日々是魂知己
〜自分勝手の極み〜
我、思う。故に知己あり。
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2006/12/31(日) 支離滅裂に、ゆやゆよん。
いや、何か、おかしいぞ!?
西暦ってキリストの誕生が基準になってるはずだよなぁー?
キリストの誕生日って12月25日のはずだよなぁー!?
なんで12月25日を1月1日にしなかったんだぁー??
この6日のズレはなんだ?
キリストが生まれてからの6日間はbefore ChristなのかAnno Dominiなのか?
どうでもいい。という内なる声も含め、またしても3つの可能性が浮上してきた。
とにかく知っておきたいのは僕らが思っている以上に殆ど無意味なルールの上に僕らは生きているということだ。


ともあれ、

【こしかた】も【ゆくさき】も刹那を重ねたミルクレープのようにイヅレは霧の中でほのかに甘く融けていく。

ほなかな甘さぐらいがちょうど良いサジ加減だ。
2006層のミルクレープを口に含んだ表情がそれを裏付けることだろう。

(※刹那:仏語。時間の最小単位。1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとされる。)らしい。

こう考えてみてはどうだろう。

刹那と刹那の間ごとにクレープに挟まれるクリームような、ささやかな幸せが得られとしたら・・・、そのクリームの味が前後の刹那によって決まっていくとしたら・・・。

来年と言わず、たった今からでもちょっと美味しくなるよ。
人生が。
ほんわかと。

2006/12/30(土) 三つの可能性
幸子さんの衣装が1トンにも及ぶというが、多く見積もっても幸子さん自身の体重は50キロ前後だと思うので・・・

(1000÷50=20)

当人の20倍もの衣装(セット?)を身につけるということか・・・!

過激なエスカレイションの結果、どんなに衣装が巨大になっても幸子さんが衣装の「おまけ」にならないのは、幸子さんの凄さだ。
若しくは人の優しさだ。
若しくは大人の暗黙だ。

2006/12/29(金)
今は瀬です。

くるくる回るサイクルなのに。

区切りをつけるのはだからこそです。

今日と明日が同じように、明後日と明々後日は違います。

区切りをつけるのはだからこそです。

雲と僕が違うように、君と僕が同じように。

年の瀬が寒いのは、寒い季節を年の瀬に選んだからです。

それはとても良い、とても良い選択のように思います。

ヒトは昔から、大事なことは細胞の中で知っている。

2006/12/28(木) そりゃ、そうだ。
あ、見えた。

これは新しい発見だ。


結局どう、とかじゃなくて、今。

まさに今この瞬間。

なんか突然、回路が切り替わった。

これは凄く現実的な進歩だ。

誰もが知ってて、誰もが解っている。

解っていながらにして、このトラップに捕まっている。

のだ。

2006/12/27(水) 雷雨かよ!!
この時期に雷雨ってのも珍しいが、この時期に気温が20度まで上がるのも珍しい。
自然は小説より奇なり。

2006/12/26(火) 珈琲
見知らぬ駅に降りて
見知らぬ路を歩いてたら
見知らぬ喫茶店を見つけた
見知らぬウェイターが注文を取りに来て
見知らぬカップに入った知ってる飲み物が目の前に置かれた
知ってる飲み物を飲んだのに
知らない味がした。
そして、またいつかこの席に座るだろうと思った。
知ってしまった、その味を求めて・・・

2006/12/25(月) Xメン!!
じゃなくて]マスでした。

状況に応じていろんな神を崇められるのは無神論者の強みだね。
楽しむ為には手段を選ばない日本人。
それはとても素晴らしい生き方だと思う。
ただひたすらに、生き延びることのみに卓越したゴキブリのように美しい。
僅か1週間で似非クリスチャンから似非神道信者に転身する大衆の変わり身の速さは、もはや奇跡に近い現象だ。
それこそ神の成せる業としか思えない。

嗚呼、なんたるパラドックスであることか!!

2006/12/24(日) まいった〜
なかなか思い通りには物事は進まない。

そういうもんだ。

知ってるよ。

だから学ぶことが必要なんだ。


失敗は学ぶ為にある。


そして予定は狂う為にある。(笑

2006/12/18(月) 解説!こんちきSHOW!!(忘年会って言うなー!)
そんなに忘れたいのかッ!?
そんなにヤなことしかなかったのかッ!?
そんなにこの一年を忘却の彼方に葬り去りたいのかッ!!?

そんなのは非生産的思考回路だね。
愚だ。
愚の宴だ。
(愚も嫌いじゃあないが・・・。)

【第4回こんちきSHOW!!〜唯我皆尊〜】
は云わば【懐年会】のようなもの!

「今年一年でこんな人たちと新たにイイ関係を築きました。うふふ」っていう、まぁ自慢大会です。

イイものは人に伝えずにはいられないってのが人間の性です。
呑んで騒いで皆で楽しみまSHOW!!


そんなこんなで、出演者を紹介!!

【THE BORDERLINE】
のほほんラップのNOBとアコースティックギター引き倒しのBENという異色のユニット。
今年の春に町田ロックフェスティバルを通じて知り合う。
彼らの、のほほん情熱的ステージを観て「あ、こんこんちきとカブッてる。」と思ったあの日を昨日のことのように思い出す・・・。
今回は、こんこんちきもバックに加わり「moreのほほん情熱」に挑戦!
こんちきSHOW!!のオープニングを飾ります。
http://theborderline.org/


【JUSO】
町田ミュージシャン達の集合体のようなバンド。
往年のファンクサウンドを現代に呼び起こす圧巻のステージング!!
総勢何人いるのか良く分からないくらいの編成で演出されるダンス空間はグルーヴの渦となり観る者を呑み込みます。
この夏には結成10周年ワンマンライブを大成功に終え、休む間もなく新たなステップを歩みを始めた!
Keep on Grooooooovin' !!!
http://yokohama.cool.ne.jp/juso/


【木製の椅子】
今年の初めに新宿MARZで出会ったバンド。
正直リハーサルの音を聴いた時点で「うわぁ〜、ヤバいの来たなぁ〜」と思った。
正式にはマツザワマサキ(g)とシマダユリカ(Vo)の2人組なのだがバックを支える強力なサポートメンバーを含んで生み出される音楽は「心地良い」の一言に尽きます。
今回、町田初登場の【木製の椅子】を見逃す手はない!
http://www.mokuseinoisu.com/index.html


【こんこんちき】
町田を中心に都内各地で極上の「のほほん」をバラ蒔き続ける情熱の3ピースバンド。
今回はゲストミュージシャンを迎えて新天地も開拓。
来年への更なる飛躍に向けて今年最後のロングステージを展開します。
微笑ましき哀しみの飽和が今ここに在る!!




special thanx to

ヨーヘイヤマガタ (ビアンコfromミキコアラマータ):
フライヤー原画「楽しんでる人」
http://yohey.jpn.org/y/

佐々木ゆき(イラストレーター):
CDジャケット&ステッカー&ポストカード
http://www.milmil.cc/user/yukiem/

2006/12/17(日) なんで?
質問を質問で返すなッ!!

と、荒木さんに怒られそうだがそういう場面はやっぱりあるよね。


なんで、【ニモカカワラズ】はカタカナの方が綺麗なのに、【ダガシカシ】はカタカナにするともっさりしちゃうんだろう?

2006/12/16(土) ゆえに
人間というのはとても不思議な生き物で、枠の中でしか生きられないニモカカワラズ、その枠を取り払おうとする傾向がある。

それは、人間という生き物が進化の最終段階に近づいている証なのかも知れない。

ダガシカシ、整然と区画整理された土地に自由という名前を付けて与えておけば、人間は枠の存在を忘れ、喜んで其処に棲み付くのだろう。

それは、人間という生き物がまだまだ無垢な獣であるという証なのかも知れない。

2006/12/15(金) Q
学校から10mの距離にあるのは誰の家?

このなぞなぞの裏には“物事を深く考えすぎるな”という意図が隠れているような気がしてならない。

2006/12/14(木) 草が云うことには
草は何と云ったか。








草の声を聴くのは難しい。

だから無理して聴こうとするもない。

と、僕は思います。

2006/12/13(水) ハッキリ言って
どうでもいい。

どれでもいい。

なんでもいい。

なにがなんでもいい。

どれもいい。

すべていい。

よし。

2006/12/12(火) 標準の構築
決して不変的なものではないが標準は必ず存在する。
僕らは知らず知らずのうちに標準を元に存在する。
喪失や獲得も標準在ってのものだ。

だが、もしも標準を捨てることができるなら
僕らは絶対的な意味を見つけるだろう。
もしも標準を捨て去ることができたなら
もはや僕らは自由の奴隷ではいられないだろう。

それほどに点であることは難しい。
なぜなら僕らの標準は線であることなのだから。

それを知っていても、なおも僕らはこう考える。

点に成れたならどんなに楽だろう。
点で在れたならどんなに哀しいだろう。
と。

手の届かないところへ
あくがれありく。

手が届かないから
あくがれありく。

2006/12/11(月) 中原さん語録より
「そのとき、【仰向け】になる為にはどうしたらよいか?」

いつも心の片隅にそれを置いておこう。

2006/12/10(日) 造語という名のカタルシス
寂寥を伴う寒さを【さむしい】と形容してみた。

ほんの、ほんの少しだけ冬が柔らかくなった。




この冬、(ていうか昨日)【ピエール症候群】という新しい言葉が生まれた。

意味は想像にお任せします。

結構、女性に多いらしい。

追記:【ピエール症候群】ではない状態を「ピエーヌ」とも呼ぶ。

2006/12/09(土) それが潜在意識というものなのか?
自分の中に自分の知らない自分がいる恐怖。

ソイツの意志で動いてしまうことは俺にとって恐怖以外の何者でもない。

自分自身すら解らないなら何を信じれば良いというのだろう?

ソイツを引っ張り出そう。

ソイツが潜む奥深くから。

ソイツは日の光にもがき苦しみ、やがて俺の前に跪くだろう。

俺がソイツ自身になるとき、総てのものが曇りなき鏡となるに違いない。

そこに写し出された姿の美醜を問わず信じてやること。

それだけが許されざる独楽へのせめてもの餞だ。

2006/12/08(金) おいおい、偶然にしちゃあ・・・
ちびへび

木の椅子

羊の歌。

この詩集・・・予言書の様だ。

2006/12/07(木) 切な主義
【覆水盆に返らず】というが、返るものなど何一つ無い。
だからこその刹那主義。

2006/12/06(水) .
世の中を「どーでもいいこと」と「どーでもよくないこと」に分けるとすると、どっちが多いだろうと考えた。



そう考えることが「どーでもいいこと」だ。

と気が付くまでに10秒もかからなかった。




昨日、愛チャリがパンクした。

偶然にも50m程先に自転車屋さんを発見!

「いや・・・偶然にしちゃあ出来すぎじゃないか?」と考えてしまうのは自分がワルい人間だからだろう。

と反省した。

2006/12/05(火)
最近、独り言が多い。

帰り道に月を見て、「ぅおっ!でか!!」って言ってしまった。

地平線近くにある月は建物など、大きさの比較対象があるから大きく見えるというが、それが嘘なんじゃないかと思うぐらいデカかった。

2006/12/04(月) はまりもの
餃子にハマりつつある。

コレに関しては質より量。
先週は50個くらい食べた。

なぜ今、餃子なのか?

それは解らない。

が、美味いのだからそれで良いのである。

2006/12/03(日) それを「うたたね」と読むのだそうだ。
【ここではない何処か】を彷徨うことは弱さか?

【何かに呼ばれている気がする】ことは逃避か?

【現実】を受け入れることは強さか。

【死】を受け入れることが強さか?

【拒否すること】は哀しみか?

【拒否することを怖れる】のは優しさか?

【流される】ことと【流れる】こと。

【流れる】ことと【流される】こと。

【静寂を聴く】ことは易い。

【静寂を叫ぶ】ことは難い。

【求める】ことは立ち上がること。

【求める】ことは歩み始めること。

【求める】ことは喰らうこと。

【求める】ことは樒の元に眠ること。

【飢え】と【渇き】が僕を生かし、僕を殺す。

それでいい。

2006/12/02(土) 食事の作法
経験から出た統計によると、俺が喰いたくなる人は「JOJO好き」である確率が高い。
それはスタンド使いが惹かれあうという現象と似ているなぁ。
喰っている途中で「やはりッ!!お前もかぁぁぁあ!!」と、なることは日常茶飯事。
JOJOが人間賛歌であることを考えれば納得の行く事実です。

つまり炎を「ファイア」と捉えるか「メラ」と捉えるか。
そこで二分されるんです。
そこがものすごく重要なんです。
勿論、ココナッツなのかカブトムシなのかもすごく重要です。

あとは、目だね。目。
「コイツはまともじゃあないッ!」と断言できる目がある。
そういう人は往々にして親切だね。
必須アミノ酸みたいなモンだ。
定期的に摂取しないと自分自身がまともじゃあなくなってしまう。

喰うときに大切なのは、“一人ずつ”喰うということ。
茶碗に盛られたご飯を食べるとき、今の米粒は美味かったなぁとかいう風には考えないように、一度に大量に喰おうとすると全体の雰囲気しか味わえない。
あくまでも個人を喰う。
それが喰人の基本だ。

2006/12/01(金) 金子光晴といふ人
金子光晴さんの「寂しさの歌」という詩を読んだ。

グッと来た部分が多々あったので部分的に転載する。





―寂しさは、目をしばしばやらせる落ち葉炊くけぶり。
ひそひそと流れる水のながれ。
らくばくとしてゆく季節のうつりかわり、枝のさゆらぎ
石の言葉、老けゆく草の穂。すぎゆくすべてだ。

しらかれた萱菅(かやすげ)の
丈なす群れをおし倒して、
つめたい落日の
鰯雲。

寂しさは、今夜も宿をもとめて、
とぼとぼとあるく。―




―山のいたゞき、峡間を消し、
湖のうへにとぶ霧が
五十年の僕のこしかたと、
ゆく末とをとざしている。

あとから、あとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、
この国では、
さびしさ丈けがいつも新鮮だ。
この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、
それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。

この寂しさのはてに僕らがながめる。桔梗紫苑。
こぼれかかる霧もろとも、しだれかかり、手おるがまゝな女たち。
あきらめのはてに咲く日陰草。―


 
  
     


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