日々是魂知己
〜自分勝手の極み〜
我、思う。故に知己あり。
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2006/08/31(木) イイねぇ
どうやら俺は物事をぼんやりとした図形として捉えているらしい。
人間と人間の繋がりはそのままでは決して図形としては表せないが、観点を絞れば図形として具象化することはできる。

漫画家とベース弾きがコーヒーを挟んで3時間向き合うと、さまざまな観点においての図形が浮き彫りになってくる。

そして線と線が交差するところに【ニヤリ】と笑みがこぼれる。

まぁ、彼と俺の場合は交点がわりと明確で、大半が荒木さん的要素だが。

それはそれでいいとして、
最近では俺のライフワーク的地道な活動【人間発掘】が実を結びつつある。

それは俺の周りの多くの人が、自分自身に【人間】としての誇りを持って生きていること。

それが見て取れるのは俺自身の成長でもあるし、もし俺が彼らに大なり小なり影響を与えられているのなら、さらに喜ぶべきことだ。



ベース弾きである俺がこんなことを言うのもどうかと思うが、やはり俺の武器は【目】だ。

ならばその武器をもっと研ぎ澄ませろ!俺!!
世の中には面白い人間がゴロゴロいるんだ。

2006/08/30(水) PLUTO
数日前から話題の冥王星。

個人的には惑星でも惑星じゃなくてもいい。

ただ人間が冥王星に「格下げ」っていう言葉を使ってることが滑稽に思える。

ミジンコたちが池の中で会議を開いて、俺を「格下げ」してたらなんか笑っちゃうな。

人間はお茶目な生き物だ。

2006/08/29(火) 三本の樹
自分、3兄弟の末っ子なんですけど、

長兄はとっても肉体派です。

どっちかって言うと剛の拳っていうかやっぱりラオウな感じです。

次兄はわりと柔も剛もいけちゃう派です。(敢えて言うなら剛ですが。)

自分はかなり柔で攻めたいクチです。

まぁ三者三様です。

んで、この度、ウチのラオウさんが瀬戸内海の、とある島で行われたトライアスロンに出場し390人中10位になっていました。

すげー。

すごいよアニキ!!(普段はアニキとは呼んでませんが。)

自分には真似できない芸当です。

ていうか真似しません。

自分、アスリートじゃ無いっすから。

とにかく人にはそれぞれの土俵ってモンがあって人の土俵で相撲はとるなってことですよ。

結局のところ、【己を知らねば始まらない】ってことですよ。

まさに日々是魂知己が大切。

言っとくけど、コレは一平に言ってるんだぞ!

「クールにカッコよく」とか言って、自分を見誤ってヘンな気を起こすなよ!!

2006/08/28(月) 『バンドマン』たちへ
楽しいだとか、

悲しいだとか、

そんなことは関係なく

バンドによって生み出される音楽とそのグルーヴは永遠に禁じられることの無いドラッグであってほしい。

一瞬でもいい。

グルーヴの中にいる人たちが、解放される瞬間を求めて音を出してほしい。

音楽にはそれだけの力があると信じてほしい。

自分にはそれだけの力があると信じてほしい。

音楽そのものが目的を見失うことのないように。

まずはその意味を知ってほしい。

2006/08/27(日) ほげ〜


On

One




2006/08/26(土) ね?
ルーツ。(わたるん脱退)

根。

根掘り葉掘り。

ギアッチョは言った。
「『根掘り葉掘り』…ってよォ〜〜。『根を掘る』ってのはわかる…。スゲーよくわかる。根っこは土の中に埋まっとるからな…。だが『葉堀り』って部分はどういう事だああ〜〜っ!?葉っぱが掘れるかっつーのよーーーッ!ナメやがってこの言葉ァ超イラつくぜぇ〜〜ッ!!葉っぱ掘ったら裏側へ破れちまうじゃあねーか!掘れるもんなら掘ってみやがれってんだ!チクショーッ。どういう事だ!どういう事だよッ!クソッ!葉掘りってどういう事だッ!ナメやがって、クソッ!クソッ!」

と!(長いね)


ハイ。というわけで今日は以前から僕が興味を持っている【0と1】の話を再び広げてみましょう。


おおまかに言えば「東洋は0で西洋は1」と言ってよいでしょう。

人生哲学の根が0の人は緩やかに流れて生きます。
基本的に非暴力・不服従です。
人生哲学の根が1の人はキメキメに攻めまくります。
基本的にラムズフェルド米国防長官です。
僕にとって彼は現代アメリカの象徴です。


以下【「0」の発見】より引用
―0という数の起源には、インドの宗教的側面と同時に、インドの哲学が反映されています。インドでゼロを意味する言葉はサンスクリット語のシューニアです。シューニアとは文字通りには何も無いということ、「空(くう)」や「無」を表しています。「空」を象徴的に表すものが、ビンディー、すなわち「点」です。インドの女性が額に点を付けているように、今でもそれは、化粧の一部になっています。このビンディー、すなわち「点」は「穴」へと変化しました。そして、この「穴」は、一種の世界観を表すものとなります。例えばその一つが、人間は全て、この「穴」の中にいるという考えです。「救い」とは、「穴」から抜け出ることだと考えられました。0が無くては、1 - 1さえ計算できません。インドの宗教と哲学から誕生した0は、数の世界に全く新しい道を開きました。―


この文章の中で気になるのは「0」が「点」に変化しているところです。
「点」とは有であり、「1」のことです。
インド人はすでに「0」は「無」であり「有」であると捉えているのです!凄い!!
ということは極端な話

「0≠1」=「0=1」

という数式が成り立ちますね。
なんとも衝撃的で哲学的でエキゾチックな数式です。
真理はいつも素朴かつ深遠なものです。


従兄弟のTくんはインドを放浪した結果、インド人を「あいつら超テキトーな国民よ」と言いました。

心の師匠Kさんは「自身の内に悩める人間はインドによって救われる」と言いました。

僕は行ったこと無いけどおそらく事実でしょう。


しかし、このインチキ数式を用いると俺の中にあるほとんど全ての謎が解決します。
解決すると言うよりブッ飛びます。

この数式はドラクエで言うところの「アバカム」です。
皆さん、多用しましょう。
何か大きな壁にぶつかったときは「0≠1」=「0=1」を思い出してください。


大きなものでも小さなものでもないと海は言ってる。(MUSTANG'78)


ガンジーさんもラムズフェルドさんも同じよ。
直線も曲線も。

2006/08/25(金) ジャン・P・ポルナレフ
ポルポルくんは言った!


「感覚の目でよーく見てみろ!」・・・と!!


おいおい、いきなりハードル高いな。

2006/08/24(木) 不可能を可能にする男!!
久しぶりに大学時代の友人達と呑んだ。


Zは結婚一年を過ぎ、今やマイホーム暮らしだ。
俗に言う【ほくほく】というやつだ。
Z夫妻に言わせれば【薄氷の上の生活】だとか。笑
まぁ現状をどう捉えるかは人それぞれとして。
俺は無意味に【薄氷+ほくほく=危険な香り】とか連想したがアホだと思われるのが関の山なので口には出さなかった。


俺が持参した愛媛の地酒「梅錦」(淡麗辛口)を呑み交わしながら味についての批評。
R「そんなに言うほど呑みやすくもないし、後味もちょっと・・・。」
やはりRは梅錦以上の淡麗辛口だ。
W杯日本惨敗の敗因を尋ねたとき、返ってきた超ロング返信メールの痛烈な考察も記憶に新しい。
そんなシビアな彼が俺は大好きだ。


Hは社会人という立場にいながらも精神世界の住人で「都会の風に疲れた」が口癖になりつつある。
Hは18歳にして【0と1の迷宮】に迷い込んだ猛者であるが、彼女の漠然とした世界が確立されるにはもう少し時間がかかりそうだ。
誰の言葉だったか「苦しいときは登り坂」という言葉を彼女には贈りたい。





前置きが長くなったが、そんなメンツの中で今回のテーマになっている【不可能を可能にする男!!】というのは、ほくほく男Zのことだ。


酒が進むにつれ話題は社会の話から結婚ネタへ。

・・・いつの時代も酒の席では恋愛話が定番だ。


Zが当時会社の同期だった奥さんIに付き合いの申し出をしたとき、彼女の返事は


「ごめん、無理!」だったという。


痛い。
一刀両断というのは時には優しさでもあるが、どうやらこの無垢な刃物は相当研ぎ澄ましてあったようだ。

丁重にお断りするということを知らないのか。笑


とにかく【無理】の2文字はフラれ方として超一級だ。
理が無いのだから、通常ならもはや不可能といっても過言ではないだろう。


「諦めたらそこで試合終了ですよ。」
Zは熱狂的な井上雄彦ファンに違いない。



その後の展開を詳しくは知らないが、結局諦めることをしなかった(知らなかった?)Zは後に勝者にのみ与えられる称号【ほくほく】を手に入れたというわけだ。




不可能を可能にした男Z。
伝説というものは案外、身近で作られていくのかも知れない。
と思えた。
なんかよくわからんけど、ありがとうZ!!

2006/08/23(水) 変化
日々の変化は小さい。
じゃあ週では?
月では?
年では?

逆に時間では?
分では?
秒でさえも?

一秒間で何が変わるだろう?

平均的に変化するなら年間の1/(60×60×24×365)の変化が毎秒起こってることになる。

少なくともこういうナンセンスなことが好きなところは変わってないな。よかよか♪







バラの花よりどくだみの花を愛するようになったのは大きな変化だ。

2006/08/22(火) ハリウッド的ジョーク
例えば

「こんこんちきはいつからやってるの?」

という質問に対して

「石器時代からだよ、HAHAHA!けど結果が出るのは23世紀頃になりそうだね!」

内容も笑えないけど、こういうバカなアメリカは好き。

なんか晴天のマイアミって感じ。

2006/08/21(月) リミット
いわゆる、ユルい人(まぁ自分のことですけど)が何故ユルいのか考えた。

ユルい人って精神薄弱気味だからリミットがあると参ってしまうんじゃないかと考えた。

リミット、つまり小さな単位での終わりが焦りになり、焦りが弱さになるんじゃないかと考えた。

だからその区切りの境界線をぼやけさせて、区切りの存在ごとあやふやにして逃げようとするんじゃないかと考えた。

人生の単位で言えば「死」を「生」の一部だとか、同義として捉えることはかなり逃げ腰のネガティヴアナロギストだと考えた。



たまには自己否定の日記も必要よね。

2006/08/20(日) つくつくぼーし
蝉がつくつく鳴いて、鶴坊さんがしくしく泣く時期が近づいている。

8月の前半に日記をあんまり書いてなかったら、何人かの人から「最近書いてないじゃん!(ちゃんと書けよ!)」的なことを言われた。

嬉しい限りだ。

が、しかし、夏はそれどころではないんだ。
夏が好き過ぎて日記を書いてる場合じゃなかったんだ。

解ってくれとは言わないけど。

ただ夏が好きなだけなんですよ。

解ってよ。

で、それと同じぐらい人間も好きだ。(←何度も書いてるけど何度でも言うよ)
特にある種の人種がたまらなく好き。

その人種とは、人間であることを素直に受け入れている人たちのこと。

人間ほどあらゆる「素晴らしさとダメさ」を兼ね備えているものって他には無い。
その意味では人間こそ【究極の物体】だと思う。

この前、岡本太郎美術館に行ったら、「自分の職業は、しいて言うなら人間だ。」みたいな感じの発言記録があった。

さすが。
解ってらっしゃる。

まぁ彼の絵はあんまり好きじゃないけど彫刻は好きだなぁ。




話は変わるけど【作品】と言うものについて俺が思うこと。

よく芸術の世界とかで○○さんの作品とか言うけど、そうじゃなくて○○さんが作品なんだ。

荒木さん自身(無論、飛呂彦さんのこと)が彼の人生をかけて作り上げた作品であり「JOJO」という観点があるってこと。

一平ちゃん(勿論、佐藤さんよ。)で言うと一平ちゃんそのものが作品で、彼が書く曲は副産物に過ぎない。

そうすると、みんな気づいてないだけで1つの【芸術作品】を作り続けてることになるよね。

筋トレしたり、勉強したり、ご飯食べたり、髪切ったり、タバコ吸ったり、弱音吐いたり、テレビ見たり、猫被ったり、旅したり、歌ったり、嘘ついたり、人殺ししたり、歯を磨いたり、ペット飼ったり、本読んだり、募金したり、掃除したり、絵を描いたり、昼寝したり、日記書いたり・・・

意志の下に行われる行為の全てが無二の作品【自分】の表現方法であり、同時にそれらの行為によって自分は常に変化していくのだから製作手段でもあるわけだ。

面白いよね、みんな自分をまさにセルフプロデュースし続けてる。
さらに面白いことに、実は【自分】なのに自分一人で作ってる訳ではない。
意志の力の及ばないモノにも影響されるから偶然(=必然)との共同制作ってことになるんだよね。

まぁ何年かけて何を作るかも、あなた次第。

でもせっかく作るんなら【びゅーちふる】な物を作りたいよねぇ?

ぼーしつくつく

2006/08/19(土) フラクタル
昨日、新たに出会った【フラクタル】という言葉について調べると、周知の言葉【カオス】に出くわした。

日常で使うカオスではなく数学的なカオスのことだ。

カオスについての記述の中で素晴らしい言葉に出会った。

【バタフライ現象】即ち「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」というもの。

とても興味深い。

しかし、素晴らしいと思ったのはその後。

「蝶が世界の天気に影響をあたえているなら、僕や君たちの行動も世界や地球環境に影響をあたえて続けている。」

という部分。

僕らはカオスの名の下になにか大きなことをやってやれるんだなぁ、とマジで思う。

2006/08/18(金) 両極端の一致
以前にも言及した【extremes meet】つまり【両極端の一致】はその気で見てればあらゆる場面で出くわすことが出来る。

ついさっきのこと。
二人の男が話をしている。
(正確にはその場には三人の男がいて、一人は残る二人の空気を愉しんでいる。)

一人は自称【理性的本能】もう一人は自称【本能的理性】だ。
理性的本能とは解りやすく言えば、切れ者を装うバカで、本能的理性はバカを装う切れ者。

対極に位置する(※見方を変えれば全く同じなのだが。)この二人の会話はとても滑らかで、ウィットに富んでいて心地よい。

会話の内容は【フラクタル】と【ユークリッド幾何学】と【スラムレイアップ】について、だ。
ハッキリ言って小難しい(笑。
ところが、俺はそういうの大好きなもんだから思わず聞き入ってしまった。

この2つのキーワードに興味をそそられた人は是非調べてみてください。


とにかく俺は両極端が一致する場所が好きだし、いつもそこに居たいと願っているのです。


そして彼らが明後日、プレハで対バンする【スラムレイアップ】改め【ニコラス】さんなのでした。

2006/08/17(木) スリーサム
スリーサムっていうアメリカ映画が好きなんですが、ワリと世間の評価は微妙です。
っていうか知名度が低いようです。

8年ぐらい前に深夜のTV放送で偶然見たんですが、その後レンタルして3回見ました。
まぁ、男2人(1人はゲイ)と女1人の普通ではない三角関係の話です。
設定は面白いんですが確かにパッとしない映画です。

自分でもなんでこの映画が好きなのか、ずっと疑問に思っていました。

今日の、「5時に夢中」のを見ていたら突然、その理由が解りました。
なんか好きなんですよね、変な人が。
正確に言うと変を恥じない人が好きなんですね。
岩井志麻子さんとチャールズくん、どちらも自分が異端児であることにどこか誇らしげな気配が滲み出ています。
誇っているんじゃなくて、あくまで誇らしげなところも重要。
それが刹那的であることも重要。

自分が好きってとても良いことだと思います。
自分が好きじゃないとホントには人のことを好きにはなれないんじゃないかとすら思います。

暇な人はスリーサムを観て感想聞かせてください。

2006/08/12(土) タバコの味と文字
自分の健康状態を知るための2つ。

僕はタバコの味で身体の、描く文字で精神の状態を毎日把握するよう心がけてます。

2006/08/08(火) Both sides of
基本的には穴倉暮らしです。
基本的にはポジティブです。
基本的にはメガネっこです。
基本的にはダルな感じです。
基本的にはフレア気味です。
基本的には結構大雑把です。
基本的には端っこ好きです。

なんにせよバランスを大切に。

2006/08/03(木) やってみなけりゃ解らない!
今ではほとんど寝たきりの祖父は絵描きだった。
祖父は主に竹を描いていた。
玄関を入ってすぐ右手に飾ってあった竹林の油絵は幼心にとても印象的だった。

俺「なんで竹の絵ばっかり描きよったん?」
祖父「近くにようけ竹があったきんよぉ。」
俺「へぇ。(そんな安直な・・・。)じゃあ竹の魅力って何なん?」
祖父「そら、描きよったらわからぁ。」
俺「なるほど。(恐れ入りました。)」


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