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2007/02/02(金)
『続・感情という観点からの人生論』〜人生の隠しステージ〜
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『感情という観点からの人生論』で述べた4つのステージ。
果たして人生は本当に4つのステージで終わりなのか?
ロールプレイングゲームには当たり前のように裏ボスなる者が設定されている昨今。 もし神様がゲームクリエイターであったならば、【楽】の後に更なる境地が隠されているであろう、ということは容易に推測できる。
・・・そして2日ほど考えた後に立てた仮説がコレ。
【恍】のステージ(悠久なる恍惚の時)
大辞泉によると【恍】とは『うっとりとするさま。また、ぼんやりするさま。』と記されている。 【恍】を感情ではないと思われるかもしれないが、文字通り心に光と書いて【恍】。これを心境もしくは感情と捉えることはあながち無理やりでもないかと思う。
まだ【楽】にも辿り着けない自分には雲の上を想像するような話だが、机上の空論として聞いて戴きたい。
全てを超越したところにある【恍】がどういうものなのか? 具体的に言うと、それは「痴呆」だ。 痴呆という『真実が虚と重なり、時計すらも正確な時間を告げられないパラレルワールドで起こる自我の崩壊』。 【自我の崩壊】とは裏を返せば即ち【虚無の崩壊】、つまり【ニヒリズムの超克】にも通じる。 そしてニーチェさんが人生の最後に狂気を迎えたという事実がこの仮説の最大の証明となり得るであろう。
「惚けは天国、周り(の人)は地獄」と言われるのは【恍】の境地に入った人の表情から作られた表現だと思われる。 そして天国は極楽とも言われ、まさに【楽】の極みということだ。
【喜】【怒】【哀】を何十年間も煮詰め続けて【楽】となり、【楽】を味わい尽した者が最後の最後に得られる究極の世界。
虚無さえも存在しない世界がそこに在った!!
そして・・・
そして、それは自分にとって最も恐れていた悲劇だった。 人一倍自我の強い自分は以前から、「自分が自分で居られなくなる」状態、つまり「痴呆」を極端に恐れていた。 【哀】のステージの真っ只中で虚無に怯えながら、ニヒリズム(虚無主義)の超克を求めた先に見えた答えが【恍】であった。
この皮肉は! ニーチェさんによって殺されたはずの彼が書いたこのシナリオは「猿の惑星」を超えたよ。
こんなにも静かで美味な哀しみがあるとは。 いずれにせよ、どうやら【哀】のステージはまだまだ奥が深そうだ。
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