|
2001/11/07(水)
相違の大きさと絶望と天国の鐘の関連性に関するレポート(63点)
|
|
|
書き始めてから既に1年半。 結構な量の日記?を書いているので内容が重複していることがあるかも知れないが、それは同じようなことを過去にも、そして今も考えているというだけのことだ。
しかし厄介なのは自分自身が書いたことに関して無責任だってこと。
「アレはどういうこと?」とか、よく人に訊かれるが「え、そんなこと書いたっけ?」な返事はよくあるし。 その瞬間は見えていたモノが1日経つと消えてしまうなんてことはさらによくある。 思考もまた「浮かんでは消える。・・・泡のように。」だ。 怖いのは、消えてしまったこと、つまりそいつの存在自体を忘れてしまうことだ。 竹を割るなら 「あの頃はあんなこと考えてたなぁ。」は○。 「あの頃は何考えてたんだろう。」は×。 てこと。
だから、思ったことを毎日書きとめる。 「IDEA」を 「NOTE」する。
その目的はきっと【IDEAL NOTE】なんだろうなぁ。
IDEALISTの行く先は決まってるのに・・・
と、いつも悲観的に考えてしまいがちなので、今日は一平的エセ平和主義なプチ天邪鬼思考のそーちゃん風味で〆よ。
「IDEAL NOTE は、きっと求める自身の中ではなく、そのすぐ傍にいる人の中で鳴るんだ。 ぐわ〜〜〜んって。」
・・・うむむ・・・ダメだぁ。
今の〆方は納得いかないので、やはり俺らしく面倒くさくゴタクを並べて説明したい!
【IDEAL NOTE】:理想の音。転じて「魂を力強く飽和させる力」は自分が自分で自分自身のために求めているのに、理想点と実在点との無限にも思える距離に自分自身は打ちひしがれ、その相違の大きさはそのまま絶望の大きさとなる。 しかし、そのエネルギーは自分ではなく傍感者にとってのIDEAL NOTEとなり得るのだ!! (そしてそれは救いの刃となり、自身の心を切り裂くだろう。)
ふ〜ぃ、これでスッキリや〜。
最近、もの凄く細かい感覚をなんとか言葉で表現しようとして解りづらい文章になり過ぎているのはわかるんだけど、読んでくれる人には悪いが自分の整理のために続けさせていただきます。 理解してくれる人がいれば幸いです。
|
|
|