日々是魂知己
〜自分勝手の極み〜
我、思う。故に知己あり。
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2006/10/31(火) トシヤノフ襲来!!
前々から気になってた存在。

トシヤノフ。

まー、他聞に漏れずバカだ。

しかし、世の中にバカは多いがヤツほどの本物はザラには居ないだろう。

そしてバカという人種だけが持つ特殊な匂いが俺は好きだ。

2006/10/30(月) たま〜〜〜にだけど。
ホントにたま〜にだけど、このメンバー(佐藤一平&堀田壮一郎)とあと何回音を出すのだろう。
と考える。
ライブ中とかスタジオでの練習中とかに。
それは分からないけど有限であることだけは確かだ。



出会ってきたいろんなバンドが解散していく中で、The conconchiki、ザ・コンコンチキ、ざ・こんこんちき、こんこんちきと一平とはもはや9年近い付き合いになり、どうやら腐れ縁のようだ。
(いや、ほんと腐ってるが。)




いつまで続くか分からないものだらけのこの世の中。

だからこそ・・・

精一杯伝えよう。

後悔ない様に。





明日はプレイハウスの最終日だ。

2006/10/29(日) やっぱり日本放送協会が好き
以前からもしや、、、とは思っていたが今日確信した。

NHKの番組の質が変わってきている。

ただの生真面目じゃなく、ユーモアを備えた真剣。

そして、視点が若い。

そして、そふぃすてぃけいてぃどだ。



物事をありのままにシンプルに捉えれば、実は大切なモノってのはすでに見えている。

そこには人の存在があり、その存在はそれ以上でもそれ以下でもなく・・・。

そういうことを解っている人が作っているのだなぁと思う番組は他の民放ではそうそうお目にかかれない。



一度失った信用を回復することは並大抵の努力じゃないだろう。

今のNHKはその組織自体をもって、這い上がることの難しさと美しさを見せてくれているようにも思える。

2006/10/28(土) 生まれと育ち
誰だったか「女に生まれるのではない、女に成るのだ。」という格言を残した人がいたが、女に限ったことではないだろう。

「人は人に生まれるのではない、人に成るのだ。」

2006/10/27(金) やっぱり気になる!
いったいなぜ?

なぜゆえに?

流れとしてはあまりにも、だ。

だってさぁ、〜をかし、〜をかし、〜あはれなり、〜いとをかし、〜わろし。

って変じゃない?

なんで最後だけ?

なんかもう、めっちゃツッコミ待ちやん。

なんで誰もそこにつっこまないんだ?

「なんでやね〜ん!」とか「悪いんかい!?」とかいうツッコミが入って初めて成り立つ文章構成じゃないすか。

実は枕草子が風情をふんだんに織り込んだネタ帳だったってことはないかな?表現とか着眼点が粋すぎてそれがボケだって気付かれなかったとか。

だとしたら切ない。

1010年の時を経て尚、放置され続ける壮大なボケに誰か愛の手を差し伸べてくれないかな。

2006/10/26(木) 浮かんでは消える。・・・泡のように。
それを大事にしたい。

ふわふらと揺れながら水面を目指す。

それを大事にしたいんだ。

2006/10/25(水) 似非
似て非なるもの。

それが【エセ】。

〜1999年、YAMAHAが XV1600 ロードスターを発売し、某バイク雑誌で「(ハーレーに)似て非なるもの」として取り上げられていたのも記憶に新しいが、今日の話には全く関係がないという事実〜



俺は自称、エセ博愛主義者だ。


俺は昨日、こんな夢を見た。


些細なこと(話すと長いので省略)に腹を立てて、7人の不良高校生の頭を鷲掴みにし何度も壁に叩きつけて、頭蓋骨を砕き、内1人は死亡。
残る6人はどうなったか解らない。

という夢。

エグイ。

ムゴイ。





とにかくこれで俺の【エセ】は証明された。

が、その代償はあまりにも大きかった・・・

2006/10/24(火) 脳は消化器官という考え方
脳は消化器官である。


「摂取して、分解して、吸収して、必要なものは使って、不要なものは排泄する。」

この一連の流れは何も胃や腸などの内臓だけで行われている訳ではない。

実際に人間の入り口、つまり目、鼻、耳、口、(刺激も含めるなら肌も)の内で口から摂取したもの以外は全て電気信号として脳に送られ、分解され、吸収されていく。
口からの摂取ですら、味という感覚は脳へと送られるのだ。


それを考えると脳は消化器官と呼ぶに十分な働きをしている。



では、ここからが本題だ。

「摂取して、分解して、吸収して、必要なものは使って、不要なものは排泄する。」

さて脳は不要なものをどうやって排泄するのか。







答えは「排泄しない」。

不要なものも排泄されず、溜まっていく。

そう、私たちが【ストレス】と呼ぶものがそれだ。

したがってストレスは嫌なことをしたときだけではなく、何かを経験すれば必ず経験のカスとして蓄積されていく。

無益な経験ほどストレスは溜まりやすいものだ。


しかし、ストレスが排泄できないならば、どうやって私たちは溜まっていくストレスを処理するのか。



おそらく方法はひとつしかない。


それは、ストレスに【安楽】もしくは【快楽】をぶつけて相殺すること。

リフレクソロジーでリラックスしたり、酒を呑んで騒いだり。
心地よい音楽に「たゆたう」なんてのも凄くイイ。


その時、脳内ではストレスとして溜まっている不要な電気信号がドーパミンなどの快楽物質により熱に変換され、頭皮から放出されることで脳はリセットされた状態になるのだ。




もし私たちが3日間一度も便を排出しないと、確実に体に異常をきたす。
まして、正常な人なら1日に少なくとも2、3回はトイレに行くだろう。

それと同じく1日に少なくとも2、3回は脳にも【快楽】や【安楽】を与えてやらないと、脳にも、つまり精神にも異常をきたすということだ。


ものすご〜く、回りくどいこと極まりない日記になったが、俺の言いたいことはただ1つ。

それは・・・(ジョセフ風に)













『人生を楽しもう!』ってこと。

※この日記はかなりの部分が断言口調で書かれていますが、俺は医学の知識は皆無なので全く根拠はありません。鵜呑みにしないで下さい。あくまで個人的見解です。

2006/10/23(月) 点→線→円→球→?
すでに見えている。

すでに感じている。

なのに解らない。

仕方ない。

解るはずが無い。

同じものをどうやって区別する。

先へ進むしかない。

そうすれば違いが見えてくる。

それを見たいのか。

点と球とどちらが「良い」か。

線と円とどちらが「優れている」か。

ナンセンスだ。

そこに至ってはどちらが「好き」か、ということさえ無意味。

主観と客観が完全に一致する。

そして・・・

【観】の消滅。

【感】の消滅。

それは

【我】の消滅。

【個】としての【有】。


この思想で行くと、ここで行き詰る。
【有】はあくまで【有】であって、決して【無】ではない。
【我】の消滅の時点で、哲学的絶対領域に入るわけだが、その後に確実な【有】の存在を認めざるを得ない。


そこで、見方を変えて【意味】という抽象観点に立つと【有】=【無】が成り立つが、そこに於いて『意味を持たない【有】』と逆説的に『意味を持つ【無】』(ハッ!!これは今日初めて気が付いた!!)が現れる。


こんな単純なことに今まで気が付かなかったなんて。
しかし、これは強烈だな。バリヤバイ。
『意味を持つ【無】』!!
ちょっと響きがイモいが、『意味ある【無】』じゃあ【有】と【無】の関係が解りづらくなるので、いもれいでいのまま置いとこう。


勘のいい人はここで気が付くかもしれないが、『意味を持つ【無】』とは、まさにビッグバン以前の状態に酷似している。
いや、寧ろビッグバン以前の状態そのものなのかもしれない。


天文学者の結論と数学者の結論とバイト中のベース弾きの結論とがイッチしてしまうとは!


それってピタゴラ!


〜ここで終業チャイム鳴る〜


では、今日のまとめ

【全て】は『意味を持つ【有】』、『意味を持たない【無】』、『意味を持たない【有】』、『意味を持つ【無】』から成り立つ。


じゃあここ、テストに出すからちゃんとノートとっとけよ〜

2006/10/22(日) 【24時間耐久魂知己】
コレは新しい試みだ。
1日のうちで考えたことを即座にひたすら書き込んでいく、題して【24時間耐久魂知己】。
たぶん過去最長の日記になると思う。

〜我、反旗を翻す〜

思春期の反抗期ってのが自分には無かった。

と、思ったら最近どうやら反抗期らしい。

かなり遅咲きタイプだ。

しかも反抗の相手が「自分」。笑

どーすんだ、これ。

しかも内容がささやかすぎて自分に自分で反抗してみて、その茶目っ気に自分で笑える。

「たはは」っていう笑い。

どうやら今年の秋は新しい“落ち”方が俺を襲ってるようだ。

   村 
     上 佑    新しい
         樹に     流れ。 


〜ノーマル“落ち”に戻る〜

そうこうしてるうちに普通に落ち始めた。
秋風と曇り空とニコラスのRGBが孤独を加速する。
孤独を癒すのは孤独な存在だ。
僕が【孤独】という言葉を使うとき、いつも独楽という存在が頭をよぎる。
以前、不意に知り合いの女性からメールで送られてきた詩。
高野喜久雄さんという方の詩だそうだ。
 
  「独楽」
  
  如何なる慈愛
  如何なる孤独によっても
  お前は立ちつくすことが出来ぬ
  お前が立つのは
  お前がむなしく
  お前のまわりをまわっているときだ

  しかし
  お前がむなしく そのまわりを まわり
  如何なるめまい
  如何なるお前の vieを追い越したことか
  そして 更に今もなお
  それによって 誰が
  そのありあまる無聊を耐えていることか


(この詩をメタファーという観点から解説している興味深いサイトがあったので乗せておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~yp5k-tkn/terasawa.html


〜レトリックの世界〜
つい3日前に出会ったばかりの単語が私の中を席巻しつつある。

【レトリック】
言葉というツールを巧に操り、美しいほど絶妙に表現することと解釈した。
美辞麗句だ。

日本に生まれ日本語を公用語として使う以上はそれをより美しく使いこなしたいと願うことは自然な流れだと思う。

余談だが、以前から存在していたにも関わらず私が出会うことなく盲点に潜み続けていた単語を特に「ブラインドワード」と名付けている。その単語の一般の認知度が高いほどブラインド率が高かったということになる。私の兄は28歳までBBQという言葉を知らなかったというから驚きだ。

何はともあれ、このレトリックという言葉は、ある雑誌で谷村新司さんが用いていたことによりブラインドから解かれたというワケだ。


〜言語と文字とスピリット〜
少し前の話になるが、眠れる獅子の異名をもつ男が俺にこんな話をした。

ある哲学者が王に言った。
「民の知性を高めるために【文字】を発明しました。」
と。
王「それは逆だ。文字は人々の知性を下げることになるだろう。」

どうなんだろうか。
どちらが正しいか俺には解らないが、文字をあくまでもツールとして認識していれば大丈夫な気もする。
が、かく言う俺もしばしば文字に吊られて踊らされてしまうのが現実だ。

しかし世界には、いまだ文盲率が88%という国もある。
それがどうこうではなくて事実として知っておいても悪くはないと思う。


〜喪失を得る〜
一昨日の「かなしみ」の話だが、秋という季節、もっとも旬なものといえばやはり【喪失感】だ。
そして、人間を成長させるのもまた喪失なのだ。
この時期にどれだけ良質の喪失を得るかが生きる上でとても重要なこと。
しかし喪失感というものは厄介なことに質が上がるほどに切れ味を増すシロモノなのだ・・・。


〜今、話をした人の言葉〜
「好きでタバコ吸ってるわけじゃないんだよ。」
―そう、時には煙草を吸うことしかないぐらいどうしようもない場面もある。
そんな時、男は空気に融けていく煙を見つめながら涙なく泣く。
女は人目を憚らず泣く。
それ。


〜憑き物〜
1ヶ月会わないだけで見違えるようにその人の表情が変わっていることがある。

モヤモヤからの突破口を見出したリュウちゃんは、まさに憑き物が落ちたかの如くにイイ顔してた。

失礼な話だが、初めて彼を男前だと思った。

確かに物事に全力で向き合うために、時には距離を置くのも必要なことだと思う。


〜新種誕生〜
抗生物質が効かないウィルスが増えてきているというニュースを見た。

人間はウィルスのような単細胞生物の進化形だ。

新手のウィルスたちが人間の科学力を凌駕するとき、私たちは彼らの糧となり、地球上から姿を消すことになるのだろう。

そして数十億年後、現行の人類よりも遥かに生命として屈強な「何か」が地球上を闊歩しているのだろう。

人間なんて、人間の時間感覚で言えば「億劫」の時間をかけて、(単純に強いという意味で)より優秀な生物を作り上げるための過程に過ぎないのかもしれないですね。


〜バカバナシ〜
そーちゃんとはよく馬鹿話をする。

先日は、透明人間について熱く話合った。

・・・しばらく話した後、達した結論はこうだった。
「透明なヤツはその時点で人間とは呼ばない。」
つまり透明人間は存在しないということだ。

まぁ過程はどうあれ、その答えは間違ってないだろう。


〜逆もまた然り〜
「逆もまた然り」ってのが俺の考え方の根底にあってそのことがかなり世界を広げてくれている。

人間が自然の一部ならば、我々もその他の動物も地球をホームとする生命であるならば、逆に我々人類の中にも分類があって然りだ。
単一化と細分化だ。
人種があるのは当然の事として極端な話、一人一人が別の生き物だとも言えるわけ。
そこには当然、得手不得手があって、だからこそチームを組んで行動するわけ。

ジンベエザメとコバンザメが共生するように。

植物と昆虫が共生するように。

チームとしてバランスが取れていればそれはとても美しいことだと思う。

この構図もまた【フラクタル】と言えるんじゃないかな。

2006/10/21(土) 【24時間耐久魂知己】 の続き
★本文が長すぎます。全角2500文字以内にしてください。

と、このサイト運営側から警告が来たので前日に移動。
時間軸を逆行するという荒業で対応します。

〜知的ダイエット〜
たしかLが「頭を使ってれば糖分を摂っても太らない。」ってなことを言っていたと思うが、つまり頭を使いまくっていればダイエットになるってことかな。
これだけいろんなダイエット法が氾濫してるけど「考えるダイエット」ってのは聞いたことないが・・・。

あるのか?

ないのか?

どっちでもいいのか?・・・これだな。

まぁそろそろ、お昼に食べたドーナツ分くらいは消費しただろう。


〜コンセプト〜
何か事を起こすとき何かとコンセプトなるものが必要になってくる世の中だが、この日記を書きつづけることにコンセプトなど無い。
ただ、今朝(22日)、ふと思い立っただけだ。
まぁ敢えてそれっぽいことを言うなら、何でもガムシャラにやってりゃ「何か」が見えてくる。
・・・のかなぁって思っただけ。

何故そうまでして書きつづけるのか。
それはとても素晴らしいことだ。
・・・・・・かもしれない。(パクリ)


〜それは唐突に・・・〜
2、3ヶ月に一度、母からメールが届く。
いつも「なんで突然!?」とツッコミたくなる内容なので、実は内心「次はどんなネタでくるんだろう」と楽しみにしている。

で、今日来たメールは!!

タイトル:地下鉄で
本文:地震がきたらどうすべきかしってる?

で、プチ反抗期の俺は
「短い人生を振り返って、皆に感謝する。」
と、返信。

そしたら、あっさり「ちがうよ。」と言われた。

その質問の答えとして「合ってる」とか「違う」とかあんのかな。

とにかく心配してくれる人がいるってだけで有難い。


〜REBEL WITHOUT A CAUSE〜
最近、「理由など無い!」って言うセリフが好き。
なんかそう言っとけばとりあえず様になるような気さえしてる。→バカ

そして、そろそろ一度観とこうかな〜「理由無き反抗」。

古いの苦手で・・・。
一般に言われる、古き良き名作映画みたいのはことごとく観ていない。




よく考えたら【24時間耐久魂知己】って俺、寝ない気か?
いやいや、ふつーに寝るよ。
ただ書きつづけるって意味で適当につけたタイトルやもん。


〜読書感想文〜
思い返せば小・中・高と12年間の学校教育の中で読書感想文の宿題をやり遂げた記憶は1、2度しかない。
読書感想文とか作文とか、とにかく文章を書くことが嫌いだった。

それがなんで今になって、こんなにだらだらと書き続けているんだろう。
なんでレトリックとか言っちゃってるんだろう。
不思議なもんだ。

音楽もいつも2だったのに。



何か1つのことを嫌になるほど続けていると、ほぼ例外なく「なんで自分はこんなことをしているんだろう」と考えてしまう。

それは生きることも同じ。

ちょうど青春と称される時期がそれだ。

そして、やがて考えることを止める時期がきて、ただひたすらそれに従事する時期が続く。

ひとしきり生きることをやり終えた頃に【答え】が見え始める時期がやってくる。

散々捜し求めたものを40年後の、ふとした瞬間に見つけてしまったとき、その老人はどういう表情を浮かべるのだろう。

それはきっと今の俺の予想が及ぶ範囲ではないね。
そうでないことは一種の願望でもある。


〜育てられる感覚〜
高校2年からベースを弾いている俺は最近になってこう考えるようになった。

楽器なり、絵画なり、陶芸なり、ある程度以上の経験を得ると、その物に自分が育ててもらっているような感覚が生まれてくる。

恐らく納得してくれる人も多いのではないだろうか。

自分がやっていることなのに自分以外の意思が反映されているような、ちょっと表現するのが難しいが・・・。

例えば、俺は「ベーシストっぽい」とよく言われるが、ベーシスト気質だからベースを弾いているのか。それともベースを弾いているからベーシスト気質になったのか。
と考えたとき、両方とも正解だろうと言わざるを得ない。

その道を歩き始めるのは自分の意思だ。

しかし、その道を歩きつづけるのは自分だけの意思ではないのかもしれない。

殺人者は殺人によって殺人鬼へと変貌するのかもしれないってことだ。


〜ナウル共和国って知ってる?〜
経済概況
国家の主要外貨獲得源である燐鉱石がほぼ枯渇し、現在その収入だけでは操業費用すらもまかなえない状況にあるほか、他にナウル経済を支えるめぼしい産業もなく、経済状況はさらに厳しい状態である。国内には自給可能な食糧産業はなく、食糧及び生活物資のほとんどを海外からの輸入に頼っているため、世界的な石油価格上昇の影響をうけ、物価も上昇している。通貨は豪ドルを使用しているものの、国営銀行も機能しておらず、経済活動が破綻状態であるため、正確な経済活動の動きは把握できない。

やばいっす。
さらに詳しくナウる↓
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/4157/travelog/nr/nr_199312.html


〜ゴライピチッタス〜
   コロコロと
     玉の動きを
       追いかけて
         一喜一憂
           ピタゴラ人生

2006/10/20(金) 愛読書
殆ど本を読まない私が愛読書と呼ぶ一冊の本がある。

年に数回、それを読みたくなる。

年に数回しか読みたくならないのに、なぜかいつも鞄の中に入っている。

誰の本かというと、誰の本でもない。

色んな人の詩を集めた詩集だ。

生きるということを5つのカテゴリーに分けて、その状況に合う(監修者が合うと思った)詩をまとめている。

かなりの数の詩を引用しているので、読み返す度に新たな出会いがある。

数ある詩の中で一番最初の「生まれて」とカテゴライズされたパートの一番最初(つまりこの本の初め)に、いきなり谷川さんの「かなしみ」という詩が載っている。
(この詩は素晴らしい。知らない人は今すぐチェックしてみて下さい。http://www.coara.or.jp/~miyashu/si/si1.htm

前菜にしてはヘヴィだ。

しかも「かなしみ」を「生まれて」という項目に分類したことによって監修者の懐の深さが伺える。

それは開始ゴング直後に軽く出した右フックが読者のテンプルをあっけなく貫きダウン、かろうじて立ち上がるが、その後も荒れ試合が予想され目が離せないという感覚に似て爽快だ。

今回読み返して、中盤の「生きるじたばた」というカテゴリーに出てくる工藤さんの「ちびへび」という詩と新たに出会ったのだ。
(もちろん以前にも読んでいるのだが、以前はさほどグッとはこなかった。)

内容はこちらhttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/8093/poet.html#kudo

「陽気なへび飼い」を歌うミキコアラマータのライブに向かう途中の電車の中というシチュエーションが相俟って結構深い部分にじんわりと入って来たのだろう。

良い出会いには良いタイミングが欠かせないということだ。

2006/10/19(木) あったはずの日記
あれ〜?
俺、この日は書いたような気がするのに。

疲れてんのかな。

2006/10/18(水) また出た。
その濃厚な経験から数々の名言を産み落としてきた我らがBOSS。

またまた出ました。

アメリカでジェフさんのライブを見て来たBOSSが帰国後・・・

『Jeff Beckは宇宙国宝だ!!』

と。

宇宙なのに国宝??という疑問は置いといて、おそらくジェフさんは人類史上初の宇宙クラスに到達した人間だと言うことです。

このブッ飛んだ発言も彼の作品を聴き込むと納得してしまうから凄い。


You Had It Coming

2006/10/17(火) へんこつ苑
釣りが好きなのだけれど、あまり釣りをする機会が無い。

だから好きなのかもしれない。

休みの日に、へんくつなおじさんたちが釣りをしている中に紛れ込んできた。

釣りの場に於いて「偏屈」は欠かせない要素だ。

やはり釣りはいい。




都合により21日の日記が以下に引越してきました。


『ぞぉぉぉお』

満員電車をみるとゾッとするが、満員電車の中に慣れてしまってそれが苦じゃなくなってる人を見るとぞぉぉぉおっとする。

慢性的になっても痛みは痛みとして感じたい。
喜びは喜びとして感じたい。

俺は【慣れてしまうこと】が怖い。

だが、残念ながら人間は慣れる生き物だ。

だから少しでも、毎日新しい自分を生きるのだ。

2006/10/16(月) 奇なるもの
奇を求める必要はない。

自分が奇なるものだと知るだけでよい。

2006/10/15(日) empty rhetoric
ふらふらと

びみようなにゆあんすのことばはぷらすとまいなすのぎりぎりのところをいつたりきたりする

きべんか:そふいすと

はきよぎをそれらしくしてしまうせいじやさんのようなひとたちのことだが

そふいすていけいていどはせんれんされてしまう

そふいすていけいていどなれいでいはすき

いもがあるもすき

そふいすていけいていどがあるはちよとちがう

いもれいでいもちよとちがう

すいぞくかんのいきものがふまんそうにみえるのはいもかそふいすていけいていどか

はいいろなところをぼくはただよう

2006/10/14(土) ウ  ェ  ブ  ロ  グ
WEBLOG



なぜBLOG



呼ばれるようになったのだ?

WE(ウェ)なんて発音するのに0.2秒もあれば事足りる。

死ぬまでに仮に10000回ブログのことをウェブログと言ったとしても2000秒(≒33分)の違いだ。


・・・いや〜?

33分って結構長いわ〜

ウェって10000回言い続けたら、30分ステージのライブなら持ち時間オーバーで祖父江さんにグチグチ言われちゃうってことか・・・。

ハイリミッツが「ブロッグ」と表記するのは物凄く微妙なこだわりだ。

そういうの好き。

日本中がブログと呼んでも、俺たちはブロッグを書くぜ!!みたいな。

人に無害で無意味なこだわりは好き。








SO WHAT?








Nothing really matters.
Anyone can see.
Nothing really matters.
Nothing really matters to me.
Anyway the wind blows...

ってフレディさんも言ってたじゃないですか。




ところで・・・、
以前から俺が提唱している究極数式【「0≠1」=「0=1」】。

意味が解らない人も多いと思うが、これがあらゆる問いの1つの答えであることに俺は自信を持っている。

この数式が成り立つ概念的な領域を【哲学的絶対領域】と定義する。

ちなみに物理的な「絶対領域」とは↓
女性がミニスカートとオーバーニーソックスを着用した時に太ももの素肌が露出した部分を指す言葉だそうだが。(笑 A系

俺の話の大半はこの哲学的絶対領域の中で進行していることが多い。

哲学的絶対領域において「人間の頭に杭を打ち込むこと」と「Anyway the wind blows...」は同等の意味を持ち、「その意味を探ること」は「たんぽぽの綿毛に微笑みかけること」と同等に意味を持たない。

その領域に引きずり込まれたとき、俺は「自我の飽和状態」になる。
飽和状態というのは他に言葉が見つからないので暫定的に使っている言葉で、全ての感情が溢れて混ざっていく状態だ。
より適切な表現が見つかればまた新しく定義しようと思う。

経験から言えば、俺が実在しない哲学的絶対領域に実在するとき、他人の目には「弱ってる」ように写るらしい。
が、実はかなり危険な状態でそこから抜けられなくなると、安らかな気持ちでモンシロチョウを握り潰すかもしれないし、ただ静かに眠りにつくかもしれない。

いずれにしてもそれらの行為はほぼ無音で行われるのだろう。

その行為の全てがロジャー・ウォーターズの言うThe Dark Side Of The Moonなのか。


もはや心理学者が読むと、「カウンセリングを受けなさい。」と言われてしまう内容の日記だが、もし彼が有能な男であれば俺に対して無言の笑みを浮かべるだけに留まるはずだ。


とにかく俺を鮮明に記してみたら前半と後半でえらく違う内容の日記になったな。
まったく、ひどい文章だ。

まぁ「我、ここに在りき」みたいなもんだ。

2006/10/13(金) humans beingについて
人間存在について考える上で、戦争と平和という論点は避けては通れない。


もう25年ほど前の作品だが、【エリア88】という漫画がある。

一言で言えば戦争ものなのだが、少女漫画のような絵のわりに描かれる内容は、血なまぐさい男たちの生き様や、青くさい愛、そして人間の矛盾という不思議極まりない逸品だ。
多少強引なストーリー展開を差し引いても十分面白い。


究極数式「0≠1」=「0=1」が成り立つとき、人は人として何を求めるのか。

やっぱアレかなぁ・・・

2006/10/12(木) 仏の顔も3拍子
バカにつける薬はないというが、バカが解かるのを待ちつづけることは文字通り【億劫】以外のなにものでもない。

要は自分との戦いだ。
幸いにも俺は忍耐力には自信がある。

待ち惚けしてる間に「humans being」についてでも考えるとしようか。
惚けるにはちょうど良いテーマだ。

そういう人生も悪くない。
ただでは盗ませんよ、俺の時間は。

2006/10/11(水) 腹減った
秋です。

食欲です。

食べたいときは食べる。

鉄則です。

さっき食べた、とか関係ない。

今、腹減ってるならそれが全て。

それと同じで、寝たいときは寝る。

体が睡眠を欲してるなら1日18時間でも寝る。

可能な限り、やりたいときにやりたいことをやりたい。

若者の発想です。

でもいいじゃん。

若いんだもん。

でも高校生とは違うので、

やりたいときにやりたいことをやれる状況を計画的に生み出す。

ぐらいまでは成長しないとな。



ところで、、、

ミキコアラマータ、イイよ。

あいつの噛む力は尋常じゃないんだってさ。

誰、あいつって。

いっぺーちゃんはあいつを認めたがってる。

そうたんはあいつに噛まれたがってる。

眠れる獅子はあいつと共存してる。

ワダさんはあいつと遊びたがってる。

あいつの存在に気が付かないまま一生を終える人も多い。

知らぬが仏というわけか。

俺はあいつを知ってても知らないフリをしてる人を探してる。

俺、あいつを飼いならしてるんだぜーって人はちょっと・・・。

まぁ、それもいいけど。

とにかくあいつの噛む力は尋常じゃないらしい。

怖いね。

2006/10/10(火) さてさて
『ちょっと』という曖昧な言葉の解釈が人によって大きく異なるってことを痛いほど思い知ったあの日から数日が経ち、短い髪もGIOGIOに馴染んできた(馴染む! 実に! 馴染むぞッ!)ので、そろそろ日記を書こうか、と。




昨年に続き再び川上村(長野県、千曲川源流に位置する農村)に行ってきました。

「羽を伸ばす」って感じの、でもなんていうか寧ろ自分が伸びるっていうか、とにかくイイ空気を吸ってきました。

千曲川の源流(付近)の水で珈琲も淹れて飲みました。



信濃なる筑摩の川の細石も

君し踏みてば玉と拾はむ



川上村はいい所だ。

ありゃ行ってみなけりゃ解らんやろうなぁ。。。



ところで、自分用に買って帰った地ものの「にごり酒」についての嬉しくなる話。

高校生の頃、国語の授業で習った濁り酒に関する詩を気に入って以来、高校生ながらに好んで濁り酒を呑むようになった。

そして濁り酒を呑むときはいつも頭の中でこの名フレーズが反芻されるのだ。

「―にごり酒 にごれる呑みて 草枕しばし慰む」

忘れ去ってしまったこの詩の前半をいつか調べようと思っては忘れ、今日に至った。

そして今回、買って帰ったにごり酒を呑む前についにネットで検索。

そしたら・・・なんとビックリ!

まさに千曲川について詠った詩だった。



   小諸なる 古城のほとり
   雲白く 遊子悲しむ
   緑なす ハコベは萌えず
   若草も 藉くによしなし

   銀の衾の 岡辺
   陽に溶けて 淡雪流る
   暖かき 光はあれど
   野に満つる 香りも知らず

   浅くのみ 春はかすみて
   麦の色 あずかに青し
   旅人の 群はいくつか
   畑中の 道を急ぎぬ

   暮れゆけば 浅間も見えず
   歌かなし 佐久の草笛

   千曲川 いざよう波の
   岸近き 宿に上りつ
   濁り酒 濁れる飲みて
   草枕 しばし慰む


図らずして自分のルーツに触れた気がしたよ。



人はみな旅に生き旅に死ぬ。

人生そのものが旅なのだから・・・

2006/10/09(月) 過去の過ち
俺は小学生の頃、いじめっ子だった。
そのことが残念で、彼女の心にどれだけ深い傷を残してしまったのか。いつか探し出して謝りたいとは思っていても実行に移せない弱さ。
【過去】は過ぎ去ると書いても消え去ることはないのだろう。
ものすごいエゴイズムだけど、ヤマモトユウコさん、俺に復讐してください。

過去を清算したがるのは男の勝手だけどそれぐらいしか思いつかない

2006/10/08(日) 埋め尽くせ!10月を!
思えば日々魂知己を書き始めてまだ1ヶ月コンプリートしたこと無いんじゃない?

たまにはやってみてもいいだろうってことで本日は10/22(日)曇り だけど書き漏れを埋めるために適当に書こう。どうせ誰も見やしない。


最近の不思議。

■ららみぃから届くメールはなぜか未来からやってくる。未来って言っても12時間後ぐらいなんだけど、彼女は俺より12時間先を生きているらしい。

■朝、シャワーを浴びてたら立て続けに2回「ピー」って耳鳴りがした。2回とも右耳で同じ音程で聞こえた。音感の無い俺にはそれが何の音程なのかは解らなかった。

■先日初めて金沢八景の町をぷらぷらした。見知らぬ町を歩くといつも俺には新しいが地元の人には見慣れた景色なんだろうな。と思う。当たり前だが不思議だ。

■昨日、何気なく手帳の日記メモを見返してたら今年の初め頃に「ドイツ人男女を殺す夢を見た」と書いてあった。なんでそんな夢見たんだろう。

■あんまり好きじゃないものからいい影響をもらったり、好きなものが悪影響を及ぼしたり、それが不思議だ。そういうもんなのか?

■誰も見やしないとは思っても、でも誰かが見るかも知れないと思ってあまりエグイことは書かない俺って自意識過剰か?試しにコレをを見て尚且つ俺のメールアドレスを知ってる人がいたら「ふふふ、見たぜ。」ってメール下さい。
なんでか、それだけで俺は救われる気がする。

2006/10/07(土) ぅふふふふ
晴れてほしい日に晴れると、心の中はこんな感じ。

でもキモイので表には出しません。

ココロのなかで、ぅふふふふ

2006/10/06(金) 要注意人物。
某ニコラスってバンドの某ワダさんって人の理論武装は強固だ。

やつぁ要注意だ(笑)     ゴメンナサイ

彼と話すときは、俺の中で密かに戦が始まっている。

簡単に言うと【理論vs感覚】の構図だ。

かなり有りがちな構図だ。

でも彼も俺もその両面の良さを知ってるからこその「のほほん」さが話を盛り上げてくれるのである。

と言うワケで今日の一言。

『のほほん無くしてピンフ無し。』

2006/10/05(木) 厄介なヤツ
髪を切った。

ハッキリ言ってイケてない。

しかし、実はそこそこは満足しているのだ。

なぜなら・・・

「ちょっと冴えない感じにしてください。」と注文したからだ。

美容師にしてみれば、【厄介な客】だろう。



同じ美容室に2度行くことは殆どない。

世間では“行きつけ”の美容室ってのがある人が多いようだが、俺は気分次第で「今日はここに行ってみよう」って具合だ。

何事もノリが肝心よ。

髪型のイメージもノリで決める。

以前に行った美容室では「ポップロックバンドをやってるゲイのベーシストっぽく」してくれと言った。

なった。

彼(その時の美容師)は結構やり手だった。

フレンチでも中華でも作れる和の料理人こそが超一級だと言った人がいる。

「私はイタリアンの人間だから中華は作れません。」というのは一流止まりなんだとか。

彼(あの時の美容師)はきっと超一級の美容師になれることだろう。

今日の美容師も厄介な注文に対して奮闘してくれた。

でも、

でも、

俺は「『ちょっと』冴えない感じ」と言ったのに・・・。










カレーはなんで一晩置いたほうが美味しいだろう。

髪型はなんで数日すると馴染んでくるんだろう。




早く経て数日よ!

2006/10/04(水) 馬と鹿と学者
町田の片隅の某ファーストフード店の一席でバカなバンドマン+1が生命の存在意義についての仮説を立てている時、世界のどこかでマジメな学者さんたちがデオキシリボ核酸に刻まれた生命の存在意義について探求している。

全く違った物事が全く違った方向からたった一つの【何か】に向かって動いている。

そう、全ては世界征服のために!

ちゃうっちゅーねん!




だから世の中は面白い。

2006/10/03(火) walk this way
秋も深まりモノオモイに耽りがちな今日この頃。

なんだかそういう人をみるとついつい説教じみてしまう。

自分のことを棚に上げて、よくないことだとは思いつつも、つい。


そんな“つい”ついでに1つ。

最近、【漠然とした何か】を探求し続ける人が多い。

かつての自分も今の自分もその手の人間だが、常々自分に言い聞かせているのは「なぜそれを追い求めるか?」ということだ。

それを忘れてはいけない。(別にいけなくはないけど。。。)

その行為は手段にしておいて、目的にならないところで留めておくぐらいが丁度よい。


度を越えた真理への探求は玉葱の皮を剥き続けることに似て、時に滑稽にすら見えるものだ。

2006/10/02(月) 間の取り方
武術に於いて、間(間合い)の取り方は非常に重要な要素である。


如何に自分の間を取りつつ、相手の間を殺すか。


勝敗の鍵は、まさにそこにある。





実は会話においても、間の取り方がとても大切なのだ。

心地よい会話には言葉を発していない時間、即ち【間】の存在が重要な意味を持つ。

嵐のような怒涛の喋りは、聞くだけで疲れるし説得力に欠けるものだ。


間の取り方を知ってるいか否かで、同じ内容のことを話しても聞き手に与える印象が大きく違ってくる。

落ち着いた重みのある言葉の裏にはいつも間が隠れていて、聞き手の無意識に語りかけているのである。






音楽においてもそれは同じだ。








日記とかを書くときの文章においてもね。(笑)

2006/10/01(日) 続・町田ism
この秋、町田に新しく出来たショッピングスポット「modi」。

自称【町田っコ】な俺は早速、噂のmodiに潜入を試みた!



うむむ。

さすが「町田に新しい流れ」のキャッチコピーに相応しく、今までの町田らしからぬショップがかなり入っている。


果たしてコレが町田にどういう影響を与えるのか?

デパートが街に与える影響というのは、数年前に109が町田に出来たことによって起こった変化によって立証済みだ。

ちなみに109が町田に与えた影響に対して良いイメージを持っている人は俺の周りには少ない。



今回のmodiの出現によって起こるであろう町田ismの変化からは今後も目が離せないゼッ!!


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