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2006/05/04(木)
久々に自己分析
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目が見えるとは言ったものの、とかく自分のことは見えにくいもんだ。 自意識過剰な自分にとって定期的に今の自分を見つめることは大切な作業だ。
■バランサー 私、Uこと村上佑樹は客観的主観(自分自身はどうあがこうとも主観からは逃れられないという考えに基き最大限客観視することに努めた主観ということ)によるとバランサーと呼ばれるタイプの人間に分類される。 物事が極端に偏ることを嫌うためそのコミュニティにおける主流に反する位置に身を置こうとする性質がある。 それが結果的に全体のバランスを保つことになるようだ。
■煙 人生哲学の中心に置いている【煙の美学】。 柔軟に流動し特定の形を持たないという点では既存の【水の美学】に共通するが、水のように激しく打つことがなく存在自体が曖昧な煙により深い魅力を感じる。 自己中なので煙たがられることは厭わない。 水は生命にとって必要だが、煙は別にあってもなくても良いという点が凄く気に入っている。 要するにフヌケってことだ。
■矛盾 論理的な一面と感覚的な一面を併せ持つよう日々、心がけている。その結果生まれる矛盾は「矛盾こそが人間の証明だ。」とうそぶいてうやむやにする。 線を引きたがったり、輪郭をぼやけさせたり。 良識を愛したり、アウトローに憧れたり。 0と1を求めたり、滑らかにつながったり。 まぁ万事、表裏一体であることを考えれば確かに自然な流れだが。
■一人称 日記を書くとき自身のことを俺とか自分とか僕とか時には私とか書くことで自身が定まらないようにしている。 もしかしたら何者にもなれない自分を象徴しているのか。
■自然回帰 「全ては成すがまま」というのが理想で、流れに逆らわず、水上の木の葉の如く時には渦にも呑まれようというスタンスで生きている。 生きることは素晴らしいが死ぬことも素直に受け入れたいものだ。 力を抜けば楽になるのに・・・、世の中には力み過ぎてる人が多いように思う。 生と死が同じ高さにあるので、幸せなときほど死を身近に感じる癖がある。それは裏を返せば生きている実感を得ているときということになる。
■0 ↑コレはゼロであり円であり無である。 コレについて考えているとき、俺は限りなく天国に近づいていて激しい恍惚感と悲しみに包まれる。 まぁ、よく解らない人は精神障害の一種だと思ってくれるとわかりやすいでしょう。
■S&M シンフォニー&メタリカじゃあないよ。 サディスティック&マゾヒスティックってこと。 自覚してる人もそうでない人も誰もがそうだと思うけど両面あるから生きていられるんだよねぇ。 メディアとかはどちらかに振り分けたがるからなんか嫌だ。 コレはさっきの矛盾の項目にも当てはまるな。 とにかく一見相対するものが統合されて高次にイッちゃえるわけですね。アウフヘーベン。
■欲求至上とカルマ 人は皆、自分だけの天秤を持っていて選択するときは毎回それを使っている。 つまりいつも好きなほうを取るワケ。 それを突き詰めるとみんなやりたいことだけやってるわけじゃない? 生きたい人は生きてて死にたい人は死ぬ。生きたくても死ぬけど、それは誰でも同じことで、赤ちゃんが生まれたときに「あぁこの子はいつか死んでしまうのね!」って嘆くことは無意味だ。 その代わり生きることに対する罪の意識はある程度は必要だと思っている。 それは揺るぎない事実。
■新たな確信 これだけ文字を並べると、いよいよ明確に本質が見えてくるってもんだ。 わかってたけど認めたくなかった・・・。
☆NEW☆僕はかなり暗い人間のようだ。
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