なんです!!


それは、、

安易に 「 (その曲) 知ってます!! 」 と言う輩の多い事・・多い事・・

私に言わせれば 彼らの ”知ってる” ってのは ”聞いた事がある” 程度のモノで、、

ホントに知ってる人ってのは 安易に 知ってる って言葉を使わないんです・・"(-""-)"


まぁ そういうデータがあるもんですから お蔭で そういう輩の発する言葉は 全く信用に足りないもんだと 差別する事が出来ますけど〜 "(-""-)"


個々の 主観に於ける”差別”の最小公倍数が その社会の 最大公約数の”分別”へと昇華されるべき!! だと考えるんです。。

大多数の輩の発する差別とは そこに 本来の ゼロベースでの 個人の主観が入って無く、

決められた範囲の中での分別・区別の事を言い、、

その結果は、、 「究極のカニカマ、ほぼホタテ」 という 同じ顔をした日本人作成へと昇華してしまうんでしょうね・・ "(-""-)" 


次項は 熱量保尊の法則と 微分・積分法 です。。 (^^ゞ

2016/06/04(土) ピタゴラスは?!
 ”敷居線” と訓読みします !!



区別・差別を極限にまでした結果が → 差別しない・・ です。。

自らが請け負える場を作る為なんです。。



世間で言われてる 音読みの ”差別”とは違います。

差別するが悪いのであれば、

攻撃相手を限定しない、無差別攻撃 は 良いのでは?!

もちろん 人を攻撃する事・自体が・・ ってのはありますが、、

言葉ってのが その実を為す 時点と地点で その質量ってのが変化する・・ってことの 例えられた事実で、、


我々が 囲われた学校教育で学んだ 「人を差別しない」 ってのは 

本来は、、
人を うんと差別出来る人が 差別した結果としての言葉であって、

その事を教えてくれたことがありませんでした。。


その時分に 今の語彙力があったら 教師達を問い詰める事が出来たんですけどね・・

彼らは 自分達が 言い返せなかった時には 体罰を以て 解決しようとしてましたから・・ (-_-;)

その様とは・・
限られた箱の中に於ける 絶対君主としての振る舞いでした。。

逆に言えば その語彙力を持たない子供に 一方通行的に課す! という現場ってのは 細心の注意が必要である!!

って事を理解していないとダメなんですけどね (ー_ー)!!


そして 今でも その 伏魔殿の中では 現在進行中なんです・・
実体験として・・最近でもありますから・・


まぁ 今の社会自体が・・

集合化する事によって 一つの経済圏へと化し 大きな一つの教室状態へと化してる感がありますけどね・・

先に述べたように これは・・

一つになる事が悪いというのではなく、

それは、 個々の最小公倍数としての結果が一つに為る・・ というのであれば 理想的ですが、

最初から一つの箱の中って事は 〜ねばならない!! だらけになって、

窮屈・・ 閉塞感 極まり無い場へと化してしまう事を意味しますからね・・ (-_-;)


社会ってのが 人の為すモノの 結果で在る・・ 事に気付くべきである!!

・・ と共に 話しが 枝葉に分かれてしまった事に気付く 小生でした・・ "(-""-)"

ピタゴラスは・・ ?!

2016/06/03(金) 引き継がれ・・
A=3、B=3、A=B ってのは 限定的命題の中で・・ってのがあって 初めて解を為すモノとして認知されるべきものであって、

自然界の中では ホンの一部に過ぎず、

しかも、 ”=” って記号自体が そのモノでは無いが故に、
右辺・左辺がフィードバックを為して来た結果が 自然自体であって、

私の中では ”=” ってのは 一人称単数たる ”I” 以外に無いんです・・

ただし その私 ”I” を決定付けるのは 私・自身では無く 他者を以てして・・ ってのが ”自然を為して居る” が故に、複雑極まりないんですよね・・ "(-""-)"



あ・・ また このままだと明日に引き継がれてしまうので、
本題に・・ (^^ゞ


そこに含まれて居る、複雑なるモノを (遠心分離機を掛けるかの如くして)抽出する為に、
限定する必要が有り、

先ずは 二次元上に示す事が最重要なんです!!

紙面上に ペンで 書き記す!! 

これは、何とかして 書き表そうとする態度のことを言います。。


数字ってのは 限定された範囲の中では 最も有効なツールである事は確かで、、

逆に言えば その複雑なモノに含まれる”解”を抽出する際に必要であるモノだと言えるんです。。


だから それによって導き出される”解”が どの部分を構成して居る 細胞分子なのか?! が解ってないと せっかく出された解ってのは ただの”答え”にしか為らない・・ って訳です。。

答えってのは 止まって居る 定置物に過ぎませんから・・

その答えに対して 応えられないと ただの・・無機物に他ならないんです。。


ここで 音楽の”拍”ってのに限定して言えば、

更に、イーブンな 平均した拍として・・

4分音符→8分音符→16分音符→32分音符→64分音符→128分音符→256分音符→512分音符→・・・

512分音符まで行くと そこには 裏拍・表拍ってのは聞き分けられず、

要は 有るか・無いか・・  有るが故に 全ての出される音符ってのは ”オン” であり、表裏を決めるのは、

その音を出す人の ”人情”・・ 気持ち・・ でしかないんです。。

しかもそれを決定付けるのは 他人だという・・ 非人情さも在るんですけど・・ "(-""-)"

その人が出す一音ってのには それらが含まれているべきなんです!!



そこで現在私のやっている作業とは・・

1拍を 4 で・・ これは既に実証済みですが、、

→ 500 にまで細分化した結果が 一つの線・面 に為るように・・ って事なんです (^^♪


これは レオナルド・ダヴィンチの絵を 目の前にして見た時に感じた直感から来てるんです!!

同じ場所に並んでた ミケランジェロや ラファエロのそれとは 明らかに違ってたんです!!

限定的命題としては 女性の髪の毛の描き方・・です。。


ざっくばらんに言えば ミケランジェロ・ラファエロは 大きい ”ハケ”で バァ〜っと 、、、 でして、

それに対して ダヴィンチのそれは 鉛筆の線描写だったんです。。

そこに含まれる 筋肉繊維の数の違いとでも言いましょうか・・

しなやかで 実に 如実なんです・・


よく考えて見ると、

・・というか、これを書いている今、気付いたんですが、 

実際の髪の毛ってのも 一本一本の毛の集合体ですからね・・ (^^ゞ

さもありなん・・ ですね (^^ゞ


これは 別に 細分化する事が良い!! って事を言っている訳ではありませんで、

とどのつまりは、細分化する事によって 一拍、小節の区切りを無くして、

一曲を一拍にする作業に事ならず、

1時間ステージの6曲を 6曲一双の襖絵の如くにする事で、

2・3ステージの 一晩の出来事を抽象化し、

それらのすべてを含んだモノが 一生 → 一拍の”詩”にする事を意味するんです。


全てを・・含まれた ”○” にする為です。。


私の訓読みする ○ とは 
有るか無いか・・の、極限のせめぎあいの中で 過度の”角”を排した結果であり、

細胞壁を極限まで作り上げ 一つの細胞へと為す 結果 という事になります。

結果に含まれるモノが・・ という意味でもあり、

これが 最小公倍数と最大公約数の違いでもあると言えるんです。。

音読みと訓読みの違いでもあり、、


こうして書くと、 言葉ではどうとでも言えてしまうのも また然り・・なんですけど、、


よく 私の言は、 「人を煙に巻いたような・・」 と言われますが、、

遠影(映)法、陰影法を使っている小生としては、 
それは、むしろ当たり前の事でして・・ 願ったりかなったりな感想を得てる (^-^) って事を意味するんです。

意図して そうしているからであって、

私のは ”試金石”としてではなく、試金石・自体が ”金”と為る事を そこに含ませているからなんです。。


まぁ 文章をして 世間から対価を得る資金源と為すのであれば、話しは別ですけど・・

今のところ・・ 一銭も貰ってませんからね・・

そうなれば 受け取り側を意識した ポップなモノへと仕立て上げなければ為りませんから・・ (^^ゞ

それは 今後 ”音”へと仕立て上げる作業の事を意味します (^^♪


私から見れば その 煙に巻いたモノがあるのに そこに興味を持たない時点で、

他者と自分との間に、うまい事 壁が出来てる事を喜んでるんですけどね・・ (^^ゞ

・・ と言うか その為に壁を作っている・・ 訳でもあるんですけどね・・ (^^ゞ


何の為にでしょうか・・?!   それは 差別する為のモノであり、自らが請け負う・請け負える為の キーワードだからなんです。。

その 当に ”キーワード” の事を・・

2016/06/02(木) ピタゴラス
ひょんなきっかけで 久し振りに紐解いて見ました・・

・・ が、、 やはり、 直接的な(学術的な)事は解りませんでした・・ "(-""-)"

これは かつて 学校教育の中で、数学の問題を出された時に、

「何を問われているのかが解らない?!」 という事で その数式が解けなかった時の感覚と同じでした・・ "(-""-)"

所詮・・ あれは 解をあらかじめ持った者が 我々を試す道具にしか過ぎず、
実社会に出た後では・・ 
学者か それ自体を使って 実際の対価に換え得る職業に就く者にしか意味の無かった事ですから・・

あと・・ (予め解が有る)クイズごっこが好きな・・ 趣向品的に捉えられる人にとっては趣深いモノだったことだと思いますけど (^^ゞ

モノの考え方のトレーニングとしてね <(`^´)>


あれから 随分とモノの考え方も変わった事だし、
ちょっとは解るのかな〜?! と思って紐解こうとしたのですが・・

やはり・・ (相)変わらず・・ ”同じ”でした。。

ただ、あれからの年月を経て ”同じ”中に含まれるモノを言語化することは出来る様に為りましたが!!


確かに・・私にとっては モノの考え方の中に含まれて居る ワードの一部として ピタゴラス・パスカル・アルキメデス・ユークリッド・・

ってのが 珍重されてるんです。。


中でも 「形在るモノには 3点を要する!」 という意味に於いては、ピタゴラス的な思考法は有り難いんです。。

実際の我々の世界ってのは 平面に奥行きが加わった 3次元(x・y・z)ですけど、

その奥行に質量を加えたモノを考える材料にしてくれてるのが、
パスカル(圧力)、アルキメデス(流体力学) ってのが代表例なんです・・

そして それらをも含んだ ”モノの見方”ってのを提示してくれてるのが ユークリッド幾何学 だと思ってるんです。。


でも ホントの”実”の中には それら(xyz)を吹くんだ ”時間” ってのが在る訳でして・・

むしろ 時間の中にそれらが含まれる・・ とも思ってまして・・



こんな私にでも出来て 崇高なる彼らに出来ない事とは、

時間ってのが存在してくれてるおかげで、
時系列が存在してくれてるおかげで、

私にとっては 彼らを”ワード化”出来るってのが それです。。

後から生まれて来た者の優位性とでも言いましょうか・・

彼らのヒストリーを マイストーリーへと 昇華出来るんですよね<(`^´)>


もちろん 言語や記号へとエンコードされたモノを通して・・で在るが故に、
彼ら自身が表そうとした そのモノと ”同じ”では無い事を承知の上で・・ ですけど (^^ゞ



以上を踏まえた上で、

小生は 極度の・・直感論者なんです。。

ただ 先日 ある人から指摘を受けたように、

「直観論は、やはり多くの場合、論理的に構築或いは構成しきれないで、放言になる傾向が多い・・」

ってのもまた事実でして・・

瞬間の中に時間がある・・ ってのも 直感を言い換えたモノでして、


でも 偉人の言葉を引用させて貰えば、

「天才は1%のひらめきと99%の努力」 という言葉に置換させて貰えば、

ここに フィードバックの意味も加えて・・

私の”訓読み”で言えば、


それは、、99%の努力が出来る人のことを言い、

1%の閃きを得る為に また 99%の努力を、連続性を以て し続ける事が出来る人のことを言う!! んだと思うんです (^^ゞ

原因と結果であり 最大公約数と最小公倍数の違い・・です。

事実に含まれて居る”解”の違いです。
それを構成する 分子構造の違いです。

ですから、

A=3、B=3、 であるがゆえに A=B にはならないんです。。

”3”の中に含まれる 例えば 1+2 なのか 1.5+1.5 なのか、、


はたまた・・ 置き換えられている A・Bを構成するのは・・?!

とか考えだすと とりとめが付かなくなってしまいます・・ "(-""-)"

言語ってのは所詮・・ 記号の一部ですからね・・

受け取り手によって玉虫色に変わりますから・・ "(-""-)"


まぁ それを なるべくそのままの形でってのが数学が必要となった根源です。。

古くは 天文学に始まり・・


そして、 この続きは 明日の”野川紀行”へと引き継がれるハメに・・ (文字オーバーにつき) (-"-)

2016/06/01(水) 遂に!!
新しい月に入り、

いよいよ、先日の ブラウン管の中に見えた 一閃の糸を ”実”に換える作業を開始しました <(`^´)>


これまでは 個々の”木”を作る作業でして、

それらを 組み立て→ 有機物(”森”)へと為す作業の事を意味します \(-o-)/


ちなみに ブラウン管に映る 砂嵐の 1%は 宇宙が出来た時の仮定・・ ビッグバン!! の時の 名残(宇宙マイクロ波背景放射)が映ってるそうです・・

無→有 へ・・ 無かった所から 有る所へ・・


その速度が プランク時間によって表されているんですが、

光の速度を超えるという事は ボタンのスイッチを押す前に 押している事を意味し・・

これは実際の 物理上の話しなんですけど・・


この・・ 絶対:: という域が 人間の頭の中に”有る”が故の 人の世の複雑さってのが有る訳でして・・ "(-""-)"


何か、起因めいたモノを感じずにはいられません・・ "(-""-)"


まぁ 我々人間なんてのは その宇宙の一部を為してるに過ぎず・・

つまり、、 そこに含まれて居る・・ という意味では
当然の始末・・ とも言えますが・・ (^^ゞ


砂嵐の中の糸をハッキリさせる為に費やした時間とは・・

一日を 起きてから 寝るまで、 と仮定するならば、
昨日は 遂に?! 15時間を超えてしまいました・・ "(-""-)"

先程まで吹いてましたので、 これを書いている現在時刻は 6月1日:朝の11時半 です。。

質量保存の法則(E=EC2)ってのに 時間軸は含まれない!! ってのもうなずけます (^^ゞ


さて どうして?! こんなに時間を要しても・・ って事ですけど・・


小生が診るに、 
日本人ってのは 上手くなればなる程、
”同じような顔” に為ってくるんですよね・・ (-"-)

良く言えば 本物に”似てくる”って事でもあるんですが・・

本来ならば ”似て異なるモノ” に為るはずなんですが・・



昨日、スーパーで見付けた ある興味深い 食材をゲットして帰ったんです。。

その名も・・  「ほぼホタテ!」 

究極のカニカマ! みたいなもんです。。


これらは 企業努力としては 最高のモノなんですけどね・・


一方 社会の中に於いての本物志向・・  〜っぽい・・ の最上級としての・・

絵画などの美術品であれば、
本物に良く似せて作り、挙句の果てには 落款まで書き込んだ・・

究極の偽物は 贋作となり、悪意あり!! という事になり 格段に価値が落ちてしまう結果に・・


そして この社会を繋ぐ 共通価値たる”貨幣”に関しては、、

人生ゲームの”子供銀行券”ならば パロディーで済むものを、、


本物をコーピーして、透かしまで似せて作り上げる ”究極の偽札” は 犯罪になりますからね・・ "(-""-)"


私に言わせれば プロの音楽家ってのも同じ要領で・・ 詐欺まがいの行為を!? って事なんです。。

下手だと解っていながらタレントのバックやったり・・

さもありなん! と言わんばかりに演奏をやってる姿とか・・


ま・・ それが 自分に対して 真摯に向き合った時に 矜持として 許さざれなかったが故に 現在進行形の作業〜 って訳なんですが・・ <(`^´)>


幼児が無邪気に描く”絵”と その道に達観した ピカソが描く”絵”とは 同じでは無い!!

って事なんです。。

意識して無意識の域に至る・・


私の言葉で言えば 言葉になる前の”言葉” ってのが それに当たります!!

常識の域から出て ゼロベースにする為に・・

自分の言葉で・・

既存のモノを 訓読みする・・


これらがキーワードになります。。

同異体・同位体を含む 同異義語!! ってやつです。。


・・ と書いているうちに 昨夜からの疲労がピークに為って来て・・

私・自身が ”朦朧体” と化して来てる感があります・・ "(-""-)"


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