野川紀行
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2017/09/27(水) モノの見方・考え方・・総括その2
今回のこの 大型山陰地方旅行を全て終え、
行く前からの予備的な古事記・日本書紀・出雲風土記・万葉集などの勉強・・

そして 何よりも 実際にその場所に足を運んでの 
自らの・実体験に基づくモノから生まれ出て来る”感想”

それは 予期せぬモノでもあり、出て来ても さもありなん!! なモノでもあり、、

また 自然に 自ずから出て来るように その確率を高める為の過程だった訳なんですが・・


東京へ帰宅した 次の日の早朝に 早速と現れて来たんです!!

所が ホントに 身体が限界を超えてたみたいでして・・

確か・・ 5時頃の事だったのですが、その時に降りて来た パーぁットしたモノは 形にして 書き出す事が出来ませんでした・・

ほとんど あちらの世界での出来事の様に 頭の中を過ぎ去って行ってしまったんです・・ "(-""-)"


それから一時間後の6時前頃に 第二波が・・

ただし・・ あくまでもそれは二番煎じでして・・

でも、最初の形に近い所まで持って行き、一度目の後悔を取り戻すべく!! 今度は 勇気を振り絞って 広告の裏に向かったのです!! <(`^´)>


まぁ この時に書き記したのは 既に ”文字”という媒体物に為ってた・・という時点で、最初のそれとは違う訳なんですけど・・

多分に ”意図”が含まれてしまって居る・・ という意味です (>_<)


でも、それでも・・ そうであって、そうではない・・モノは、
自分の中には 確かに見えるモノとして在った訳でして・・

ここにそれを書き置くことにします (^^ゞ





「出雲の神々の正体?!」

それは 決して 人の目に映るモノでは無く、むしろ その人その人の中に在るモノ也。。

偶像化され得ないそのモノとは・・

個々の内なるモノの”極”に在るモノ也。


内側から外側への極だとすれば、それは 手足などの先であり、
内側から中側への極だとすれば、それは 臓器各所なのであり、

:私: が思い(想い)遣る事が出来る存在だったと気付く時、

健康である我が身体(体)を思い遣るに付け、

行き着く先・・

こちら側に在る、こちら側の最先端・・


それは ズバリ!  

血液(私の中に感じる・流れる熱い血潮)の 動脈から静脈に変わる(換わる)各所に在り!!

それらを自分の中に思い遣る事が出来る事!・・

”活きて居る” 事を ”有り難い事”として実感した時に味わえるモノ・・


それ、即ち  ”平和” と詠む事に同じ事也。





これが 出雲の神々の正体であり、七福神の正体でもある!!


   私から由り(因り・依り・拠り)出された結論です!!


でも、あくまでもそれは、
自分の言葉で・・ ってのが、絶対条件になります! けどね・・

自らが 自らの手で、自らが 自らの足で そこに立って・・っていう、

”御輿”を 自らが!! という態度が必要条件になります!! けどね・・


そして、
依り良い社会ってのは この一つ一つの集合体で在るべきであって・・

また そう在って 然るべき・・ モノだという事を強く感じた旅だったって事でした \(-o-)/



それは、現実に見えるモノでは無く 目をつぶった時にこそ見えるモノ
 
内なるモノの中にこそ見えるモノの正体・・ って事と ”同じ”です。。

2017/09/26(火) 旅の総括
とは言っても まずは 最終日を除く 10日間での歩いた距離。。

10日間の平均値が 一日当たり 12キロ超・・でした。。

これまでの人生で 10日間 これだけ毎日、平均的に歩いたのは初めてでした (>_<)

山道をも含むので 相当のエネルギーを要しました (^^ゞ

また 旅中に撮った写真の数は 1000枚近くで、
これまでの海外旅行を含む旅行中に撮った数を遙かに凌いでます!!

数字は嘘を付きませんからね・・

この旅行が如何に充実したモノであったのか?!

数字に例えられた ”事実”の一つです。。


そして これを書いてるのは 帰宅後 3日目なんですけど、
その間に コーヒーは 10杯飲んだ 私のコーヒーマグカップに 早くも景色付きが〜 (^^♪


写真で ドあっぷしますが、この星座の様な模様の星々の様な黒点・・

これ全て 実際に浮き出て来たモノでして、、
洗ったら取れてしまうんですけど・・

これ程にまで変化が〜 

さすが 萩焼の七化け・・ 七変化ですね・・


ちなみに 一晩 水に漬けて置くのですが その時に カップの至る所から 水泡が出て来てましたからね・・

そして ホントによく浸み出し過ぎる場合は、
片栗粉を入れて その目を塞ぐ作業が必要なんだとか・・


当に・”活きモノ” ですね \(^o^)/

2017/09/25(月) 出発日
いよいよ今回の10泊11日:山陰地方への旅も今日で最後・・

その最後の昨晩・・ 3連泊した、この宿でのトラブルを ここに居る間に、ここで書き記して ちゃんと この地に書き置いて帰る為に、、

最後の夜だったのですが 午前3時半過ぎまで 意見書を書き上げてたのでした・・

さすがに疲労が蓄積した中で 目すら かすんで よく見えない状況下、ペンを持つ手にも力が入らず・・

それでも ここで書く必要があったからこそ 5時間余りを使っての 直筆:”奏上文書” 作成だったんです。。

宿の直ぐ隣で、吉田松陰の直筆も見た事ですし・・ (^^ゞ

「”ここ” と ”そこ” の ”同化”」

「こちら側とそちら側との境界線」

マニュアルの訓読みの仕方、、 がキーワードです。。

ここでは 詳しくは書きませんが、とても 〜っぽ かったんです。。 "(-""-)"

しかも その一件がきっかけで 女将さんとも実際会って話す事も出来ましたし、心尽くしのお土産までいただいて・・

おかみさん・自体は 萩のふもとに居た 100年ばあちゃん達と何ら変わらず 当に・ここに在り!! のたたずまいだったんですが、、

最先端の とどのつまりは 人対人 の所で マニュアルってのの位置が解らずに使っている人の多かったのが気になって・・

私は 後になって・・ というのが極力嫌いなので その場所で、その時点で!! 主義なもので この件については 既に解決済みだと思ってたのですが、
東京に帰って来てから JTBさんからも 一件の報告連絡があって・・

私としては そこで 済ませた筈・・だったものですから・・"(-""-)"


まぁ その話しは置いといて、

昨日覗いた 登り窯のあるお店に立ち寄ったんです!!

登り窯って 実に 実用的に出来たもんなんですね・・\(-o-)/

温度変化ってのも そこに付け加える事が出来て バリエーションも更にアップ↑しますし ( `ー´)ノ

そして そのお店では 滞在中で 一番良いモノを手に入れる事が出来ました〜 (^-^)


ただ一つ 心残りは・・

その近所に在った ”しーまーと” 

平仮名表記されてるし、昨日バスに乗る為に寄った時には 閉店時間を過ぎてて お店は全て閉まってたのですが、、

冷静に考えて見れば 最後の朝食は ここで食べるべき!! でした (>_<)

何せ 施設内に 魚の水揚げ場が隣接されてて、実際・・
現地の人達も わざわざそこに食べに行ってる・・とか・・

萩焼ばかりに目が行ってて 
全体像を見誤ってしまっててました・・"(-""-)"


でも 予期せぬハプニングも〜 (^^♪

それは 萩・益田空港へ移動中のタクシーのおいちゃんが とても気さくな人で、
移動中の景色ってのを 一々説明してくれて、

特に 萩郊外のシーライン・・

沖縄か 海外の景色に同じ!! 程 美しかったですね〜 \(^o^)/

それを見られたのは ホント・・ ラッキーでした (^^♪


写真は 宿の窓から眼下に見える萩の景色〜
右上:左上端がアンケート用紙・後の8枚は 5時間超懸けて書いた意見書、

下は 登り窯の様子。

下の窯から順々に焼いて行って、その窯が終わったら閉じ、
次の窯を熱して行く

→こうして行くと 最後の窯は その前の窯からの余熱が既に伝わって来てる訳で・・

早く 焼き上げる事が出来る!! って寸法になる訳なんです。

全体を通した時の 時間の短略化と、熱を与える時間のバリエーション、色んな種類の萩焼を焼き上げるツールと成る訳です。。


その結果・・

一つとして 同じモノは無い・・ という (^-^)

2017/09/24(日) 秋芳洞
最終日の今日のターゲットはただ一つ!!

”秋芳洞”でした <(`^´)>

例の如く?! 我々には選択が無い訳でして・・

この日のスケジュールも 路線バスの時刻ってのに すっかり決められてしまいました・・"(-""-)"

でも モノは考えようでして・・

東萩駅から秋芳洞へ行ってくれる路線バスの始発は 10:50しか無い訳でして、(12:00秋芳洞着)

しかも 帰りのバスは、13:00か 14:50 しか無いのであり、、

必然的に 10:50 で行って 14:50 で帰って来る。
滞在時間は 約3時間。。

その決められた時間内ってのを 自らが請け負って受け入れれば、
意外に?! 腹が立つモノでも無くなり・・

そこには 制限されつつも 自らが 良し(由し)とする ”自由”があり その姿もまた 自ら然り→ ”自然”へと為る・・って寸法なんです \(^o^)/


秋吉台・・カルスト台地ですが、四国カルストを見てる私にとっては、これはハッキリ言って 取るに足らないモノでした・・

つまり 過去の自分の経験に置き換えられてしまう・・
経験内に収められてしまう程度のモノだったからです・・

先に言った ある種の ”不幸” と同じです。。


しかしながら、、 ”秋芳洞”

これは 一見の価値 大いに有り!!! でした〜 \(^o^)/

と言うか、、 余りにも そのスケールが大きくて・・

ディズニーランドのそれは やはり 〜っぽい ミニチュア版だったんですね・・(^^ゞ

やっぱ・・ 本物は凄い!! \(-o-)/


とにかく 洞窟・・と言っても それを遙かに超える広大さ・・

これから以後は この景色が ”縦軸”と為って行くんでしょうね (^^ゞ

東萩へ戻って 時間ぎりぎりまで観光を続ける・・

萩・反射炉 と 萩焼関係のお店を訪ねました。。

反射炉はいいのですが、、 全体の どの部分が・・?!ってのが解らなくって、
今一・・でした。。

”萩焼”なんですけど・・

意外と これは 後半のキーワードに成りまして・・

市内観光でも思ったのですが ホントに やたらと 多いんです!! (^^ゞ

行くまでは ちょっと興味がある・・って程度だったのですが・・

どうも・・ そうでは無い事に気付かされたんですね・・ (^^ゞ

「一楽・二萩・三唐津」 と云われるほどに 茶道具として、
鑑賞的にも優れているのに加え・・

現地で見聞きしてると、生活用品として ”活かされて居る”感を強く思ったのでした。。

それは・・

1200度程度の 低温で焼き上げる為に、”ひび(貫入)”が出来やすくなる訳でして・・

柔らかく 吸水性の高い陶土を使ってるのもまた・・

それが 使っているうちに ”味”となり 使っている人・仕様のモノへと昇華する様を為す原因へとなる事を意味します。

「萩焼の”七化け”」と呼ばれるのがそれらしく、
人の顔に同じ 年輪・しわと 特徴が加えられるのだそうな・・

ホントは その”ひび”に 使っているうちに、水分が浸透し 汚れが浮き立つだけの仕掛けなんですけどね・・ (^^ゞ


だから 長年使ってる人に言わせると、

「人の年輪が入ったお茶(旦那の萩焼・湯呑)では 飲みたくない・・!!」

んだとか・・ (^^ゞ

逆に言えば それだけ 自分の”オリジナル”が生み出せる訳でして・・ <(`^´)>

それを聞けばもう 燃えるしかありませんよね〜 ( `ー´)ノ

という訳で 反射炉近くの 気になった ”登り窯”のあるお店の、閉店時間を過ぎた ウィンドウを見て、

明日 この地を発つに当たり 必ずや この店に 来店する事!!

登り窯のシステム・・ 萩焼の作られる工程ってのを聞き出すために、再び訪れる事を誓ったのでした〜 ( `ー´)ノ

何よりも そこに陳列されてあった萩焼が 自分の嗜好に合致する、最高のモノの様に思えたからです・・

これ(萩焼)に関しては 最高が 最後にやって来てくれたため、不幸事では無く ”幸福”な事へと為ってくれたのには・・

萩焼の神様に感謝です!! \(-o-)/


写真は、全て秋芳洞、、

兎に角 凄いんです!! 内部天井をずっと見てると 上下の感覚が失われて行きます・・"(-""-)"

2017/09/23(土) 萩城下町レンタサイクル廻り→東萩駅前:飲み会→一人:松下村塾
萩城下町は 平坦な三角州地帯である。
→移動は 3×5キロ程度の範囲でもあり、宿でレンタサイクルを手配し、自転車移動 <(`^´)>

良かったですね〜(^^♪

予定してた ほどんどの場所を 実際この目で見る事が出来ました〜 \(^o^)/

野山獄に始まり、藩校:明倫館跡・・ ここは 実際に最近まで 小学校として使われてたらしく、
私としても 何か・・懐かしさすら感じられる場所でした。。

今年の3月にオープンしたばかりらしく、
館内の案内役のおばちゃんも言ってましたが、実際に 自分の子供が通ってたって・・

館内の展示物も 実に充実してました (^^♪

そして 武家屋敷・町屋屋敷を周り、”指月城・跡”へと・・


ここがまた 良かったです!!!

月山富田城は もはや整備され過ぎてて 妄想族たる私には、
”やらせ”にしか映らなかったのですが ここは 割とそのままの形で残ってたんです!!

特に 海に直接面してた 裏手の景色は 小生の想像を膨らませるのには十分でした〜 \(^o^)/

そして、最後に行ったのは、阿武川が 松本川・橋本川と 二手に分かれる地点・・ 藍場川沿いでした。。

その 藍場川の水量を管理してた 旧湯川家屋敷 が良かったですね〜 \(^o^)/

ここでもそうでしたが、
萩市内の拠点拠点にいらっしゃる・・

大よそ 100年・・ そこにずっと居る・・かの如く?! の様・・

みんな、それぞれに そこで 
”ここ”での ”自分の言葉”で話してくれる人が多かったんです (^^♪

現地に行った甲斐ってのがありました (^-^)


正直・・ 武家屋敷群は・・ 昨日見た 川の向こう側のそれを超えるだけの妄想を 小生に与えてくれるモノでは無かった為、
今一つ・・でしたけどね (^^ゞ


そして 夕方頃 一旦宿に戻り 徒歩にて東萩駅へ移動〜

17:30から 益田よりお越しの 吉山さんと飲む為に〜です。。

例の如く?! 酩酊を得て・・ 後半部は ほとんど記憶にございませんが・・

とにかく 楽しかった事だけは ハッキリ記憶してございます!!

そして 益田への終電時間を迎え、袂を分かった後、
小生は一人、松下村塾へ・・

誰も居ない”そこ”で、

自分だけの ”ここ”を楽しむ為に!!


時点が違っても 確かに 150年ちょっと前に この地点で 色々な事が起こってたんですよね!!!

夜空の星を眺めながら 裏の草むらに寝そべり 当時に”在った” ”ここ” を実感するに 十分なシチュエーションでした。。



写真は、明倫館跡に建つ 小学校、
指月城(萩城)裏手の景色、

下段:家の中へと川の流れを引いて、物を洗ったり・・利用。。
真中:水を引いた池の具合によって、わざわざ 川まで見に行かなくても 解るような”目方”が・・

ちなみに 真ん中から左へと続く 飛び石の 三つめ位が濡れている程度なら OK なのだとか・・ なるほど (^-^)

この 湯川家屋敷は 実際に使われてた船を再利用して作られてるらしいです。。
一度 水に浸かった木材の方が 水に強い!! からだそうな・・

さもありなん・・   必要が そこには在った!! 例えられた事実の数々でした。。

2017/09/22(金) 出雲大社→萩・松陰神社周辺
これまでの経緯を参考に、至ってシンプルな行程を取るに至って来ました〜(^^♪

まぁ 物事と同じですね・・ 何事も色々とやって診た結果・・シンプルなモノへと昇華していく様は〜 \(-o-)/

そしてここにもう一つ・・ 
ホントに宿泊してたのは 大社前入口から1分足らずの所だったんです・・

所が 未だ 出雲大社に まともに参って無い・・という状況のまま、遂に最終日を迎える事になったのです・・ "(-""-)"

誰もが知る?! あの 国宝・松江城・・
松江駅前に、4日間も滞在しておきながら 遂にはその中へ入る事は一度もありませんでしたから・・

外からの眺めは バスと船から 10回以上は拝見しましたけどね・・(^^ゞ

ジルジャンでも話題に挙がりましたが、
「最初に最高的なモノを見てしまうのは ある意味 不幸である・・」 と・・ (^^ゞ

今回の我々にとって それは、”風土記の丘”周辺での出来事を意味し・・

つまり 人為的なモノとして 私の中では トルコのアヤソフィアと双璧を為す?! ”神魂(かもす)神社”の姿であったり、
そこで そのままの料理を作ってくれて居た おばちゃんたちであったり・・
そして 先日拝んだ、 オレンジ色に強烈に光を放つLED球体=夕日 が頭の中に しっかり有る訳でして、、

つまり 「〜っぽい・・モノ」には興味が湧かなかったんです・・(^^ゞ

そして 本来は 移動途中にある ”石見銀山”を訪れるつもりだった筈が・・ "(-""-)"

一応、最後に 出雲大社を 人のあまり居ない早朝6時から散策、、
これは 地の利を生かしたナイス・チョイスでした〜(^^♪

所が・・ 石見銀山は・・と言えば・・


午前中には出雲を出るんです!
確かに 萩までは遠いですけど 3時間もあれば着くんです!

では、、 どうして?! 石見銀山へは!?

ズバリ! 便が無いンです!!

その答えは 
何故か特急列車の指定席を買っていたのに 途中で乗り換えを強要された駅・・
かつて 毎年の様にお世話になった駅:”益田駅” に在ったんです・・"(-""-)"

そこに在った時刻表を観て ビックリ・・なんてもんじゃありませんでした!! (>_<)

朝・夕の 一時間に一本ってのはまだ 見慣れた景色に為っていましたが、

益田駅のそれは 昼間の真ん中辺り・・ ”4時間” きれい〜に空白だったんです〜 !!! \(◎o◎)/

今までにも 結構なモノは見て来ましたが 山陰本線ですよ・・一応・・ しかも、萩へと結ぶ・・


でも この”流れ” ってのが 現在の ”萩”を ”萩”たらしめている一つの要因だと思えるようになったんです。。

どうも

益田→津和野→山口 ライン ってのが メインらしいんです。。

お蔭で 車社会の今とは言え、萩はすっかり 陸の孤島へと為って来たんですね・・

まぁ その話しはさて置き、

石見銀山をスルーしたお蔭で 萩(東萩駅)へ 午後3時には到着 <(`^´)>

これから3日間宿泊する方面へと移動。

この方面とは 萩市内を眼下に見下ろす事が出来る 山の傾斜地に宿がありまして、

この萩市内ってのは 完全なる 狭〜い 三角州地帯でして・・

阿武川が 松本川と橋本川ってのに分かれて為してる、

その片方の川(松本川)を超えた こちら側に位置するんです。

その地とは、吉田松陰:松下村塾が在った場所なんです!!


宿に着いて 早速 松陰神社内にある 資料館へと直行〜<(`^´)>

そこには 松陰直筆の手紙とか、絶筆とか、 ゆかりのモノが レプリカを含め、展示されてました。

それらを ”直” で見た 私の感想・・は また 強烈過ぎて・・

”それ” を書いてると また 多分になりますので 辞めて置きますが・・(^^ゞ


そして この 城下から川を渡った 外れの地の・・ ”ここ”での経験ってのが また後に続く訳でして・・

吉田松陰の誕生地、育った場所も 山の中腹にありまして、

ここからは かなり ハッキリと 萩の城下 全体像が見えるんです!!! コンパクトに!!!

この 幼少期に於ける ”地点” ってのは かなり大きいですよ!!


それは こういう寸法なんです。

幼少の頃より

政治の行われている ”ここ” ってのを 眼下に見下ろす形で・・ ”そこ” として 見・捉える事が出来、

いざ自分が(年長者になって) ”そこ”に参入した時には、
その時に自分が居る ”ここ”を 
”そこ” としても見る事が出来る!!

ま・・ 言うなれば 客観視であり、「森を見て木を見る!」
木の、森に対する ”位置” ってのが フィードバックされる・・って意味です。。

それが 彼の場合 全国への旅路であり、黒船来航時には 世界への旅立ちであり・・

これら全て 幼少期に於ける この地点からの眺め・・視点・・ってのが 彼の中での ”始点” に為ってたんだと直感しました。

それらは 彼の手紙・・ 特に 日本の海防策への無策意さ・・に失望の念を隠し切れない・・怒り・・

全体像を見てからの 彼の視点ってのは 「そこ と ここ」の区別が付いて無い ”ここ” だけで物事を判断していた輩達とは、明らかに違うモノだった事でしょう。。


そして 松陰神社周辺の景色・・

萩城下町は 世界遺産に登録されているモノですが・・

むしろ 川を渡ったこちら側の方が・・ 私には 随分と 自然に見えました・・

写真は 大国主命と”玉” この玉は 私には あの”夕日”に他なりません! 上右は さざれ石

下段左:川のこちら側にある 普通〜の景色。
真ん中下:松陰誕生の地、下右:ここから観える あそこ(萩城下)画像が不鮮明で解り辛いですが・・(^^ゞ

2017/09/21(木) 古代出雲歴史博物館→稲佐の浜・絶景夕日鑑賞!!
今回の目玉の一つ、古代出雲歴史博物館。 結局は この館内に5時間、居ることになったのですが・・

”集合論”という結果に対する浅はかサ・・とでも言いましょうか・・

杵築大社(出雲大社)とて その前に その源流となる ”熊野大社” ”神魂神社” を見てしまった・・ってのもありまして・・

一切・全くの・・モノは そこには在りませんでした・・

それは 出雲大社自体が 個々の集合・集約された ”最大公約数”的なモノであり、皆が集まれる・・という意味での 集合体的なモノへと集約されてるからなんだと思うんです・・

偶然 泊まってる宿に一人で神戸から来てた女性も同じ事を言ってました。

「パワースポットって聞いてたから 車を5時間かけて飛ばして来たのに 何も感じない・・残念だ・・」と・・

そんな彼女には 是非も無く 足を延ばして 神魂神社に行くことを勧めておきました!!

大きさ等に騙されない輩達は 少なからず 同じ様な感想を持つ事でしょう〜 "(-""-)"

解り易く言えば ここは 「テーマ・パーク」 といった様相なんです。。
なので、それが楽しめる人にとっては とても楽しい施設へと昇華するのでしょうが・・

そしてそのことは 隣接する 古代出雲歴史博物館 に於いても同じでした。。

一見・壮大に見える 銅剣・銅矛群・・

光輝いてる上部のものは 下部の本物のレプリカ(元あった光沢を出したモノ)であって、
つまり そこには 倍の数の銅剣・銅矛が陳列されてるのであって、、

私には ハッタリ にしか見えなかったんです!! 

館内の案内人達もまた、、 これに同じ・・ だったんです。。

ポップな・・っていうか、言葉の上での上滑り的な説明・・っていうか、聞いた事がある・・っていうか、

一番嫌だったのは、「この石見銀山の丁銀は 2800万円程します」
類似して やたらと 物の値段を言って 我々を驚かそうとしている意図が見え見えで・・

それは 我々の表情を診れば 一瞬で判断して それを言う事は 我々にとって何ら 意味を帯びない数字だって事を理解しない、しようとしない段階で、アウト!! でしたね・・ ハッキリ言って 邪魔以外の何者でもありませんでした。。

それでも 古事記・出雲風土記に関する映画:30分一本を 5本全て見てしまった事もあり、滞在には時間を要してしまいましたが・・ "(-""-)"


そして 今回の出雲地方のメインイベントに為ってしまった ”夕日” です!!!!!

台風一過・・移動中に車窓から見た あの夕日が忘れられなくて、
昨日も それに合わせて わざわざ先日までいた宍道湖まで足を運んだ訳でして・・

それらの トライ&エラーにより、今日は いよいよ出雲地方滞在最終日!! 
失敗は許されない中、全ての集約に懸けたんです!!

「神」は居るんですね・・  この地には・・


凄い!! モノを見る事が出来ました!!!

正直 世界の日の出、日の入りってのを ある程度見て来てる中で、そんなに言っても 所詮、夕日でしょ・・ ってのがあったんですけど・・


色の付き方、光沢具合、そして何よりも、その形が全く崩れないんです!!!

普通は 周りの色に同化しながら・・とか、燃えるようにゆらゆらと、陽炎の如く・・ とか、 なんですけど、

ここのは、、

「真・オレンジに光輝いた 丸い巨大なピンポン玉が そのままの形で海に沈んで行く様」 だったんです。。

水平線を以てしても その形が 一切崩れないんです!!

ホントに 丸いまま・・ ヨード卵・光の様な・・

だから (夕日が)沈んで行く様・・ってのも また違う様な気がします。。

独立してるんです!!!


当に、出雲滞在7日間の集大成に相応しい 得難いモノを経験する事が出来ました \(-o-)/

2017/09/20(水) 三保神社→須賀(我)神社→宍道湖・夕日→ジルジャン
一番鶏のもう一つの地点、そして 日本海より 中海・宍道湖へと入る起点・・ 美保関へ出発〜 <(`^´)>

山陰地方唯一の私鉄電車・一畑電鉄(バタ電と呼ばれてるらしい)を利用〜 宍道湖・中海を眺めながらの移動となりました。

噂には聞いていたのですが・・ 実際に見てビックリ!!

その車両は 私が学生時代によく使ってた 京王線の電車だったのです!!
駅員の人達に聞いてみても よく解って無かったみたいですけど・・(^^ゞ

そして バスを乗り継ぎ 三保神社へ〜 <(`^´)>

ここが 事代主(恵比寿様)の本拠地か・・ \(-o-)/


それから、再び 松江の地に戻って、日本初の宮:須賀神社へとバス移動!!

「ここは ”すがすがしい”場所だ!!」 との”音”を取って、
須賀・・須我・・ 社の方に聞いてみたら どちらでも・・との事・・

むしろ その当時 知ってたら ”清”を使ってたのでは?! ・・との事でした。

この神主さん、かなりポップで 話せる人でして、本殿隣の売店?!奥で 大相撲のテレビを見てたり、

先に帰ろうとしてるのを止められ、我々の御朱印帳を書くように促されたり・・と、、

きっとこの後 シルバーマーク付きの 黒の軽自動車で街へ繰り出し、カラオケにでも行くんだな・・ って感じでして (^^ゞ


でも、何故か?! 嫌な感じじゃないんです!!

そこに居る!! んですよね。。

御朱印帳に書いてくれた字の中では 最も達筆でしたし・・

遣る事はキチンとやるんです!! (^^♪


そして再び松江へと戻り、念願の 宍道湖の夕日を拝むポジションへと移動 ( `ー´)ノ

随分と天気も悪かったし、無理じゃないか・・とは思いましたけど、ここ数日の経験より こちらの夕日は 我々が思ってるのと明らかに違う!! って事は解ってましたから〜 (^-^)

中々に良い夕日でした\(-o-)/ それよりも 不気味な?! 雲の動きの方が・・ これはこの後に物語として続きます。


日が落ちて 出雲市駅方面へ移動〜。

今晩の収束地・・ ジルジャンへと〜 ゲル氏〜に紹介された、こちら方面へ来たら是非寄って見て欲しい と言われたお店です。。

何も無い駅を出て 更に何も無い道を歩き、
お店の情報としては、ホームページも、電話番号も無く・・

つまり 現地へ直接行って見る!! という行軍でした。。

案の定?! お店の看板らしきモノはあったのですが、普通の家っぽいし、明かりも付いて無く・・

その辺を探してると 丁度そこに焼き肉店が・・

お腹も減ってましたし これ幸い・・と 我らとしてはとても珍しい 焼肉での晩食となりました (^^ゞ

そして 食べ終えて 再び甲板の前を通ると 明かりがついており、入店へと相成った訳なんです(^^ゞ


そんなロケーションにも関わらず 若い人を中心に お客が結構集まって来るんですよ・・これが・・ 驚きです!!

みんな 「その焼き肉を食べられたのはラッキーな事ですよ!」と、「美味しかったでしょ〜!!」 ・・と、、

確かに 美味しい事は美味しかったのですが・・

この程度・・と言っては申し訳無かったのですが、この程度よりも遙かに美味しい焼き肉店ってのは東京にはいくらでも有る訳でして・・

むしろそんなことより・・

「この店の方が遙かに”ごちそう”である!!」 と断言するに至ったんです <(`^´)>

つまり ジルジャンってお店は そういうお店だったって訳なんです。。

オーナーの人が決める!!

私も入店して10分後にはすっかり常連客状態へと昇華してましたから (^^ゞ

”同じ” 匂いがするんです (^^♪

とても楽しい夜でした〜 \(^o^)/


しかし、こちらの人達は 少なめに表現するんですね・・
山登りの上り坂で くたくたになってる私の姿を見て、下山して来る人が「大丈夫ですよ、あと5分もしたら山頂ですから」の様に似ており・・

こういう場合は大概 30分以上を要する訳でして・・

この日の帰りも 大社前に泊まってるんだったら大丈夫!!
ここからなら タクシー使っても2500円位だから〜(^^♪ との言が・・

朝からバス移動とは言え 大体の距離を知ってる私としては、
そんなバカな事はあり得ない!! ってのは解ってた訳でして・・

結局 キッチリ 4000円以上は掛かりました・・ とさ。。

「さもありなん」 

2017/09/19(火) 八上姫神社→須佐神社→稲佐の浜→日御碕神社→稲佐の浜→深夜の出雲大社
先日訪れた”熊野大社”

元は 上ノ宮が主で在って 現在のは下の宮・・
さらに山頂にはその源流が在るらしい・・

明治政府によって無理やり統合させられ、現在の熊野大社から神魂神社を経て 出雲大社へ → の順番らしいです。。

ギリギリ探し当てる事が出来た 国庁跡・・ 是非 次の機会には!!

そして、松江の地を去る時に車窓からたまたま見た 宍道湖の夕日の景色・・

ハッキリ言って 舐めてました・・ "(-""-)"

この出会いがまた 次の物語を紡ぐ事に・・・ (^^ゞ


         *********************


因幡の白兎ゆかりの 八上姫神社・・

それは 宿泊した湯の川温泉の温泉宿の敷地内に存在してました(^^ゞ

朝、湯の川温泉を起ち、出雲市駅へ移動。。

そこでバスに乗り換え 須佐神社へ <(`^´)>

先日の 遠方への 電動機付き自転車の試練を考え、比較的楽な行程へ変更〜 (^^)/

須佐神社自体はそれほど悪くなかったのですが・・

そこに居た神職の連中が ピリッとしてなくて・・

ドン引きでした・・ "(-""-)"

先に行った 一の宮:熊野大社とは 大違いでした!!!


そして 再び出雲市駅に戻り、バスで北上・・

一路:出雲大社前へ〜 <(`^´)>


出雲大社でのバス停の場所の勘違いから、この日最大の とんでもない!! 歩数と試練が与えられ・・

それもこれも・・ 稲佐の浜での夕日か 日御碕からの夕日か・・

とにかく 先日見た 素晴らしい”夕日”を鑑賞する為であって・・


しかしながら 天候の不順のせいもあって、スッキリとした夕日を拝むことが出来ませんでした・・ "(-""-)"

ちなみに 高低差のある 片道約2キロの道のりを 全力疾走を含む 2往復をしました (>_<)



夜は 現地の居酒屋で飲み そこで食べた 大山鶏・・ 絶品でした (^^♪

そして、酔いも回って来たのを好い事に、誰も居ない出雲大社内へ突入〜 <(`^´)>


昼間と違って?! 静寂は 一対一で対峙出来るもんです \(-o-)/

この時がひょっとしたら 一番良かったのかも・・です。。

深夜という事で 当然!! 本殿への入口は閉ざされており・・

でもそこに ちょっとだけ開いている扉の左端に 10人くらいの集団が・・ ((+_+))

誰も居ない・・と思ってたし、その微動だにせず ひたすらに拝み続けて そこに居る・・

ビックリしました!! (^^ゞ

そして お手洗いを借りに行ったところ・・・

トイレの隣の薄グラ〜い、せまぁ〜い所に ぼぅ〜っと!! 人の姿が・・・ (・_・;)

何でも警備の方々で、本殿前の集団についても、

「最近は たまにああやって集団で深夜にお参りに来るんです」

との事。。

それでも お参りするのは自由なので なるべく そういう彼等の邪魔をしないようにしてるんだとか・・ (^^ゞ

そう言えば その人が縦に一人やっと入れる位の狭い空間に、
ブラックライトの薄暗い灯りの中で待機してる様・・

その後も 何人かの警備の方と遭遇しましたが、

皆、 いちおうに 我々を発見した時には 手に持ってる懐中電灯の光を 暗闇の方へと逸らしてくれてましたからね・・

なるべく こちら側の進むべく道を邪魔しないように・・


大した心遣いだ!! と、酔いが回った頭を 心地いい光が差し込んで来ました〜 (^^♪


写真は 左上:温泉宿の入口にあった”祠?”
バイト生のたむろする 須佐神社。
初・稲佐の浜→日御碕神社に上がり、そこで夕日を見るつもりが、天候の悪さと、何もない丘の上であと一時間待つ事が堪えられなかった為、10分足らず、今乗って来たバスに乗って 直ぐに下山!!

そして 執念の”夕日”は アップにしても この程度でした・・

しかし この失敗が 今後の糧になるんです!!

 

2017/09/18(月) 月山富田城跡→足立美術館→風土記の丘→湯の川温泉・八上神社
今回の最大の”試練”でした。。

時系列的に言っても、中世の支配者・尼子氏が居城とした月山富田城ってのは そこに居城する必要が有ったからであって、、

確実に史実を為すモノなんです。

だから 是が非でも その地には この足で行きたかったんです!!


しかし・・ そこには そこそこ復元されてしまった、整備されてしまった道が存在し・・

ただの 山登り・・へと為ってしまったのです "(-""-)"

しかも!! 強烈な道でして、 鳥取砂の丘に続く、

       「月山富田城・展望台」 と名付けるにふさわしい場所でした (-"-)

確かに! 山頂からの眺望は その後の物語に磁力と成る景色でして、その意味では 有意義なモノでしたが・・ (^^ゞ

台風一過で 水量が増し、轟轟と音を立て流れ行く川の姿は当に!!

4つの島根半島の右端・左端を繋ぐ土地を作った経過をそこに見い出す事が出来、

しかもそれは 人工的な?! 大量の砂鉄から鉄を取り出す過程で流れ出た 大量の土砂の蓄積が 土地を作り 陸続きになった様であり・・

特に 左側の流れ出す川:”斐伊川” 即ち ヤマタノオロチ伝説の基に成っている様な直感を得られるんです \(-o-)/

国来(くにこ)国来・・と 朝鮮半島に余っている?! 土地を引っ張って来て 4つの島根半島を成し、
左側を引っ張る時に引っ掛けた山が 三瓶山、
右側を引っ張る時に引っ掛けた山が 大山、

引っ掛けた主が 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)、祀られてるのが 左側端に在る、長浜神社。

そして 左側にしか この長浜神社の分社は無い・・らしいのです・・


これ全て 先日のおじいちゃんの話しによるものです。。

更に 左側頭部に位置する ”韓竃(からかま)神社”
ここは スサノオが ”新羅”から渡り着いたという伝説が残る・・らしいのです。。

日本の歴史の転換期の中で 仏教を中心に・・という 中大兄皇子(天智天皇)→ 天武・持統へと続く・・

こちらが この国では ”主” に為った訳でして、

つまり、 当時 日本という”国”の割り引きが決まって無かった頃は、諸所に 朝鮮半島とは結び付いていた筈・・な訳で、

ここに 磐井の乱(527)で敗れた ”新羅” と結び付いていた一派の存在を強く感じるんです!!

この時は ”継体天皇”という これまた 日本史史上、最も謎の流れの中での事であり、
不自然?! という意味に於いては 怪しい事・・この上ない時代のモノなんです "(-""-)"

そこでの討伐軍を率いたのが 物部麁鹿火(あらかい)という、物部氏であり、物部氏との関連性などを考えて想像して観ると・・

歴史は 勝者の物語であるが故に、、 という事を考慮に入れて逆算して診れば、

新羅とくっついていた出雲・・ という算段になるんです。。

斐伊川のとてつもない大氾濫を治める為 治水・灌漑対策というのを施したのも、

製鉄技術をもたらしたのも・・

これら皆、世界的に見ても そこで独自に発生は起こらない訳でして・・

つまり 新羅から来た渡来人によってもたらされてモノである!!
と 小生は 一つの結論を出すに至る訳なんです!!

だから 勝った側の 伊勢神宮派・・ であり、百済派・・ なんだと・・

そして 彼らに 出雲は、
譲った・・ という形で・・ "(-""-)"

ちなみに 余談ですが おじいちゃんと話してた中で、腹を抱えて笑った話しがあるんですが・・・

八束水臣津野命ってのが 「国来、くにこ、」と島々を必死で引っ張って来て そこ(島根沖)に据え終え置き、国引きが完了した時に発した言葉・・

「 意宇(意恵) : おう(おえ) !! 」 ってのがありまして、

私はすっかり、、 しっかりとやり終えた後の 

「 いぇ〜い!! (^^♪ 」

の意味だと思ってたんです。。

所が 実は 頑張り過ぎたための ”嗚咽”

「 おぇ〜ッ!! (>_<) 」 だったんだって 言うんですよ・・

♯(シャープ)だと思ってたら 見事に ♭(フラット)だったって訳なんです・・

これを聞いた時には 膝がカクン↓・・と 落ちましたけどね・・(^^ゞ



話しは行程に戻って、そんな眺めを 試練の先に得た後、下山・・

一応 近い事もあり 足立美術館へと足を運んだんです。。

モノには個人的主観が強く在る事を念頭に入れて置いて下さい・・"(-""-)"

高い入館料を払って入った瞬間に終了・・でした "(-""-)"

多分に人為的・意図的なモノを感じ、ポップでやらせ的な匂いを直感的に感じたからです。

予約できる 一番早いシャトルバスに乗って、さっさとその地を退散したのでした・・ "(-""-)"


こうなればやはり・・?! 癒してくれるのは?! 「風土記の丘」しか無い!! という事で、、

旅行者にしては ま・さ・か・・ の 三連発へと突き進んだんです <(`^´)>

まさかの?!三連チャンに 食堂のおばちゃんたちもすっかり打ち解けて、もう無かった筈の?!

十割・出雲そば、タップリと溶け込んだ 釜揚げそば を出して頂きました〜(^^ゞ。。

これが 美味いの なんのって・・  \(^o^)/

写真は 月山富田城、真ん中右〜熊野大社3枚、最後に 出雲国庁跡。

9月絵日記の続き


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