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2006/12/01(金)
金子光晴といふ人
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金子光晴さんの「寂しさの歌」という詩を読んだ。
グッと来た部分が多々あったので部分的に転載する。
―寂しさは、目をしばしばやらせる落ち葉炊くけぶり。 ひそひそと流れる水のながれ。 らくばくとしてゆく季節のうつりかわり、枝のさゆらぎ 石の言葉、老けゆく草の穂。すぎゆくすべてだ。
しらかれた萱菅(かやすげ)の 丈なす群れをおし倒して、 つめたい落日の 鰯雲。
寂しさは、今夜も宿をもとめて、 とぼとぼとあるく。―
―山のいたゞき、峡間を消し、 湖のうへにとぶ霧が 五十年の僕のこしかたと、 ゆく末とをとざしている。
あとから、あとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、 この国では、 さびしさ丈けがいつも新鮮だ。 この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、 それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。
この寂しさのはてに僕らがながめる。桔梗紫苑。 こぼれかかる霧もろとも、しだれかかり、手おるがまゝな女たち。 あきらめのはてに咲く日陰草。―
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