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2006/11/04(土)
修行僧
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親友の修行僧と電話で話した。
彼が仏道に入ってまだ1年弱だが、少しは彼の内面に変化が出てきているのだという。
彼の話によると「先ず、空になる」が修行の原点だそうだ。
俺はそれとは真逆の道を行っている。
埋め尽くした先に空があると信じているから。
道は無数にあり、答えも無数にあり、すべては【無】であり【無】は即ち【有】である。
笑っちゃうよ。
そりゃ、笑うしかない日曜日だってある。
【0】という数字。(『意味を持つ【無】』の観点から。)
1−1=【0】だ。 3.1415926535−3.1415926535もまた【0】だ。 億劫−億劫も【0】だ。
つまり同じ【0】でも意味は様々。
【0】−【0】=【0】と【0】+【0】=【0】は今の俺には到達できないが、おそらく『意味を持たない【無】』に属する世界だ。
あまりオススメできないのは【有】×【0】だ。 こういう使い方は少々投げやりな感じで【有】も【無】もおろそかになりがちだ。哲学的絶対領域ってのはコレに近い。 放棄することはまさにコレ。 要するに【0】を手段として使うことは危険だってこと。
【0】に呑まれちゃうからね。
あなたはどんな【有】を以ってどんな【無】に辿り着くのか。
それこそ「人間を愉しむ」ことの真髄だ。
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