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2006/08/26(土)
ね?
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ルーツ。(わたるん脱退)
根。
根掘り葉掘り。
ギアッチョは言った。 「『根掘り葉掘り』…ってよォ〜〜。『根を掘る』ってのはわかる…。スゲーよくわかる。根っこは土の中に埋まっとるからな…。だが『葉堀り』って部分はどういう事だああ〜〜っ!?葉っぱが掘れるかっつーのよーーーッ!ナメやがってこの言葉ァ超イラつくぜぇ〜〜ッ!!葉っぱ掘ったら裏側へ破れちまうじゃあねーか!掘れるもんなら掘ってみやがれってんだ!チクショーッ。どういう事だ!どういう事だよッ!クソッ!葉掘りってどういう事だッ!ナメやがって、クソッ!クソッ!」
と!(長いね)
ハイ。というわけで今日は以前から僕が興味を持っている【0と1】の話を再び広げてみましょう。
おおまかに言えば「東洋は0で西洋は1」と言ってよいでしょう。
人生哲学の根が0の人は緩やかに流れて生きます。 基本的に非暴力・不服従です。 人生哲学の根が1の人はキメキメに攻めまくります。 基本的にラムズフェルド米国防長官です。 僕にとって彼は現代アメリカの象徴です。
以下【「0」の発見】より引用 ―0という数の起源には、インドの宗教的側面と同時に、インドの哲学が反映されています。インドでゼロを意味する言葉はサンスクリット語のシューニアです。シューニアとは文字通りには何も無いということ、「空(くう)」や「無」を表しています。「空」を象徴的に表すものが、ビンディー、すなわち「点」です。インドの女性が額に点を付けているように、今でもそれは、化粧の一部になっています。このビンディー、すなわち「点」は「穴」へと変化しました。そして、この「穴」は、一種の世界観を表すものとなります。例えばその一つが、人間は全て、この「穴」の中にいるという考えです。「救い」とは、「穴」から抜け出ることだと考えられました。0が無くては、1 - 1さえ計算できません。インドの宗教と哲学から誕生した0は、数の世界に全く新しい道を開きました。―
この文章の中で気になるのは「0」が「点」に変化しているところです。 「点」とは有であり、「1」のことです。 インド人はすでに「0」は「無」であり「有」であると捉えているのです!凄い!! ということは極端な話
「0≠1」=「0=1」
という数式が成り立ちますね。 なんとも衝撃的で哲学的でエキゾチックな数式です。 真理はいつも素朴かつ深遠なものです。
従兄弟のTくんはインドを放浪した結果、インド人を「あいつら超テキトーな国民よ」と言いました。
心の師匠Kさんは「自身の内に悩める人間はインドによって救われる」と言いました。
僕は行ったこと無いけどおそらく事実でしょう。
しかし、このインチキ数式を用いると俺の中にあるほとんど全ての謎が解決します。 解決すると言うよりブッ飛びます。
この数式はドラクエで言うところの「アバカム」です。 皆さん、多用しましょう。 何か大きな壁にぶつかったときは「0≠1」=「0=1」を思い出してください。
大きなものでも小さなものでもないと海は言ってる。(MUSTANG'78)
ガンジーさんもラムズフェルドさんも同じよ。 直線も曲線も。
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