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2007/02/20(火)
ココロヲエグッテヤル・・・
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得ることの裏返しとしての【失うこと】に焦点を当てて物事を考えると、当然ながら退廃的な結果になる。
大事なモノほど手放さなずには居られなくなる。
俺には週に一度は必ず、そういう一瞬が訪れる。 (もし誰にでもある感覚であるなら少しは救われる・・・)
その感覚に身を任せることが、『どういうことを意味するのか』を解っているつもりでいて、結局のところ理解できてはいないということなのだろう。
いくつ歳を重ねても建設的には生きられない愚か者だ。 いつも心の奥底で【ここではないどこか】を考えてしまう子供だ。
ただ保身のためだけに、手を替え品を替えなんとかそれを肯定し続け、いずれフラフラと死んでゆくのだろう。 目も当てられぬほど無様に。
「そういう死にざまが自分にはお似合いだ。」と、微かながらも考えてしまうほどに俺は愚かだ。
この愚か者につける薬は苦痛のみか。
片腕を肩ごとぎ取られるほどの苦痛を味わえば少しは変われるのか。
それでも変われなければ、性として受け入れるしかないのか。
こうやってどれだけ悲劇を仮想したところで、生の痛みは訪れはしない。 それを止むことなく美化してしまう愚かな脳がこの中にある以上は・・・
現実に! この俺の! この喉から発せられた悲痛な叫びによってのみ! その繰り返しによってのみ! 学び得る、ひそひそと流れるせせらぎの様な幸福の意味!
だが、もし・・・、 嗚呼・・・もし、それすらも失って初めて悟るのであるなら、それ以上に愚かなことはない。
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