日々是魂知己
〜自分勝手の極み〜
我、思う。故に知己あり。
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2006/05/29(月) 昔話
小学生の頃、全校集会で校長さんが一体どういう経緯からか天国と地獄について話してたことがある。

言葉は違うが内容は確かこうだ。
「天国も地獄も実は同じところで、利己的な人間が集まる場所は地獄なり、利他的な人間が集まる場所が天国となる。」

言いたいことは分かるが、小学生にする話じゃあないよな。

2006/05/28(日) 回れ
朝から、あんまり時間無いのにパスタなんぞ茹でてたら、塩がドバッて出てグハッてなった。
沸かしなおす時間はないので茹で上げてから塩抜きした。
でもしょっぱかった。

「(どんなに急いでても)塩を入れるときはスプーンを使え。」

それが今日の教訓。

2006/05/26(金) 音  青  空  楽
例えばラジオからお気に入りの曲が流れてくるだけで笑顔になれたりするのって凄くイイよね。

音の力を実感する。

ごちゃごちゃした世の中に生きてても、透き通る空に心を吸われる瞬間があるのもそれに似ている。

いつも誰かの青空でいられたら、それは凄く幸せなことだと思う。

2006/05/24(水) ホリ村に続け!!の巻き
俺も








チャリ買お。




かな





などと考えたり・・・




考えなかったり。









どっちやねん

2006/05/23(火) 2in1
2つの相対するものが、1つに感じられるとき
矛盾は崩壊して僕は天国への階段をまた1つ上ることになるだろう。

求めるものが天国に属するなら
そこに近づくにつれ、生はその意味を失うのだろう。

僕が歩くさきに今も生きる先人たちの欠片を見つけられることが
僕が生きていられる唯一の理由となるだろう。

悲しいことだが
人間には理由が必要なのだ。

それが現実だ

2006/05/22(月) バランスの崩壊
世の中のいろんなところで、バランスが崩れてしまったがために消えていくものがある。

注意深く観察していると、案外ギリギリのところで成り立ってるものが多いことに気が付くはずだ。

ほんとLivin' On The Edgeやね

2006/05/20(土) 凧と糸
ある種の人間にとって何の変哲もないことがこの世界に留まる理由となることがある。

「現実を知るロマンチスト」とはまさにその人種だ。

2006/05/19(金) 喜怒哀楽
数ある人間の感情の中でも最たるものを挙げるとすると日本人なら誰でも一番に【喜怒哀楽】の4要素が出てくるだろう。

大学に通っていた頃、その意味もロクに知らないままに喜怒哀楽の中でもっとも強い感情は何だろう、などと考えたこともあるが結局それらは分けては考えられないもので、その全てがまるで紡がれた糸のように密接に絡み合って人間を形成しているのだ。

その糸が複雑に編み上げられて生地ができ、生地を使って衣服ができる。

それがコミュニティってもんだ。

いろんなバンドがあって、いろんな音楽があって。
それでいい。



それがいい。

2006/05/14(日) 横着
誰か行き先を知ってるなら、こっそり教えてくれない?

2006/05/13(土) 思い出の曲と言えば・・・
掲示板でも話題の「ありのまま」。
確かにイイ曲だと思うよ。
スタジオでの曲作りの時に「こ、これはッ!!」って曲をイッペちゃんが持ってきてくれると一緒にやってる甲斐があるってもんです。ベースプレイにも気持ちが入るってモンです。


懐メロを定義する:
曲を聴くだけで【あの頃】の感覚に強制的に引き戻される、言わば思い出の1シーン。
なので曲を集めたCDをアルバムと呼ぶのは凄く味なマネです。


「ありのまま」は俺にとってはすでに懐メロに近い曲です。
というわけで今日、朝イチで聴いた曲はSTEVE VAIの「Liberty」。ちょーイイ。一撃必殺。泣。


音楽は思い出と共に。

2006/05/12(金) 田舎者
田舎者な僕は都会過ぎるのは嫌いだ。
人が多いのが嫌いだ。

人口密度が2人/uを超えるとゲンナリする。

人間が好きなのに多すぎるのは嫌ってのはワガママかな。




次の休みは海風に吹かれに行こ
晴れるといいなぁ、と。

2006/05/11(木) ドッペルゲンガー
見ると死ぬと言われる【ドッペルゲンガー】。
見たわけではないが、先日のとろける時間以来、心と体のリンクが弱まっているようでドッペルさんに会っちゃいそうな勢いだ。


たとえば手をつねってみても痛みをちょっと離れた位置で感じる。他人事の様に。
一日の半分ぐらいの時間、心と体が一致してない。



まぁ別にいいんだけど。
そのうち治るよね。

2006/05/10(水) 歩く
歩くという人間の基本行為。
それがどれだけ大切なことか忘れていた。
(忘れるというのも人間の基本行為。)

俺は歩く。いろんな道を。

2006/05/09(火) カストロの香り
感覚で生きるということはどういうことか。

たった今、体験した出来事を紹介しよう。
あなたはジミヘンの『LITTLE WING』という名曲をご存知だろうか。
1968・10・11にサンフランシスコで演奏されたジミヘンの『LITTLE WING』を聴きながら、

「・・・甘ぇ、甘ぇなぁ。」
と呟くマレンコ(フ)氏←「全国感覚で生きる男の会」会長(他薦)


確かに甘い。
ここまでは解る。
確かにそういう曲だ。



問題は次に彼の口からこぼれ出たこの一言。


「カストロの香りがする・・・。」


「は?」
ララミー「は?」


マレンコ(フ)「いや、イメージ的にね。」



うむ〜。
いや〜、解らない。
なんか解る気はするような気もするけど、やっぱり解らない。
まだまだ修行が足りんな、俺。


もし、マレンコ(フ)の発言に納得できたなら、あなたは間違いなく感覚で生きるタイプの人間です。

2006/05/08(月) 簡単な精神論ですよ
不思議なことに気持ちってエネルギーになるんです。
強烈な想いって意外と人に通じるもんでしょ?

その行為に対してどれだけ真摯に気持ちを込められるかによって、同じ行為でもエネルギー量が変わってくるんです。

不思議だけど事実です。

2006/05/07(日) 簡単な物理学ですね
質量の大きな物に質量の小さい物をブツけても影響は少ない。
凄い速さでブツけると影響は増すけどね。

逆に小さなエネルギーに大きなエネルギーを加えると多大な影響を及ぼす。それがどんなにゆっくりであっても。

要するにエネルギー量の問題なんです。

2006/05/06(土) 亡霊
数日前、亡霊と知り合いになった。


初めて彼に会ったとき、ものすごく柔らかい空気を感じた。
私はそんな彼に好印象を抱いた。


数ヵ月後、彼はまたふらりと現れた。
しばらく言葉を交わすうちに彼が亡霊であることがわかった。


魂が行き場を求めて現世を彷徨っている。

私の密かな心配は、「この魂の落ち着く場所がこの世界にあるのか」ということだった。
だが数十分の彼との話の中で、私はその心配が無意味であることを悟った。

その場所がすでに存在しないことを彼は知っていた。


彼の魅力は「求めて止まないものが存在していないということを憂いながら、受け入れ、更には愉しんでさえいる」という部分なのだ。

そういう大人の愉しみ方が出来る彼を素直に羨ましいと思った。

そういう生き方(=死に方)を恐怖し、憬れるのは私がそこに属していることの証なのだろう。

彼は旨い酒を呑むだろう。
彼は無言でタバコに火をつけるだろう。
彼は静かに語るだろう。
そして彷徨い続けるだろう。

2006/05/05(金) ちきちき
今、巷で(ベーシスト的に)話題のボナさんの音を聴いてみよう!
ということでなけなしのお金をはたいて『tiki』を購入。
『tiki』っていうアルバムタイトルは我々こんこんてぃきにピッタリだ。
などと思いつついざ聴かん!!

そして無言の52m22sが過ぎた・・・

次元が違うとはまさにこのこと。
もはやプレイがどうこうとかいう問題ではないね。
今の俺に感じられるのはボナさんがブッ飛んだ世界に棲んでいるってことぐらいだ。

あぁ、なんてこった。
まいりました。

ボナさんなりの神の頂。
俺が天国と呼ぶ場所。
彼の桃源郷がここにある。

2006/05/04(木) 久々に自己分析
目が見えるとは言ったものの、とかく自分のことは見えにくいもんだ。
自意識過剰な自分にとって定期的に今の自分を見つめることは大切な作業だ。


■バランサー
私、Uこと村上佑樹は客観的主観(自分自身はどうあがこうとも主観からは逃れられないという考えに基き最大限客観視することに努めた主観ということ)によるとバランサーと呼ばれるタイプの人間に分類される。
物事が極端に偏ることを嫌うためそのコミュニティにおける主流に反する位置に身を置こうとする性質がある。
それが結果的に全体のバランスを保つことになるようだ。

■煙
人生哲学の中心に置いている【煙の美学】。
柔軟に流動し特定の形を持たないという点では既存の【水の美学】に共通するが、水のように激しく打つことがなく存在自体が曖昧な煙により深い魅力を感じる。
自己中なので煙たがられることは厭わない。
水は生命にとって必要だが、煙は別にあってもなくても良いという点が凄く気に入っている。
要するにフヌケってことだ。

■矛盾
論理的な一面と感覚的な一面を併せ持つよう日々、心がけている。その結果生まれる矛盾は「矛盾こそが人間の証明だ。」とうそぶいてうやむやにする。
線を引きたがったり、輪郭をぼやけさせたり。
良識を愛したり、アウトローに憧れたり。
0と1を求めたり、滑らかにつながったり。
まぁ万事、表裏一体であることを考えれば確かに自然な流れだが。

■一人称
日記を書くとき自身のことを俺とか自分とか僕とか時には私とか書くことで自身が定まらないようにしている。
もしかしたら何者にもなれない自分を象徴しているのか。

■自然回帰
「全ては成すがまま」というのが理想で、流れに逆らわず、水上の木の葉の如く時には渦にも呑まれようというスタンスで生きている。
生きることは素晴らしいが死ぬことも素直に受け入れたいものだ。
力を抜けば楽になるのに・・・、世の中には力み過ぎてる人が多いように思う。
生と死が同じ高さにあるので、幸せなときほど死を身近に感じる癖がある。それは裏を返せば生きている実感を得ているときということになる。

■0
↑コレはゼロであり円であり無である。
コレについて考えているとき、俺は限りなく天国に近づいていて激しい恍惚感と悲しみに包まれる。
まぁ、よく解らない人は精神障害の一種だと思ってくれるとわかりやすいでしょう。

■S&M
シンフォニー&メタリカじゃあないよ。
サディスティック&マゾヒスティックってこと。
自覚してる人もそうでない人も誰もがそうだと思うけど両面あるから生きていられるんだよねぇ。
メディアとかはどちらかに振り分けたがるからなんか嫌だ。
コレはさっきの矛盾の項目にも当てはまるな。
とにかく一見相対するものが統合されて高次にイッちゃえるわけですね。アウフヘーベン。

■欲求至上とカルマ
人は皆、自分だけの天秤を持っていて選択するときは毎回それを使っている。
つまりいつも好きなほうを取るワケ。
それを突き詰めるとみんなやりたいことだけやってるわけじゃない?
生きたい人は生きてて死にたい人は死ぬ。生きたくても死ぬけど、それは誰でも同じことで、赤ちゃんが生まれたときに「あぁこの子はいつか死んでしまうのね!」って嘆くことは無意味だ。
その代わり生きることに対する罪の意識はある程度は必要だと思っている。
それは揺るぎない事実。

■新たな確信
これだけ文字を並べると、いよいよ明確に本質が見えてくるってもんだ。
わかってたけど認めたくなかった・・・。

☆NEW☆僕はかなり暗い人間のようだ。

2006/05/03(水) なんて天気がいいんだ!
雨の日も晴れの日も雪の日も等しく愛したいのに、こんなに天気がいいとやっぱり晴れが好きって思っちゃうぢゃねーか!!

というわけで春の陽気に当てられて、お花畑の中をあははは気分でスタジオから帰ってたら間違って快速に乗っちゃって相模原駅まで行ってしまった。

なんとも祝日らしい1日。

ぼけー

または、

ほげー

って感じがいいね☆

2006/05/02(火) インディーズ
今日は自称人間研究家の僕がその立場から新たな人間の観点を提案しようと思う。

音楽に「インディーズ」と「メジャー」があるのと同じく、実は人間にもインディーズとメジャーがある。
メジャーの中にも「どうなの?」と思ってしまう人もいるし、インディーズの中にも「こ、こいつは!!」と思う人もいる。

メジャー界の大物は誰しもが認める大人物で、もはや凄いのはわかってるんだから、ハッキリ言って見てて面白いものではない。

逆にインディーズ界の大物はというと、一見冴えない奴だったり影の薄い感じだったり、ひどい場合は本人すらも自分の大きさを解ってなかったりと、一見すると見過ごしてしまう可能性が高い。
それを見つけるのが自称人間研究家たる僕のライフワークというワケだ。

まだ誰も気が付いていない大物を見つけ出して、傲慢な言い方をすると「育てる」ことが俺の仕事と思っている。
それが某K氏から託された仕事なのだ。

最近、20歳前後の逸材に多く出会うのでその度に、密かにニヤリとしてしまう。

2006/05/01(月) I Am WaiTing
実際はどうだか知らないが(知ったことではないが)英語の【Wait】という単語には「漠然とした何かを」というニュアンスが含まれているように思う。
勿論、後にfor+名詞が来ると話は別だが。

訳すという行為は本来その言語が持つ響きを含むニュアンスを損なうことが多いので好きではないが、あえて日本語に訳すなら、「待つ」と言うよりは「待ちぼうけ」という感じ。

この「ぼうけ」の部分が今の自分にとって凄く大切で、それはまさに【煙の美学】の中枢にあるものだ。「ぼうけ」は「惚け」で恍惚感を伴う感覚。

ある映画の一節に「人は皆、何かを待っている」という字幕が出てきたが出来ることならば、そこに「惚ける」のニュアンスをプラスして欲しかった。まぁ感覚を言葉にするのは難しいね。

とにかく、とにかくだ、人にとって重要なのは言葉ではなくて、むしろ感覚だと俺は思うのだ。
なのに言葉の世界にドップリ浸かりすぎて、形式的になりすぎている人が世の中に溢れている。
「いらっしゃい」とか「ありがとう」とか言えばいいってモンじゃないだろ?
言葉は伝える手段に過ぎないってことを忘れちゃいけない。

言葉や文字に感覚を委ね過ぎるのは人間の業だね。

言葉ってのは正しくかつ程よく使われてこそ美しいもの。
必要以上の言葉は要らない。

いやいや、そんな説教じみたことを言いたかったんじゃなくて・・・えーと、なんだっけ??

ごちゃごちゃ言ってたら呆けてしまったらしい。


結局、何事も程ほどが良いってことだ。
日記も長すぎると読みづらいだけってことだ。


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