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2008/12/01(月)
挫折とその先に見える栄光について
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サークル、ゼミと一般的な大学生がやることに対してどちらも否定的な結果が出て、少し落ち着いてこう考えてみると、なんか今年の下半期いろいろとまとめてきたなーって感じ。
9月に学生最大級のインパクトをもらってからここまでいろいろあって、何につけても本当に自分というものを見つめなおすことが多い。極端に言えば病むというか、自分の心の中で一生残るであろうことが立て続けに起こった。
やはり自分は過信していた部分がかなり大きい。サークルはサークルというものの性質上仕方ないところはあるけれど、ゼミ面接などで自分が果たして上に「一緒にやりたい」と思わせる人間だったかというと、結果上そうではなかった。
確かに自分を冷静に見ると、サークルでもそうだけど、そういう何か排他性のようなものがあり、自分がもし自分の先輩だったらあんま・・・どうなんだろって感じの人間なのかもしれない。
特にサークルのほうはかけてきた思いもあるし(ゼミにも多少あるけど…)自分が落ちたということに対して納得できるロジックもへったくれもないし自分ならできたっていう自信とプライドはあるから……って思ってたけど、ここに自分が幹事長になるべきだったって理論を書き記していってもまじ不毛だし周りには不快なのは間違いないから、
反省すべきは反省して、これからどうなりたいのか、どうしていくのか。ってことを考えないといけないと思う。
なんだろう。言い方はわからんけどもっと器用に、世渡りな感じでやっていくのが大事なのかもしれない。 ここにこんなん書いてしまう時点でそうじゃないかもしれない。けどこれは一旦受け止めて前に進むには必要なこと。
どちらにしろ少し俺は我慢が足りない。
ひとりのカリスマが作りあげるものとみんなでやっていくもの、いろいろあるけれど、高校時代の部活みたいに自分の背中で示すというのは違うんだなってのが最近わかった。
しっかり役割分担があって、コンセンサスがあって、トップにビジョンがあって、そこにミッションがあって……っていうのは違うのかなぁ? 役割分担とコンセンサスがあるのだけがサークルで、楽しめればいいというのが総意なのかもしれない。
とにもかくにも前に進んでいかないといけないのだけは確か。
ここで折れた時点で、俺はそこまでの人間だったって話になる。
少し裏切られても変わらない自分のコンセプトは No Friends, No Lifeだったり No Action, No Successだったり・・・
いろいろあるからそれだけは大事に。たぶん間違ってないし。
これ超えて行くことによって、自分の中で何か得ることによってまたひとつ大きくなっていけるんじゃないかって思う。
《自ら機会を創出し機会によって自らを変える。》
ゼミの代わりには何か学生団体でも見つけてビジネス、特に新規事業に関しての勉強をしよう。今のところ俺が興味を持てるのはそれぐらいかも。力を発揮できるのは団体のほうかも。
全部を見返してやろうか!
だからがんばろう。 むしろ今までは頑張ってるふりをして、誰かに認められたかっただけなんじゃないか?
認められることは必要なことだけどそれは最終目標じゃない。それに気付いた。
だから今までとは少し変えて、頑張ろう。
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