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2006/05/01(月)
I Am WaiTing
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実際はどうだか知らないが(知ったことではないが)英語の【Wait】という単語には「漠然とした何かを」というニュアンスが含まれているように思う。 勿論、後にfor+名詞が来ると話は別だが。
訳すという行為は本来その言語が持つ響きを含むニュアンスを損なうことが多いので好きではないが、あえて日本語に訳すなら、「待つ」と言うよりは「待ちぼうけ」という感じ。
この「ぼうけ」の部分が今の自分にとって凄く大切で、それはまさに【煙の美学】の中枢にあるものだ。「ぼうけ」は「惚け」で恍惚感を伴う感覚。
ある映画の一節に「人は皆、何かを待っている」という字幕が出てきたが出来ることならば、そこに「惚ける」のニュアンスをプラスして欲しかった。まぁ感覚を言葉にするのは難しいね。
とにかく、とにかくだ、人にとって重要なのは言葉ではなくて、むしろ感覚だと俺は思うのだ。 なのに言葉の世界にドップリ浸かりすぎて、形式的になりすぎている人が世の中に溢れている。 「いらっしゃい」とか「ありがとう」とか言えばいいってモンじゃないだろ? 言葉は伝える手段に過ぎないってことを忘れちゃいけない。
言葉や文字に感覚を委ね過ぎるのは人間の業だね。
言葉ってのは正しくかつ程よく使われてこそ美しいもの。 必要以上の言葉は要らない。
いやいや、そんな説教じみたことを言いたかったんじゃなくて・・・えーと、なんだっけ??
ごちゃごちゃ言ってたら呆けてしまったらしい。
結局、何事も程ほどが良いってことだ。 日記も長すぎると読みづらいだけってことだ。
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