野川紀行
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2017/10/31 「”そこ”にあるモノと”ここ”にあるモノ」との違い
2017/10/30 物語
2017/10/29 どうして・・?!
2017/10/28 野川紀行
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2017/10/31(火) 「”そこ”にあるモノと”ここ”にあるモノ」との違い
同じで在って 同じでは無い・・

ただし とどのつまり・・の ”極” ってのは 不思議な程に ”同じ” なんです!!

同じじゃないのは解ってるのに・・  です (^^ゞ


まぁ 結局は ”人” だからでしょうね・・ 2500年以上経っても・・ってのは・・ (^^ゞ  アリストテレスに代表されるような・・


最近の科学の世界では エーテル→無の→真空状態 ってのが前提でした。

・・ が、、 比較的 簡単に真空状態ってのを人為的に作り出す事が出来る様になった昨今、

透明なガラスに入れた状態の目覚まし時計を鳴らしたところ、
真空状態であるが故に 音は聞こえないンですね・・

でも 目覚まし時計は そこに 目に見える形で 在るンですね。。

つまり ”そこ” ってのは ”無” では無い! ってのを実証してしまってる訳なんです。

では、 「有るか無いか」の極・・って?!


小生は それを この2か月間で・・ 
48年間生きて来た中で経験して来たモノが積分された・その先の2か月間で・・

実体験したんです!!


それは・・言葉で表現しても解らないでしょうが・・

「内なる内・内と外との境界線」 → 動脈が静脈に変わる所

なんです!!

体内で言うならば 指先 足先・・等 皮膚の限界上であり、
血液が流れ込む 臓器 です。


これを観た・・と言っても俄かには信じられないでしょうが、
必ず”そこ”は在るンですね。。

無いと 血液は循環しませんから・・


この極は 禅の修行で言うなれば 内と外との境界線であり、
言葉になる前の言葉 ってのと ”同じ” なんです。

”潮目” ってのも同じです。。

”そこ”が ”ここ”に繋がる・・って意味では ”ツボ” も同じです。。。


認識出来るってのは これ全て 脳という 内なるモノの処理した結果であって・・

その意味では 目に映る宇宙ってのは 全て 頭の中に在るモノだからです \(-o-)/

この脳の処理・・ってのがまたジレンマでして・・

例えば 目の前で手を叩いた時、
実際は それは同時などでは無く

叩いた時の音が聞こえる方(聴覚器官)が早く捉えて、 
目で見える、視覚器官が後で捉えて・・ 

それを脳が処理して、同時に感じるって事実です。

脳が 勝手に?! 処理してる・・って事です "(-""-)"

これは 近場なので、”ここ” を知る為に ”そこ”へと離す必要がありまして・・ 例えば、


少し離れれば解る事ですが、音速が光速を超える事は無い訳でして・・

花火大会で花火を観た時に 先に音が聞こえる・・なんてのはありませんからね・・

衛星中継でも同じです・・ 口の動きと、話している音がズレてるのと・・

でも NHK等の 時報に関してはどうなんですかね?!

それについては 個々に お確かめ下さい。。

何かに気付く筈です!!! これは、同じモノを観た時の感想に同じです\(-o-)/


時間認識につきまして余談ですが、
人によっての違い・・ってのもありますが、

平均的データからの事実では、
「時の流れる速さは 年齢の平方根に比例する!」 みたいなんですね・・

10歳と60歳を比べれれば 2.44倍・・ つまり 歳を取った方が、2倍半位のスピード感になるって寸法なんです。。

ちなみに 高所・・(マンションなどの高層階)の方が、磁場の影響を受け辛いので 時がゆっくり流れる・・らしいんです。。

これらは皆 あくまでも 平均的に流れている時を軸にした場合での話しです。 対外的な・・


それらをも含め 情報を統合するのは 全て 内なる脳の中に在るんです。

1秒間に1兆回の変異を来たす水分子を その体の中に60%を占める・・
同時に4つの 同位体・同異体を結び付ける事が出来る炭素結合の複雑なる結合を以てしての集合体→有機体 の結果としての・・
1秒間に4000億ビットを処理している・・(実際に認知するのはその内の2億分の一)脳を持った・・

モノの正体が ”人” であり、

その 人を人足らしめるのは 他人であり、

人と人との違いは 人間の中に在り、

全てはそこに含まれ、そこは全てに含まれて居る・・のであり、


この モノというものを語るに ”物語(ものがたり)” が在るのであって、

物語には 連続性の必要が有るが故に これを物語るには 続く必要があり・・


でも これ(野川紀行)が 明日からも 続くかどうか?! は サーバー次第・・って寸法です "(-""-)"


もし続くようでしたら、

個々の 出雲・物語 をアップする予定です \(-o-)/

2017/10/30(月) 物語
史実の順系列の積分→歴史

という中で存在して居る我々は そこからは逃れられない存在なのですが、

もう一つのツール ”時点” ってのも 今の時代では、
現実では無いモノの(この加減ってのが解って居ればいいのですが・・)

あそこに在った・過去のモノを ダイレクトに 画面上の 今の”ここ”へと ワープさせる事が出来るが故に、

順序ってのが 曖昧に為ってしまうんですね・・


現実世界が為るためには 時点・地点 の位置関係ってのは 大前提です。。

単発・単発 ってのは 有り得ませんから・・
必ず 連続性を以てして・・ なんです!!


その事が理解出来るのは ”物語” に為っているからであって、

支離滅裂な状態としての ”夢の中”では無いからなんです。

夢の話しを他人にする時に 
それを話している時点で 夢はストーリーへと昇華している事を意味するんです。。

私にとって まだ 外界へと離たれて居ない、自分の中にだけ パ〜っと!! 在る状態での”夢”とは、
ぜ〜んぶが混じった 支離滅裂なるモノですからね (^^ゞ

それを 物語として語るには 実世界の中での 時間の枠ってのに取り込まれ無いと・・

逆に言えば 制約されないと・・


先日見た アメリカのテレビ番組の中で 
「縦・横・奥行」の三次元に ”時間”の四次元、

「一体 それを超える 五次元ってのは有るのか?!」 ってのがありまして・・

とても興味深い 良い番組でした!!  けど、私に言わせれば、このテーマの前提に問題あり・・

縦横奥の三次元と 時間の四次元は 同格では無い・・ 

つまり ”次元が違う!!” モノだから・・なんです <(`^´)>

全ては 「時間に含まれて居る」 モノだからなんです。。

然りながら・・「時間の中に瞬間があるのではなく、瞬間の中に時間がある」 ンです。


それは同時に、
「時間が存在してくれるからこそ その瞬間ってのを話す事が出来る」・・というモノを含むんです <(`^´)>

つまり、物語る事が出来る!! ンです \(-o-)/


時間という 有限なモノがあってくれるから・・こそなんです。


時間を認知出来るって事は、

現実を超えないからであって、現実とは 過去の出来事であるからであって、

つまり、”光速”を超えないからなんですね。

光速とは 磁場の振る舞いが振動として為ったモノであり、
秒速・約30万qという 制限速度があるから 有限なんです。

終わりが無いと 常に 過程の渦中に在って 過程の位置が解りませんからね・・

だからこその ”陰影法”であり、過程の位置を知る為の、
限定的命題付けによる ”解”の摂取なんです!!

”一拍の取り方” ってキーワードに昇華されます (^^♪







 

2017/10/29(日) どうして・・?!
そこには必ず歴史を為す!! ”必要論”っていう 〜だから!!
が在るのが常です。。

私がこの様に ”面倒臭い” 事に為ってしまってるのにも それがありまして・・(^^ゞ


それは、

外から為される 「ねばならない」 ってのが在ったからなんです!!

ベースの立ち位置としての・・


たった 一小節に4拍しか弾く事を許されて無いのに・・

一拍目:ルート音
二泊目:
三拍目:ルートに関連する音
四拍目:次の小節の導音

つまり 理論上は 二拍目だけが 泊まる事が出来る(自由になれる)音なんです!!

だから 二拍目ってのを 四小節単位ってのを 大きなくくりにする事によって、二小節目の四拍に置き換えたり、


ここからは 「自分なりの ”一拍” という 拍観念」が生まれたり、、

つまり・・ アングルチェンジの一種です。

自分の中だけのアルゴリズム→♪ ってやつです (^^♪


でも、とどのつまり・・

ベースというモノに課せられたモノ・・ってのは、
その形(バロック・オペラを源流とする)を使っている以上(大前提の元では) 位置付けされ 命題化されているのも事実でして・・(^^ゞ

それは 社会的背景・・ ルネサンス(相の復興)

よりテーマを明確に!!


の為の 通奏低音に繋がる ”2声”としての位置付けなんです。

しかも! それは、あくまでも テーマを明確化させる為の!!

一番大事な 相関関係なんです!!

テーマとルートの2声で十分なんです!! 先ずは・・

でも あくまでも順番としては ”テーマ”が先なんですね (^^♪


全ては 有るが故の”距離”なんです!!
もしくは 在るが為の!!


こうして、 だから・・テーマ自体ってのの正体を知る必要があった訳でして・・

必要に必要を重ねて来て居る以上 先祖返りが必要だった訳でして・・

古代ギリシャはもとより・・フェネキア人・・シュメール人・・等の西洋系・・

・・というより 日本系だと ”文字”としての形・・は残ってませんからね・・ (-_-)

この理由・必要論を体系化すると→ ”村社会” に行き着きます。

現実的には 残されている文字ってのは 大陸にしか無く・・

以後は史家さん達の集大成の受け売りになってしまうのですが・・


建武中元二年:57年 漢委奴国王印 後漢の光武帝が送った物として当てはめられてるのですが・・

小生にとっては モノの自然な”見方”として 土地の形状が変わっていない事を大前提とした ”見た目”ってのを
視点・始点とするんです。。

見た目の順序・・ってのに置き換えられます。

やはり、順番ってのは 事を為すのに大切な要素であり 過程でもあるからです。


見た目の位置的な位置付けとしての・・
後漢と朝鮮半島という地理的かつ 朝鮮半島に対しての出先機関という位置付けとしての・・ 楽浪郡→帯方郡→高句麗 

ちょっと時代がこちら側に来ての・・

景初2年:238年 三国志の時代に含められる・・
日本では 卑弥呼・邪馬台国の時代です。

余談ですが 251年に司馬懿・没
→12年後 司馬昭 蜀を滅ぼし 
更にその子 司馬炎が 2年後に皇帝の位を奪って晋国を建国(265年)
そして、呉国を滅ぼし 280年に三国統一 に至る。

238年ってのは 239年に北魏が曹叡が死んで 帝位が変わった年に当たるんですね・・

つまり ある種の混乱が在った時に・・でして・・

そんな時に 金印なんかを与える余裕があったのか?

また そこに刻まれてる文字ってのも謎でして・・

卑弥呼に送ったと云われてる 三角縁神獣鏡 と合わせて・・


何せ 今の日本を診ても解るように 元ネタが有れば パクるのは巧いですからね・・ 日本人ってのは・・(^^ゞ

しかも 合わせて、上手い事・・話しを作るのも巧いですからね・・(^^ゞ


そこで 見た目ってのが要素としては重要なパーツになる訳でして、、

いきなり 内陸部から 航空便で送られてくるわけが無い以上、
どこかを 通って・・という ”過程”が存在してる訳でして、

それが 地図を診れば解るんですが、
楽浪郡の・東→ 新羅を経て・・ ってのか、
中国の南方を通って・・ なんですね ( `ー´)ノ

その ”経路” ってのが 事実を為すには大事なんです。

中国南方について 呉越同舟・・春秋時代に関わる 越の国です。
日本で言う所の ”越(こし)の国” との関連です。

稲作が伝わり、通って来た場所であり、
独特の風習・・入れ墨 ってのが その銅鐸の中にもハッキリ 描かれていて、
それは 私も 出雲に行った時に この目で ハッキリ 確認して来ました!!

四隅突出型墳丘墓の点在ヵ所・・にも関連した 出雲地方との関わり、、

日本史上最大の謎?! 継体天皇との関わり・・

これら全て 単体に非ずして・・ 必ず 繋がって居るンですね\(-o-)/


これが ”物語(モノがたり)” の正体なんです \(^o^)/


然るに・・

昨今の事情を診るに・・

航空便はおろか・・ ダイレクトにその場から 目の前の”ここ”に登場させる事が出来、

即ち インターネット等をツールにした ”そこ”と”ここ”の違いの無さは 事実を為すに当たる 
”地点”というモノの位置関係を 曖昧にするものであり、

結果・・ 結果に対しての筋道を漠然としたモノへと昇華させてしまうハメに・・

2017/10/28(土) 野川紀行
ホームページ・・ほとんど更新されて無い 有名無実なモノ・・自分では施せませんでしたので・・(^^ゞ

は確かに?! 今月を以て閉鎖されますが、

どうも・・ この ”野川紀行”は 外部サイトですので、
継続されるかも知れません・・ "(-""-)"


でも 完全に一方的な発信・・という意味合いがより強くなりますので、立ち位置も変わりますけどね・・ (^^ゞ


この世の中の風潮に抗い?! 小生・・未だ フェイスブック・ツイッター等のツールは使っておりませんので・・ (-_-)

2017/10/25(水) ”真実”
「世の中は嘘だらけである!!」

なぜなら 「人間は言葉を発するからである!!」

私にとって観れば 植物や 他の動物の方が遙かに 真を以て生きている様な様に観えるんです。

この理由は 人間が便利に発し、使っている 言葉の二重構造に在るんです。。

言葉を以て表せば、シニフィェ・シニフィアンであり、
音読みと訓読みの違いです。

「そうであって、そうではない・・」という・・


逆に言えば 嘘が付ける!! って事実が在る事を意味します。。

従って 嘘は 場面によっては 悪にも善にも為ってしまう・・のが実情です "(-""-)"


私・個人としては 善意に拠る嘘であれば 人情的に有り・・であり、誠・・ほほえましく思えるんですけどね・・(^^ゞ

ただし、善意は人の為ならず・・って事実もあるのがジレンマですけどね・・ "(-""-)"

げん(言)を以てして ”成る” → ”誠” と、
そのモノが ”真” である ”真” 

”まこと” の違いであり 同音異義語 です。



だから 
それが、訓読みした結果としての”嘘”で在れば、
その結果に対して 自らが請け負う事が出来、人のせいにする事無く、その過程が 最小公倍数→最大公約数 って寸法になり、
より良い社会が形成される確率ってのがアップする起因に成り得るんですけどね・・ (^^ゞ


現世を離れて・・

”音楽”の世界では ”嘘”は付けない!! んです。。


もうお解りでしょうが・・?! (^^ゞ

音楽の中にこそ そこに在る・真実 が含まれて居るからなんです(^^♪

特に、ジャズというジャンルの中には・・


それは 同じモノを観た時の感想であり、ある程度決められた範疇の中に於いて・・だからなんです。。

テンポであり、小節の区切りであり、コードであり、

それらが実に ジャズは いい加減 なんです (^^♪


それら全ては、 
言葉にならない言葉を より効果的に表す為の方法の一つに属しているからなんです!!

それらを使って!! に位置する意味に於いての 訓読みが必要であって、

そうする事が ”我思う故に!!” という意味での表現に帰着する事が出来る確率が高いからなんです <(`^´)>

これが愉快なんですよ!! 実に。 私にとっては・・


逆に 単なる嘘・・ フェイクまがいのモノについては 実に詰まらなく、不愉快極まりないモノなんですよ!! 私にとっては・・

・・っぽい ってのと同じです (-_-)


もちろんそれは 人に拠って違うモノではありますが、

そんな嘘を付くつもりも無く、実は善意の嘘だったり・・とか・・


でも それらは全て 私にとっては”解る”ンです!!

解ってしまうンです・・ (>_<)  たとえ解りたく無くても・・ "(-""-)"


何故なら とどのつまり・・
全ては 現場・現実(地点と時点との接点)に在る!!からです。

そして そこでは 学問など何の役にも立たず・・
”直感”のみを以てして・・ ってのが解ってるからなんです。。

逆に言えば その直感を育てる為に 普段から不断の努力が必要であり、現実に対しては 常識に囚われない・・ 真実の姿で有りたい・・
言い訳をしたく無い・・ 請け負える姿・・

”求道者”で在り続けたい・・

自分が由と為る=”自由”であり、自ら然り!で有る=”自然”を為したいと考えるに至った訳なんです <(`^´)>

常識という 無数に在る 道を・・ では無く、
自分が通った道が・・  という (格助詞:を・が) の違いだけの事なんですけどね (^^ゞ  言葉にすれば たった一文字の・・


”真実” なんてのは 決して誰にも見えるモノなどでは無い事は解っています。。

でも その瞬間の中にこそ ”真実”が在る事も 同時に解っています。。

問題は その ”偶像化” です。

目に見える形で・・ 耳に聞こえる形で・・ 肌に感じる形で・・


それら五感に訴える”形”で抽出せざるを得ない そのモノの正体とは、

実は ド真ん中に在るが故に 逆に見え辛いモノであって、

・・ が故に 周りにある 他を以て・・ という必要がある訳でして、、

台風の目・・ と同じです。

そこ(真ん中)に居ては 気付かない・・ というのと。。



これが 私が常に言っている 「言葉になる前の言葉・音になる前の音」 でして、

〜を以てして のジレンマってのが そこに同時に含まれて居る・・ の訓読みなんです (>_<)

ホントは そうでない・・ モノを 他のモノを使って何とか表現しようとする姿・・でして、、


それを実現する為の方法として、
「嘘を付かない!!」 という 
自分の中での真摯な態度、
外に対しての 矜持を示す態度!! 

この二つが 絶対条件である事に気付いてしまった訳なんです。。


でも こんな嘘だらけの社会の中、それは大変困難かつ 勇気が必要で、エネルギーを要する事なんです!!


そんな中でも それをやってる”人”が居るのもまた事実なんです!!

共通言語で言うなれば、


「自分の言葉で!!」 

これが 結果としての 最大公約数を 言語化したモノとなります。

これは何も 音楽に限った範疇ではありません。。

2017/10/24(火) 続き
実際の 有るか無いかの”極”ってのは それは、限定的命題の下・成り立つ 断定的原論で在って、

それは同時に その地点・時点を解っていなくて 単純なる外から眺める 外野席の連中にとっては、
格好の批判(無責任な)の対象になるからです。

そして そちらの方が 数としては圧倒的に多いんです!!


日本語の、表意文字としての成り立ちのジレンマ、ここに在り!! です。。


実際に自分で体験してみれば解る事ですけど・・

国内のとんでもない?!僻地に行った時の事、
その場で取り交わされる ”音”を使っての会話・・

ホントになまりが凄すぎて 全く 何言ってるのか?! 解りませんでしたからね・・ _(_^_)_

でも そこに ”音”を表記した形での表現媒体物 ”言葉=文”を以てしてくれると その途端に 私にでも理解出来始めますからね <(`^´)>

そのツールは ”音”のみを書き表す カタカナ・ひらがな だけではなく、
その一部に ”漢字”が含まれている場合に限定されます!!!


大多数の海外からの 日本移住者にとって 最も厄介な言語が、
この ”漢字” なんです!!!

これは 実体験として ホントに複数の人から直接聞いてる事です。


日本に漢字が伝来して来て、
その都度・都度 それを いいように解釈して使い続け、
その結果が 今に残る 又は 
今使われてる言語ってのも、
単に今使われてても、これからも変化し続ける過程の中の”今は”・・としての言語である事を知るべきなんですけどね・・


つまり、話し言葉と 書き言葉が違う!! って事です。
口語体と文語体との違い・・と置き換えても構いません。


これでは ”同じ” になる確率が低いのも 当然だと思うんです!!

言葉の切り口によって 言葉が独り歩きするのも また然り・・です。。

言っている・書いている時点での違いであり、

言葉を発している人の立場での違いであり、

軸を換えて・・ それを受け取る側の人の 立場・状況に於いての違い・・が そこに加味される訳ですから・・ 

その同じ言葉ってのが、
金言にもなり 路傍の石にもなるって寸法になる訳です。。


その 有るか無いかの せめぎ合いの”るつぼ”なんです!!

増してや 人間が考えて!・・ っての極ってのも同じで、

そこには 無数の矛盾と反省、喜楽・・ ってのが 同時に混在して居る筈なんです!!

余談ですが ”1”という最小単位に関しまして話しますと、

所謂 ビットとも言い表す事が出来ますが・・

現在時点での最小単位は ”プランク”


宇宙が出来て今に至るまでの 137億年の中に含まれる ”秒数”より、
1秒間の中に含まれる プランク時間の方が多い・・!!

見方を換えれば・・


同じ車に、

相撲取りが乗っかった場合、4人で車内は一杯。
通常サイズの小学生なら 6人は余裕で乗車出来る事でしょう。
(但し 運転手は免許取得可能な大人に限る(^^ゞ

から、後部座席に 2人乗れるか 4人乗れるかの違い・・って事になりますけど・・(^^ゞ


もちろんこの場合は 小学生がプランクに当たります (^-^)

”軸”を換えただけの事なんですけど、


どうですか?! 他のモノに例えた方が そのモノを表現するに、解り易く映るでしょう (^^♪

ただし 例える事が返ってそのモノを伝えるのに混乱を招く結果に為る事もある! のもまた然り・・でして、

ならば 更に 他の視点から(軸を換えての)例える事も 又・必要となる事も然り・・でして・・


結局、この一連の 連なった様・・ ってのは 言語と同じでして、
実際に自分で 難解な”ワード”ってのを調べて診れば解る事ですが、

そのモノ(この場合はワード)を理解するのには 又・違ったワードで説明されており、
更に その説明されているワードが難解だった場合は 
また更に そのワードを調べる必要が生まれて来て・・


この枝葉の如くの連鎖反応・関連性こそ 

「そのモノを決めるのはそのモノにして非ず、他を以てして・・」

ってのと同じであり、

如何に?! そのモノを表現するに 言葉を以て・・ ってのが難しい作業なのか?! ってのを表してるんです (>_<)

だから その ”同じ”を表現しようとした時に、多言を要してしまうんです・・"(-""-)" 小生の場合は・・

でもその正体は、その”同じモノ”に向かってのベクトルは 同方向へ向いてるんですよ (^^ゞ

だから まずは 全体の方向を理解する為に ”眺め詠み”を推奨する訳なんです \(-o-)/

所詮 言葉を換えた所で ”同じ”事(に対して)を言ってるだけの事ですからね・・ (^^ゞ


その事に対して 「廻りくどい・・、面倒くさい・・、」

という感想を得る人達に対して申し上げます。。


ただし、これをこうして読んでる方々・・ってのは 

これを読んでる時点で、
その、ほとんどの人が その対象外に当たる・・って寸法に位置する方々ってのを意味してるんですけどね・・ (^^ゞ



あ・・ 何時もの様に?! また 文字数オーバーになりそうなので、

恐らく この野川紀行が見られるのも 後、数日のこと・・

そもそもは 不特定多数の方に見て頂いても・・

という大前提があってのホームページだったのですが、

ここから(明日からの5日間)は 強烈なる ”私の” という一人称単数から発する言葉での表現を致します <(`^´)>

それは、その事によって 不快感を覚える方が目にする確率が 極めて低い事。
但し・・ ホントに たまたま目にしてしまい 不快感を覚えた方に対しては申し訳なく思いますが・・"(-""-)"

2017/10/23(月) 今月一杯で、
先ずは、この約12年間に及ぶホームページに関わって頂いた方々に対しまして、
お礼を申し上げます \(-o-)/

最後の方は ”音楽”とは一見関係の無いような・・

いや むしろ・・ ”音楽”を為す ”解”についての説明の方が多くなってしまいましたが・・"(-""-)"

一々 読まれた方には 更なる感謝と 多少の?! お詫びを申し上げます・・ (^^ゞ


知れば知るほど、如何に知らない範囲が広範囲に亘っているのか?!
が 解ると同時にそれは・・ 

知っている範囲内に含まれて居る”解”自体も解る・・って副産物を得る事でもあって、、

その為 私の言は常に、YES・NO がハッキリしてるんです!!

その理由は 断定的!! であるからこそ・・なんです。。


断定的とは 限定的命題に対しての・・ という 
限られた範囲内での”解”に対しての”答え”だからなんです (^^ゞ

「ここ に対しての そこ」 っていう 対称軸があるからなんです!!


最も大切なキーワードはズバリ!!  ”エーテル” です!!!

もちろんここで言うエーテルとは、 
常識?!として認知されている ”エーテル”とは 同音異義語です (^^ゞ

ただ・・

”有る・在る”というモノに対しての アルが為の大前提となる・・と言う意味に於いては、

”ゼロ”が ”1”であるためのエーテル、
”1”が ”2”で在る為のエーテル、

ってのと同じです。。


所詮、我々が意識出来る・・ってのは 脳が様々なモノを統合した結果である・・だけの事でして、

とどのつまりは、 ”有るか無いか” この一点に集約される訳でして、

その場合の ”有る”の中に含まれて居る 

”1”の中を微分化したモノ・・
又は数値化によって 位置付けされたモノ・・

その範囲内で切り取った中の ”区別”に過ぎないモノなんです!!

2017/10/19(木) さて・・ そろそろ・・ (^^ゞ
2つの事柄に係っています。

一つは 今月を以て、開設以来・12年間、当・ホームページが閉鎖になる事。

もう一つは 裏・日本紀行から帰って来てからの、発熱反応が 未だに続いてる事。



しかしながら 未だ体力が回復せず、報告に至る事為らず・・"(-""-)"


とりあえずは 昨日の 再検査によって リンパ腫の癌で無い事は、レントゲン・CT画像による 見た目だけでの判断では
認められない事だけは判明しました。


以上のみが さしあたっての報告となります・・ (-"-)

2017/10/11(水) 続き・・

多分に哲学的に為ってますが、
本来の音楽・・ってのは 一人称単数:私が! 思う!!

っての 最も優れた表現方法にして、
“音楽“なんてのは 結果でして ”音学”しないと 結果には結びつかないってのも又、事実でして、

私はここ数年来 音楽なんてのをやって 楽しい!と思った事などは一度も無く、

でも 人に 「どうして音楽をやってるのですか?」
と聞かれたなら こう答えるでしょう。

「楽しいからです!」

“楽しい”に含まれて居る “同音異義語”であり、
漢字と言う 表意文字を使っての 音の表出と言う・・日本語に於けるジレンマであり、

“自分の言葉で” という最重要課題を克服する為には、まずは “訓読み”で音楽をしないと!! 為りません!!

そして 更に申し上げるなら、
その先に在るのは 言葉になる前の言葉であり、

常識の中に捉われない・・ 自らよしとする “自由”を得る為に普段より不断の努力を重ねている訳でして、

小節間に捉われない 自分だけの“一拍“であり、
ただし、独りよがりになるのを防ぐためには とことん数字を細分化して、16、32,64、128、256、512分音符まで潰し、

ラテン音楽に於ける“クラーベ”
アルゼンチンタンゴ音楽に於ける“コンパス”等のリズムの種類・・

それに加えて 日本語の特色である 一音節=一モーラってのを利用した、5・7・5・7・8=32拍 だったり・・

これら数字を利用するのは それ自体が目的ではなく 最終的には 円グラフ的な感じで捉えたいからであって、

大多数の日本人がやってる様な 最初から 漫画の様な・・円グラフ的な・・では無く、
折れ線グラフ・棒グラフが幾重にも重なった結果が 円グラフ的なモノへと昇華して行く様の事を言うのである。

与えられないと何も出来ない多くの日本人ってのは、兎角、この代数幾何的に物事を考えるのがダメなタイプでして、

数字を設定する時に 最も大事なのは “限定的命題“であり、1 が 1であるための 0 の設定・・ ”エーテル“と言いますが、初期設定なんです。

ジャズに於ける U-X と同じで 解を出す為の 方法論の一つなんです。数字化・・ってのは・・

言葉にすると 多言を要しますが、音楽を使えば 
語気・速さ・高低・改行・改段・・等、
忠実に表現できますからね。

個人の思いを伝える為の “抒情詩”に始まり、
14行詩:ソネット、19行詩:ヴィラネル、
日本に於ける“石見相聞歌”みたいなもんです・・

中世ヨーロッパの混沌とした中から 相の復興→マルチン・ルター →クラウディオ・モンティベルディ→

マドリガーレ→モノディー様式→オペラ→「通奏低音」→バロック音楽へと・・

これら それが必要だった時代へと先祖返りを果たし、
我が事として考える事によってのみ 自分の言葉へと昇華する事が出来、

つまり 私の出す音とは それらの結果が・・ シンプルになっているモノ・・だと思って下さい。


ただシンプルに吹いているのとは 同じであっても 同じではない!! 同音異義語である事に気付く筈です。


何せ 水の分子構造は 1秒間に1兆回変異するらしく、人の身体の60%はその水で出来て居るという事実・・

人の脳は 1秒間に 4000億ビットの情報を処理しているにも拘らず、記憶に残るのは そのうちの たったの2000ビット・・ つまり 2億分の一・・である。

ジャズは ハイゼンベルグが提唱した 不確定性原理の最も実なる部分だと思っている小生にとっては、

観測された時点で その音は決定付けられるにしても、選択されず、出されなかった音は 無かった事にはならない!!

ってのが 私の主義でして、その分母数の数に比例して、ライブ自体の質量感が決まるモノと確信しております。

それだけ 有るか無いか・・ の“極”ってのは 色んなものが蠢いてる・・って事です。

ただし あくまでも 結果は シンプル・イズ・ベスト!
を目指して!!

2017/10/10(火) 継続中〜
38度を軽〜く超える日々が もう6日間も続いています。。

一向に熱が下がる気配はありません・・(>_<)

そんな中 あるコンテストに応募するべくプロフィールを作成したのですが 長すぎるので短縮バージョンへと仕立て上げ直す必要が有り、

原文を ここに掲載する事に致します。


単純に もったい無い・・ と思ったからだけの事です (^^ゞ


       *********************** 

上手くなれば上手くなる程、〜っぽくなる!!
どこかで聞いた事がある様な・・モノへと変わってしまう・・

日本人特有の言葉の上滑りであり、“音読み”でしか音を出す事をしない結果であり、
似れば似る程 社会では “犯罪”の詐欺行為に匹敵する事を知るべきである!
偽札だったり ゴッホの贋作だったり・・

それに気付かずに 得意気にやってる輩の姿を見るにつけ、吐き気をもよおすに至る!

昨今の事情から見るに 廃棄場からは 廃棄物しか生み出されずして、
その様とは やりっぱなしの カラオケ大会って寸法ですね。

もちろん 個人で楽しむ分には カラオケ、大いに結構ではあるのですが、社会の中の選択として 筋の通った 真実なモノも その一方に 旗頭として立てて揚げる事が必要かと感じるのです。

それが 世清(せいせい:世を清める)の意味であり、
この4年間 ほとんど全ての仕事を犠牲にしてまでも クラリネット一本にひたすら時間を費やして来た訳なんです。

そして そろそろ 批判の対象となるべく!
「世に問う!」作業の段階へ入ろうとしてる訳です!!

本物の生モノこそは 保存がきかない・・ライブなモノでして、
録音機材という 所詮、ビットにデジタル化されたモノには置換され得ないモノです。

少しでも興味を持ってもらい 
少しでも多くの人に聞いてもらう機会を作り、

AかB という選択の一端を担うべくの旗頭にならんことを願って止みません!!

ちなみに これまでの私自身の経験上では、
10人に1人は 異常に興味を示して来ます!!

1千万人いたら 100万人に相当します!

そんな確率で 広げられたら〜!

この世の中も 少しは良くなる方向に フィードバックするんだと思いますけどね・・

その意味に於いては 歴史への挑戦! とも言い換える事が出来ます。

歴史とは たら・れば では無く だから! の史実の順系列の積分を以て為され、

今回の このコンテストでの出来事ってのが その歴史の一部を為す だから・・ というモノへと昇華する事を祈念しております。

10月絵日記の続き


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