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2007/02/01(木)
『感情という観点からの人生論』
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先月の日々是魂知己でそれとなく触れた話題について。
『感情という観点からの人生論』
人の一生を【感情】という観点から4つのステージに分けて考えてみよう。 【喜】【怒】【哀】【楽】 以上の感情のそれぞれが最も強く表出してくる時期ごとにおおまかに人生を分けていくと、不思議なことに「喜怒哀楽」の四字熟語の通りの順番でステージが構成されていることがわかる。 つくづく日本語というものは完成度の高い言語だと感心させられる。
【喜】のステージ(幼少期) 幼い子供が喜ぶ姿は本当に屈託がない。 小さな喜びを幸せそのものと感じ、大人から見ればほんの些細な喜びが子供の全てのようにも思えるほど【喜び】の感情が生活の大部分に表出する時期。 本当の意味での無垢で他意のない【喜び】は、実はこの頃にしか存在しないのかも知れない。
【怒】のステージ(反抗期) この時期に入ると【喜び】に替わって急激に【怒り】の感情が突出してくる。 家庭内のささやかな入れ違いや、世の中のどうにもならない矛盾に対して必要以上の怒りを覚え始める時期。 有り余るエネルギーの上手い使い方を見つけられず、結局、エネルギーのやり場に困って【怒り】として吐き出しているのだろう。
【哀】のステージ(20代〜?) 学校教育の場から解き放たれた人たちが9〜12年かけて詰め込まれた知識を組み合わせて、この世界の物理的構造や形而上学的構造について考え始める時期。 そして考えれば考えるほど実社会と精神世界の狭間で虚無と戦うこととなり、その結果【哀しみ】が生活の多くの時間を支配する。 実は人生で一番長いのが、おそらくこの【哀】のステージではないかと考えている。 なぜなら、比較的単調な【喜び】や【怒り】に比べると、状況に応じて多種多様な様相を呈する【哀しみ】が20代から始まって長く続くというのは理にかなっているからだ。
(自分は今まさにこの【哀】のステージを過ごしているので、ここからは推測の域を出ない話になるが、)さまざまな【哀しみ】を味わい尽くした頃、人生はゆるやかに最終ステージを迎える。
【楽】のステージ(晩年) 【喜】【怒】【哀】を堪能し、人生の酸いも甘いも噛み分けた者だけが、それまでに体験した全ての感覚が見事に融け合った状態、すなわち【楽】の境地に入ることを許される。
先に、ここで言う【楽】(らく)とは一般にいう「楽しい」のとは少し違っていることを留意してもらいたい。 【楽しい】は【嬉しい】に近いが、【楽】は他のどの感情にも傾倒しない感覚だ。おそらく「ぽわわと揺られて心地良く暖かい」或いは「ぼんやりと丸い輪郭の中で話をする」感覚だろう。(あくまでも推測)
彼はそのあらゆる経験から得たものの総体を以って己の友とした。 そのため【楽】の境地まで辿り着いた人は最早、何事にも激しく動じることはない。 祖父の口癖は「ええがなええがなじゃ。」 ・・・コレです。
【楽】は、それまでのステージでどれだけのものを得たか、またどれだけのものを失ったか、それが結果となるステージ。 この最終ステージが【楽】であるということに着目すると、神様にアカデミー脚本賞をあげてもいいほどのストーリー性が人生には隠されているのだ。
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