日々是魂知己
〜自分勝手の極み〜
我、思う。故に知己あり。
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2005/11/30(水) あいまいなところで
むかうところがどこなのかわかってるひともすくないとおもうしわからないからよりみちもできるしわからなくてもどこかにはたどりつくしことばだけをならべてみるのもいいしことばなんてまったくなくてもいいしわかりやすけりゃそれがいいしわかりにくくてもダメじゃないしいいかわるいかなんかそのときのじょうきょうしだいだしそのひとしだいだしユメをみたくてもみれないひともいるしゆめしかみれナイいひともいるしはらがへればナンカくえばいいしねむけりゃネルシおきればあすダシあしたはキョウトなにがちガウノかなんておれにはセツメイできないしセツメイスルひともいないしヒツヨウモないしただタだコトバヲナラベテエラバズあいシタとツルボーハイウシソレガスキダシソレデイイトオモウしスベテハタバコノケムリノゴトククウキニトケテイクガゴトクミギモヒダリモワカラナクナレバミンナヒトシクイキラレルシミンナヒトシクシネルシスベテノキカクヲトリハらッテアイマイナトコロデソンザイスルコトハヤッパリムズカシイケドソレニアコガレモスルシダカラコソアナログトカローテクトカフベンサノナカニソンザイスルアジナブブンニキョウミヲヒカレルシアリノママノスガタヲオイモトメルシスベテガヒツゼンデアルトカンガエルシコノブンショウモムジュンダラケデイイトオモウパズーハオナミュージックダシケッキョクゼロ=0=無ヲメザスノカ。ボウチョウシテシュウシュクシテゼロニモドルノカ。死が無トハオモハナイケドイキルコトガ有デアルトハオモウカラダカラコソ誰もがムヲ目指シアガイテイルヨウナキガする。
人がヒトヲ殺したって一概にソレガ悪だとはオモわないのに順番を守らないヤツを悪だと決めつけるし、宇宙の中では限りなく無にヒトシイ存在のくせに自我を主張するし、フェードアウトしたいなどと口にすることもある。思うようにいかないことがあることは知ってても思うようにいかないとイライラするのが人間だ。戦争反対って言ってても戦争してるのが人間だ。かめになりたいなんて歌ってても人間であることに満足してるのが人間だ。矛盾こそが人間の証だ。
自然に矛盾はないのだから。



あいまいなところで泣いているのがあるべき姿なのかもしれない。
あいまいなところで笑っているのが幸せなのかもしれない。






「何様のつもり!?」と言われたことがあるが、ホントに俺は何様のつもりだ。それを知りたいのに。

2005/11/29(火) 27時間
この夏、連続44時間活動記録を樹立したが、今度は連続27時間睡眠をやってしまった。
腰がイタイ。。。

2005/11/27(日) 幽霊
なぜだか3日ほど前に仲間内で突如、幽霊話が流行った。
こんな寒い季節に。
ますます寒い。

3日して再び幽霊について考えてたら、全く新しい結論に到達した。

『幽霊は究極芸術だ』


話の流れはこうだ。

1、幽霊は残留思念だ。人間のさまざまな思いがどうにかしてその空間に留まっているのだ。
2、音楽やってる人は楽器や喉を使って空気を振動させることで思いを形にする。彫刻家は木や石や粘土に思いを、映画監督はフィルムに思いを詰め込む。
3、・・・1も2もやってることは同じじゃないか。
しかも幽霊ってのは媒介を必要とせず空間そのものに「表現するという行為」をやってのける代物だ。更に言うと鑑賞者は時には視覚で時には聴覚で時には第6感でそれを受け取ることになる。嗅覚にくる人もいるらしい。味覚は聞いたことないけど。
金縛りや、上に乗られている感覚は触角で鑑賞する代表例か。

4、これはもはや総合芸術、いや究極芸術と呼ぶにふさわしい。
そうだ!『幽霊は究極芸術だ!!』

自ら死を選んだ表現者たちの中には最後にこの究極芸術に挑戦した人もきっといるに違いない。

賛同者求ム。

2005/11/25(金) 掘っちゃダメ!
『仮面を被っている人ってのはワケが在って被っているのであって興味本位で被っているのではない。』


僕は人の仮面を外すのが大好きな人間なのだが、先日、初めて『外してはならない人』に遭遇した。

仮面の下にちらりと見える素顔な部分に対して自分の警報が鳴った。

その時の状況を分かりやすく例えるなら、細い柱の上に巨大な岩のっかっていて、その真下で柱に斧を入れるような状態。

そのコにとって仮面はまさに支柱だ。
でも岩が何でできてるのかを知るためには斧を入れなきゃならない。
それはもはや良い悪いの領域ではなく「やりたいからやる」レベルの行動だけど。
さすがに悩んだね。
成すべきか、成さざるべきか。
まいった。

結局、半端モンな僕はちょっと掘ってそれで満足することにした。

2005/11/23(水) 瞬間
通常、築き上げるのには時間がかかるのに崩れ去るのは一瞬。
だから一瞬で築き上げることができる人は凄いし、崩さずに続けられる人も凄い。
今日はグルーヴが壊れる瞬間を何度も体験した。
不思議なもので原因はわからないけど、「あれ?さっきまで確かに在ったのに今、突然消えた。」
在ったものが何だったのかよく分からないけど、消えたものはよく分かるもんだ。
そういう構造ってどうしようもないけど凄く嫌だ。

2005/11/20(日) 掘って掘って!!
なんか肩に力が入っちゃってる人が多くて、接するたびに
「もっとリラックスしていこうよ〜」
と思ってしまう。
人が自然体で生きられる世界ってのは難しいと思うけど、些細なトコからってことで自分は人の肩の力を抜いてあげられるような人間になろうと思う。
それが掘り下げるということ。

2005/11/18(金) ドロロのノウズイ
人間の脳ってのはホントわからんもんで、掃除をしてたら突然「キクチ ジュン」(以下キジュン)という友達のことを思い出した。

キジュンとは小、中学校が同じで(幼稚園もだっけ?)、家にも遊びに行き来するぐらいの仲だった。
この話とは全く関係無いが、彼には姉がいて俺には兄がいて、そっち同士も同級生だった。キジュンの姉は違うクラスのうちのアニキをわざわざ見に行って、本人の目の前で
「う〜ん、中の上ぐらいかな」
と発言した猛者だったが、弟の方もかなり変わっていて今になって考えると恐ろしくマセた男のコだったようだ。


中学2年の頃、俺がたわい無い数学の問題に苦戦し、学年でもトップクラスに勉強のできたキジュンに助けを求めたときのことだ。

彼は俺の質問に対してこう答えた
「寺尾のツッパリを見ろ。そこに答えがある・・・」
と!!

はい?
てらお?
つっぱり?
相撲の話だよな。うん。はいはい??

学校と家とせいぜいチャリで行ける世界がすべてだった14才の俺にはいささか気の利きすぎた返答だった。
ヤツは分数の掛け算に悩む無垢な少年に対して人生の道標と言っても過言ではない寺尾関の生き様を示したのだ!

今だから漸く分かるキジュンの懐の深さ。
そして言葉選びのセンス。
まことに恐るべき14才だ。

その寺尾関も土俵から身を引いて久しい今日この頃。
14才で男の生き様を語ったキジュンは今そのノウズイで一体何を考えていることだろう。

2005/11/17(木) 寒いって!!
妙に寒いと思ったら部屋の小窓が開けっぱやったわ〜。
気づけよ!!

2005/11/16(水) リリーさん
自覚する性質の中に少し変わったものがあって、
人から薦められると興味が薄れる
という非効率的な特性を示す。
基本的に天邪鬼だ。
薦めてくれた相手は問題ではなく、尊敬する人が薦めるものでもトライしないこともあれば、わりとどうでもいい人の薦めに素直に従うこともある。

ところが昨日、友達の彼女に薦められた本を読んでみたら見事にヒット。
三遊間を抜けて悠々二塁は固い。
リリーさんの書いた名言集なんだけど、内容はかなりエグイ。
1話目からヘビー。
いきなりですか!?
あー、そう。そー来ちゃうか。
みたいな。
電車の中で読んでたら笑いすぎて挙動不審気味だったので、途中で断念したほどだ。
いったい何割ぐらいが実話なのやら。

2005/11/15(火) 線。
ラインってあるじゃないですか。いろんなライン。
今日はつい声が出てしまうラインについての話。
と言ってもそっち系の話ではないよ。(一応そのテの話は自分からは振らないようにしているので。)

声というものが何らかの意思を人に伝えるための手段であるにも関わらず、1人っきりでいるときも思わず声を発してしまうことがある。
いわゆる独り言ってやつだ。
最近、自分の独り言がたった3パターンしかないことに気がついた。
「(さぁ)やるか!」:やりたくないことをやらねばならんとき
「あほ」:テレビや本などに出てくる愛すべき馬鹿に対して
「ひでぇ」:酷いありさまのとき
だ。
この3つが声になって出てしまうとき、どうやら俺の中で或るラインを超えて突発的に感情が昂ぶっているらしい。
たぶん人よりラインは高めに設定してあるはずだから、あんまり口にすることは無いんだけどね。
コレに気づいてから言うたびに1人でニヤリとしてしまう。
俺、暗い・・・。
そして語彙力ない・・・。

いろんなモノにラインってあるから、それを実感してみると面白いよ。きっと人と大きくズレてるものがあるはず。

2005/11/14(月) ギタリストたち
俺の好きなギタリストの中で最も凡人よりの人だと思う。
磨き上げたんだろうなぁ、ひたすら。
たまにめっちゃカッコイイ曲を出してくるから面白い。
アニキ。

2005/11/13(日) ギタリストたち
髪切ったり、太ったり、痩せたり、マッチョになったり、ガンになったり、治ったり。
ただ好き。

2005/11/12(土) ギタリストたち
プレイを聴くとわかるけど唯我独尊な人なんだろーなー
やりたい放題、このオヤジは。
進化しすぎ。

2005/11/11(金) ほりた村
ほりた村の村長さんが最近メガネキャラを演出しているようですが、ハッキリ言ってこんこんちき一のメガネっコはです。
よ〜し、ノッてきた!
この際だから声を大にして言わせて頂こうッ!
「メガネとはッ 目が悪い人だけに神が与えたまふ類稀なるアイテムなのです!!」
なのです!!

ですよね〜、装置メガネさぁ〜ん?

2005/11/10(木) 得意技
人と話していてフと自分の知られざる得意技に気づいた。

「知った風な口を利くこと」

かなり得意っぽい・・・。自粛します。

2005/11/09(水) 荒木飛呂彦(敬称略)
恐ろしくひねくれ者でそれでいて素晴らしく自分を知っている男、荒木飛呂彦氏。
彼の言葉は必ずしも真っ直ぐではなく、「やり飽きたビリヤードのように」間接的にかつ的確に真実を衝く。
彼の言葉を借りるならば「魂の匂い」というものがあって掘り下げたところのある一点において人と共感できることがある。

最近Mrマレンコという男と知り合った(厳密に言うと出会い自体はしばらく前だが本当の彼を見たのはごく最近ということになる)のだが、ろくに話もしてないのに自分とよく似た「魂の匂い」の部分を持っているな、と思った。
彼自身も似たような感覚を抱いたに違いない。彼はその感覚を「さばおり」という技で表現した。余談だが俺の得意技も実は「さばおり」だったりする(笑)
タイプはかなり違う人間同士がある瞬間、互いに同じ「魂の匂い」感じることが確かにある。
やはり人間は面白い。

2005/11/08(火) 理解不能2
先日、松井智惠さんという方の作品を見る機会があって、3つ、4つ程のショートフィルムを拝見させていただいた。
彼女の作品はこれしか知らないが、「ワールド」展開しまくりで思わず見入ってしまった。
言葉は皆無ですべてがゆっくりと流れる時間の中で彼女が表現していたものを私は(自らの力不足で)図りかねたのだが、その圧倒的なエネルギーは肌で感じることができた。
世の中には理解を超える凄いモノがごろごろしているもんだ。

2005/11/07(月) 言葉のチカラ
ココロを整理するために言葉にする。
文字じゃなくてもいい。
誰かに話すと自分の言葉を自分が聞いて、なるほど自分はそういうことを考えてたんだな、と思うことがある。
要するに中にあるものを一度外に出して、また入れ直すという作業をすると、いらない部分が削ぎ落とされてスッキリする。
自らの哲学を再構築するということか。
やはり自己完結型だ。

ただし、逆に自分の中から出た真実ではない言葉に躍らされて、一種の自己催眠により考えが暴走してしまう危険があるので注意しましょう。
俺は結構暴走するのが好きだけど。


みんな!こんな感じで文字にしてみよう!!
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2005/11/06(日) 続・肌寒い季節
種田さんの言葉を辿ると、僕の中で1という数字に対するイメージが大きく変わった。
焼き芋食べたくなった。

しっかし芸術家だなぁ、この人。
なんか写真ですらオーラが出てる気がする・・・
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

2005/11/05(土) 肌寒い季節
尾崎さんが「咳をしても一人」
と言ったら、
種田さんが「鴉啼いてわたしも一人」
と言った。

凄いよ、この人たち!!

写真は尾崎さん⇒

2005/11/04(金) 人間
人間が好きやし、好きだからこそ嫌いな部分もあるし。
どーでもええことって嫌じゃないし、ホントどーでもええし。
何が言いたいかって言うと、別になんも言いたいことはなくて、ただ俺って人間好きが大好きなんやな〜って最近よく思う。
なんでこんな好き勝手しよんやろ、この生物。
前から思っとったけど最近さらに思う。
破滅的やし創造力豊かやし。
だっておもろい人間がいっぱいおるもんねぇ。
まったく何なんやろうねぇ、この有機物は。
死ぬまでに自分も含めていろんな人間をちゃんと見ときたいなぁ。
それかもなぁ〜。

2005/11/03(木) 横浜トリエンナーレ
多くは語りません。
おもしろい。
濃すぎて疲れた。

2005/11/02(水) LTD=DTL
この人、僕の最も好きな芸術家の1人なんです。
このアルバムの3曲目のDIE TO LIVEっていう曲がめちゃめちゃ好きで、これも1曲リピートで寝ることがあります。
この曲を聴きながら目覚めたときに窓の向こうに青空が見えたら最高に清々しい気分になります。
この曲を聴きながら目覚めたときが曇ってたり、雨だったりすると最高にブルーな気分になります。
けれども新しい1日のテンションを任せるだけの価値が充分にある曲です。

勝手な解釈ですけどジャック・マイヨールが海の中で感じてた(であろう)感覚がこの曲の中にあるよ−な気がするんです。
この曲聴いてると上がる理由が見つからないんです。

2005/11/01(火) アリエナイ
自己完結型な人間なので人と深いところで解かり合おうとしない。
どうせ解かりはしないだろうと思うことは敢えて解かりにくいまま言葉にするし、言葉にすらしないことも多々ある。
だから俺は無言の時間が長い。
頑張って言葉で伝えようとしても実際にそのレベルで人と解かり合えた試しはほとんどないし、違う人間なのだからそれは仕方が無いことだとも思っている。

ところが、ずいぶん前の話だが、ある感動の全貌が図らずして相手に伝わってしまったことがあって唖然とした。
とくに言葉も選ばず、自分の中に出てきた言葉を2、3並べただけなのに!そのコは「・・・そうなんだよね。〜〜〜なんだよ。」と。俺の胸の内を補完してしまった。
その時のシチュエーションもあいまってそれはある種とても神秘的な体験となった。
「なんで今ので解かったんだ??」って訊こうかと思ったけど、そうすることでそこにある完璧な空気が壊れそうな気がしたので、そこで会話を止めた。
心の中を見透かされた気がしてちょっと怖かったなー。


ついでにレタスの写真でも載っけとこ。。。(笑)


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