野川紀行
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2017/09/22(金) 出雲大社→萩・松陰神社周辺
これまでの経緯を参考に、至ってシンプルな行程を取るに至って来ました〜(^^♪

まぁ 物事と同じですね・・ 何事も色々とやって診た結果・・シンプルなモノへと昇華していく様は〜 \(-o-)/

そしてここにもう一つ・・ 
ホントに宿泊してたのは 大社前入口から1分足らずの所だったんです・・

所が 未だ 出雲大社に まともに参って無い・・という状況のまま、遂に最終日を迎える事になったのです・・ "(-""-)"

誰もが知る?! あの 国宝・松江城・・
松江駅前に、4日間も滞在しておきながら 遂にはその中へ入る事は一度もありませんでしたから・・

外からの眺めは バスと船から 10回以上は拝見しましたけどね・・(^^ゞ

ジルジャンでも話題に挙がりましたが、
「最初に最高的なモノを見てしまうのは ある意味 不幸である・・」 と・・ (^^ゞ

今回の我々にとって それは、”風土記の丘”周辺での出来事を意味し・・

つまり 人為的なモノとして 私の中では トルコのアヤソフィアと双璧を為す?! ”神魂(かもす)神社”の姿であったり、
そこで そのままの料理を作ってくれて居た おばちゃんたちであったり・・
そして 先日拝んだ、 オレンジ色に強烈に光を放つLED球体=夕日 が頭の中に しっかり有る訳でして、、

つまり 「〜っぽい・・モノ」には興味が湧かなかったんです・・(^^ゞ

そして 本来は 移動途中にある ”石見銀山”を訪れるつもりだった筈が・・ "(-""-)"

一応、最後に 出雲大社を 人のあまり居ない早朝6時から散策、、
これは 地の利を生かしたナイス・チョイスでした〜(^^♪

所が・・ 石見銀山は・・と言えば・・


午前中には出雲を出るんです!
確かに 萩までは遠いですけど 3時間もあれば着くんです!

では、、 どうして?! 石見銀山へは!?

ズバリ! 便が無いンです!!

その答えは 
何故か特急列車の指定席を買っていたのに 途中で乗り換えを強要された駅・・
かつて 毎年の様にお世話になった駅:”益田駅” に在ったんです・・"(-""-)"

そこに在った時刻表を観て ビックリ・・なんてもんじゃありませんでした!! (>_<)

朝・夕の 一時間に一本ってのはまだ 見慣れた景色に為っていましたが、

益田駅のそれは 昼間の真ん中辺り・・ ”4時間” きれい〜に空白だったんです〜 !!! \(◎o◎)/

今までにも 結構なモノは見て来ましたが 山陰本線ですよ・・一応・・ しかも、萩へと結ぶ・・


でも この”流れ” ってのが 現在の ”萩”を ”萩”たらしめている一つの要因だと思えるようになったんです。。

どうも

益田→津和野→山口 ライン ってのが メインらしいんです。。

お蔭で 車社会の今とは言え、萩はすっかり 陸の孤島へと為って来たんですね・・

まぁ その話しはさて置き、

石見銀山をスルーしたお蔭で 萩(東萩駅)へ 午後3時には到着 <(`^´)>

これから3日間宿泊する方面へと移動。

この方面とは 萩市内を眼下に見下ろす事が出来る 山の傾斜地に宿がありまして、

この萩市内ってのは 完全なる 狭〜い 三角州地帯でして・・

阿武川が 松本川と橋本川ってのに分かれて為してる、

その片方の川(松本川)を超えた こちら側に位置するんです。

その地とは、吉田松陰:松下村塾が在った場所なんです!!


宿に着いて 早速 松陰神社内にある 資料館へと直行〜<(`^´)>

そこには 松陰直筆の手紙とか、絶筆とか、 ゆかりのモノが レプリカを含め、展示されてました。

それらを ”直” で見た 私の感想・・は また 強烈過ぎて・・

”それ” を書いてると また 多分になりますので 辞めて置きますが・・(^^ゞ


そして この 城下から川を渡った 外れの地の・・ ”ここ”での経験ってのが また後に続く訳でして・・

吉田松陰の誕生地、育った場所も 山の中腹にありまして、

ここからは かなり ハッキリと 萩の城下 全体像が見えるんです!!! コンパクトに!!!

この 幼少期に於ける ”地点” ってのは かなり大きいですよ!!


それは こういう寸法なんです。

幼少の頃より

政治の行われている ”ここ” ってのを 眼下に見下ろす形で・・ ”そこ” として 見・捉える事が出来、

いざ自分が(年長者になって) ”そこ”に参入した時には、
その時に自分が居る ”ここ”を 
”そこ” としても見る事が出来る!!

ま・・ 言うなれば 客観視であり、「森を見て木を見る!」
木の、森に対する ”位置” ってのが フィードバックされる・・って意味です。。

それが 彼の場合 全国への旅路であり、黒船来航時には 世界への旅立ちであり・・

これら全て 幼少期に於ける この地点からの眺め・・視点・・ってのが 彼の中での ”始点” に為ってたんだと直感しました。

それらは 彼の手紙・・ 特に 日本の海防策への無策意さ・・に失望の念を隠し切れない・・怒り・・

全体像を見てからの 彼の視点ってのは 「そこ と ここ」の区別が付いて無い ”ここ” だけで物事を判断していた輩達とは、明らかに違うモノだった事でしょう。。


そして 松陰神社周辺の景色・・

萩城下町は 世界遺産に登録されているモノですが・・

むしろ 川を渡ったこちら側の方が・・ 私には 随分と 自然に見えました・・

写真は 大国主命と”玉” この玉は 私には あの”夕日”に他なりません! 上右は さざれ石

下段左:川のこちら側にある 普通〜の景色。
真ん中下:松陰誕生の地、下右:ここから観える あそこ(萩城下)画像が不鮮明で解り辛いですが・・(^^ゞ


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