野川紀行
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2017/09/18(月) 月山富田城跡→足立美術館→風土記の丘→湯の川温泉・八上神社
今回の最大の”試練”でした。。

時系列的に言っても、中世の支配者・尼子氏が居城とした月山富田城ってのは そこに居城する必要が有ったからであって、、

確実に史実を為すモノなんです。

だから 是が非でも その地には この足で行きたかったんです!!


しかし・・ そこには そこそこ復元されてしまった、整備されてしまった道が存在し・・

ただの 山登り・・へと為ってしまったのです "(-""-)"

しかも!! 強烈な道でして、 鳥取砂の丘に続く、

       「月山富田城・展望台」 と名付けるにふさわしい場所でした (-"-)

確かに! 山頂からの眺望は その後の物語に磁力と成る景色でして、その意味では 有意義なモノでしたが・・ (^^ゞ

台風一過で 水量が増し、轟轟と音を立て流れ行く川の姿は当に!!

4つの島根半島の右端・左端を繋ぐ土地を作った経過をそこに見い出す事が出来、

しかもそれは 人工的な?! 大量の砂鉄から鉄を取り出す過程で流れ出た 大量の土砂の蓄積が 土地を作り 陸続きになった様であり・・

特に 左側の流れ出す川:”斐伊川” 即ち ヤマタノオロチ伝説の基に成っている様な直感を得られるんです \(-o-)/

国来(くにこ)国来・・と 朝鮮半島に余っている?! 土地を引っ張って来て 4つの島根半島を成し、
左側を引っ張る時に引っ掛けた山が 三瓶山、
右側を引っ張る時に引っ掛けた山が 大山、

引っ掛けた主が 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)、祀られてるのが 左側端に在る、長浜神社。

そして 左側にしか この長浜神社の分社は無い・・らしいのです・・


これ全て 先日のおじいちゃんの話しによるものです。。

更に 左側頭部に位置する ”韓竃(からかま)神社”
ここは スサノオが ”新羅”から渡り着いたという伝説が残る・・らしいのです。。

日本の歴史の転換期の中で 仏教を中心に・・という 中大兄皇子(天智天皇)→ 天武・持統へと続く・・

こちらが この国では ”主” に為った訳でして、

つまり、 当時 日本という”国”の割り引きが決まって無かった頃は、諸所に 朝鮮半島とは結び付いていた筈・・な訳で、

ここに 磐井の乱(527)で敗れた ”新羅” と結び付いていた一派の存在を強く感じるんです!!

この時は ”継体天皇”という これまた 日本史史上、最も謎の流れの中での事であり、
不自然?! という意味に於いては 怪しい事・・この上ない時代のモノなんです "(-""-)"

そこでの討伐軍を率いたのが 物部麁鹿火(あらかい)という、物部氏であり、物部氏との関連性などを考えて想像して観ると・・

歴史は 勝者の物語であるが故に、、 という事を考慮に入れて逆算して診れば、

新羅とくっついていた出雲・・ という算段になるんです。。

斐伊川のとてつもない大氾濫を治める為 治水・灌漑対策というのを施したのも、

製鉄技術をもたらしたのも・・

これら皆、世界的に見ても そこで独自に発生は起こらない訳でして・・

つまり 新羅から来た渡来人によってもたらされてモノである!!
と 小生は 一つの結論を出すに至る訳なんです!!

だから 勝った側の 伊勢神宮派・・ であり、百済派・・ なんだと・・

そして 彼らに 出雲は、
譲った・・ という形で・・ "(-""-)"

ちなみに 余談ですが おじいちゃんと話してた中で、腹を抱えて笑った話しがあるんですが・・・

八束水臣津野命ってのが 「国来、くにこ、」と島々を必死で引っ張って来て そこ(島根沖)に据え終え置き、国引きが完了した時に発した言葉・・

「 意宇(意恵) : おう(おえ) !! 」 ってのがありまして、

私はすっかり、、 しっかりとやり終えた後の 

「 いぇ〜い!! (^^♪ 」

の意味だと思ってたんです。。

所が 実は 頑張り過ぎたための ”嗚咽”

「 おぇ〜ッ!! (>_<) 」 だったんだって 言うんですよ・・

♯(シャープ)だと思ってたら 見事に ♭(フラット)だったって訳なんです・・

これを聞いた時には 膝がカクン↓・・と 落ちましたけどね・・(^^ゞ



話しは行程に戻って、そんな眺めを 試練の先に得た後、下山・・

一応 近い事もあり 足立美術館へと足を運んだんです。。

モノには個人的主観が強く在る事を念頭に入れて置いて下さい・・"(-""-)"

高い入館料を払って入った瞬間に終了・・でした "(-""-)"

多分に人為的・意図的なモノを感じ、ポップでやらせ的な匂いを直感的に感じたからです。

予約できる 一番早いシャトルバスに乗って、さっさとその地を退散したのでした・・ "(-""-)"


こうなればやはり・・?! 癒してくれるのは?! 「風土記の丘」しか無い!! という事で、、

旅行者にしては ま・さ・か・・ の 三連発へと突き進んだんです <(`^´)>

まさかの?!三連チャンに 食堂のおばちゃんたちもすっかり打ち解けて、もう無かった筈の?!

十割・出雲そば、タップリと溶け込んだ 釜揚げそば を出して頂きました〜(^^ゞ。。

これが 美味いの なんのって・・  \(^o^)/

写真は 月山富田城、真ん中右〜熊野大社3枚、最後に 出雲国庁跡。


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