日々是魂知己
〜自分勝手の極み〜
我、思う。故に知己あり。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年4月
前の月 次の月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
最新の絵日記ダイジェスト
2007/12/14 終わった。
2007/11/03 終わり
2007/11/02 なんとも穏やかな気分であることよ
2007/11/01 セセラギセラセラケセラセラ
2007/10/25 浅き夢見じ 酔ひもせず

直接移動: 200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 7 6 5 4 3 月  200111 月  20003 1 月 

2007/04/28(土) 自戒『カテゴライズの恐怖』
以前から、何度も言っていることだが物事をカテゴライズすることは時には必要であるが、デメリットも多分にあることを忘れてはいけない。

最も極端な例を挙げると、
四捨五入は、【1〜4】を【0】に【5〜9】を【10】に一刀両断してしまう恐ろしい行為だ。

俺は今日、夜の電車の中でふと思った。
「この時間帯は会社帰りのサラリーマンばっかだな。」
と。

おい!ちょっと待てよ!
サラリーマンってなんだよ!!
みんな別人だ。
みんな千差万別な顔して、それぞれの人生があって、それぞれの家庭に帰っていく一人の人間だ。
そういうのって安易に一まとめにして呼んでいいものだろうか。

世間体を除外して白状すると、俺は正直言ってフォーマルなスーツを着てる男は「自分とは違う人種」と、はっきりカテゴライズしてしまっている。その時点で彼らの存在を自分には要らない情報として処理してしまっている。

これは自分としては明らかに反省すべき点だ。
理想を言えば俺はその男の眉間や目尻に刻まれた皺から彼が歩んできた人生の苦楽を感じ取れるぐらいの感性を欲しているのだ。

にもかかわらず!

サラリーマンたち!!だとか!!

下北系だとか!!みんな必死で個性を出そうとしてるじゃないか!!

カテゴライズして情報量を下げねばならないほど、自分の脳がパンク気味だとも思えない。
なのに吐き気がするほど俺の中にはデジタル化機構が出来上がってしまっている。
これは怠惰以外の何者でもない。

アナログの無駄な(だと思われる)部分をもう一度見つめなおして生きていこう。

無限階調。
それを大事にしていこう。

切り捨ててしまったものは取り戻すことが出来ないのだから。

2007/04/27(金) 日記の原点
日記という形態をとっているものの、随筆でしかない『日々是魂知己』。
たまには原点に立ち返って『日記』を書いてみようと思ったのです。

では!

午前6時、ようやく仕事を終えて家路につく。

帰り道は上り坂があるし、これと言って急ぐ理由もないので20分かけてふらふらと愛チャリを走らせる。

・・・いや、まて。

もう書くの飽きた。


やはり慣れないことはやるもんじゃあない。


というのは、甘えだ。

「自分に厳しく生きるのだ!」

と言い自分に聞かせつつ・・・
こんなつまんないことを書く気はさらさらなくなってしまった自分を、そしてこの文章の行く先をどうしてやろうかと思案。


書くことを放棄する事に決定。

一応。無駄な時間と労力を使わせてしまったことを謝罪しておきます。
ごめんなさい。

2007/04/25(水) 習慣みたいなもんで
四六時中、結構めんどくさいことを考えている。

今日は風邪っぴきなのにめんどくさいことばかり考えている。

これは結局、一種の自動筆記(オートマティズム)であり、書く文章の総体として自分があるということです。

ひたすら、書き綴ることに意味があり、書けば書くほど明確に見えてくるものがあるということ。

あ〜、喉の奥が痛い。

しかし、一方ではこうも考えている。
デッサンのように細かい線で、形を正確に書き留める意味は勿論ある。

しかし、芸術というならば一本の線で対象の本質を書き留めることの方が重要なのではないか?と。

だから、たまには誰にも理解されることのない文字を並べることもするし、詩的に自分だけの世界に線を描くこともある。

クソッ!鼻の奥までイガイガする!!

無意識レベルまで掘り下げれば、狂気じみたものが出てきて然るべきだし、その世界が人に完全に理解されるはずがない。(←理解は意識下で行われることによる。)
共有は、となると話は変わってくるが・・・。

夢に興味を持つことは、無意識層の自分に興味を持つってことだ。

昔から多くの人が無意識に日の光を当てようと、様々な試みをしてきた。

俺は意識を駆使して無意識を引っ張り出す方法を探してる。
引っ張り出すってのは語弊があるな。
無意識を【仮想】する。コレです。

支離滅裂な語尾や主語に意味はない。その瞬間の気分の問題でしかない。

とにかく言っておきたいのは、今はディスプレイを見てるだけで頭痛がするってことと、今週借りて見た映画は「いつもより濃い目のCOFFEEが飲みたくなる映画」だったということ。

2007/04/18(水) ご馳走様でした。
人の出入りが多い場所で働いていると、人間というものがよく見える。

気持ちのイイ人とか、ひたすら暗い人とか、静かに深い人とか、無味無臭な人とか、キャピキャピした人とか、酔っ払いな人とか、謎多き人とか。

んで、俺が思うのは、「みんな、自分の歩幅で自分なりの道を歩いて、でも不思議と同じ所に向かってるんだなぁ〜」ってこと。

そのことがとても愉快だ。

結局のところ、人間は人間でしかない。

それ以上でもそれ以下でもない。

そのことがとても愉快だ。

そう考えるときに感じる「愉快」と表現した感覚は独特で、他のことではなかなか得られない満腹感がある。

【球体に似た満腹感】とでも言っておこう。


今日は珍しく良質でボリュームもある喰人が出来ましたとさ。

2007/04/17(火) 向こう側に何があるのか?
先人たちの遺した言葉が事実なら、

【それ】は向こう側ではなくこちら側にある。

もしかしたら既に知っているのかも知れない。

ただ、解ってはいない。

まだ機能していないということなのだろう。

時間をかけて温め続け、

時が来れば自ずと孵る卵のように、

【それ】は時を経ねば機能しないのだろう。

若くして手に入れようとすることは、

受精卵を電子レンジで温めるような愚行だ。

まずは、【それ】を見つけられるように、

そして、【それ】を受精させられるように、

そのために空(くう)に叫ぶのだよ。

2007/04/13(金) ネンガラ年中からぽっくりまで
思えばいつも【季節】というものを感じています。

春が始まったばかりなのに、密かに心の中ではもう夏の気配を探っています。

探りながら夏の終わりにやってくるであろう喪失感を妄想しています。

後はぐるぐる回り続けます。

秋には収穫して、冬はさむしくて。

ぐるぐる。







で、話は変わって、ぽっくり。









【ぽっくり】って逝くときにしか使わない表現ですかね?

見た目と響きはスゴクいい。

木魚を叩くときにも使えそうな感じもするけど、他の用途ってあるのかな〜。と。

↓こういう使い方もいけるか?

ぽっくりと 小春陽気に 涙して イモの流れに また涙して


深遠なる心持とキッチュなクオリティを併せ持つ【ぽっくり】。


そういう人間は魅力的だ。

そういう人は【ぽっくり】と形容してもアリだと思う。

4月の夜更け。

2007/04/12(木) 逆に
「お前はやれば出来る子だ」と誰もが一度や二度は言われて育つもの。

「お前はやっても何も出来ないんだ!」と言われ続けて育ったら、人はどう育つんだろう?

怖い。

2007/04/11(水) 風化のすすめ
「風化しないものはない。」

もちろん経験も風化する。

時は先ず経験から色を奪い、いつかはそのものを忘却の彼方へ連れ去っていく。

しかし全体に目をやれば、風化していく経験は姿、形を変えながら存在し続けることが分かる。それが消滅と風化の違いでもある。

ちょうど画用紙の上で水彩絵の具が滲んでいく様に、薄まりながら広がっていくように、1つの経験が時を経て後の経験に影響を与えていく。

何かを経験したとき、その経験が何の風化によるものなのかを考えることは有益だ。

また、何かを経験したときにその経験をどう風化させるかがとても重要だ。

それは「失敗から学ぶ」ということはよく言われるが、しっかり「成功を噛みしめる」ということも等しく必要だということ。

悪い結果が後に良い結果を導く可能性があるならば、逆に良い結果が後に悪い結果を導くことも当然ある。

因に果を求め
果に因を求める

そうやって経験同士の因果関係を知っておくことは、物事を上手く風化させる助けになるはずだ。



因みにこの考察はneko_3という女性との対話による果です。
この文章が良い風になってくれれば幸いです。

2007/04/08(日) 射法訓
実家の自分の引き出しからこんなものが出てきた。

射法訓

射法は、弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。
心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し、
妻手三分の一弓を引き、而して心を納む是れ和合なり。
然る後胸の中筋に従い、宜しく左右に分かるる如くこれ
を離つべし。書に曰く鉄石相剋して火の出ずる事急なり。
即ち金体白色、西半月の位なり。


高校で弓道をやっていたんですが、弓道が求むるところの何たるかすらも知らずに弓を執っていた自分が情けない。

あの頃よりも、弓を握ることが無い今の方が弓の道を進んでいる心持です。

2007/04/05(木) 始まりと終わり
始まりに理由も無いのに

存在に意味を求めるのか



始まりに理由など無いのに

終わりに意味を求めるのか



そういう問いの前には、27年という年月は震える子羊でしかない。

2007/04/04(水) ここちよいところ
実際の場所の話じゃなくて、人にはそれぞれ心地良くなる精神状態ってのがある。

僕の場合、そこは「なんだかなぁ・・・。」っていう感じの少々やさぐれているところで、全てのモノの意味が薄れかけているところでもある。

何もかもがどうでも良くて、どれでも良くて、どれも良いところ。
一般的にはダメな感じなのかもしれないが、至極、居心地が良い。

そのとき僕は博愛であり、厭世であり、融けゆく煙である。

解り易く言うと、「まっとう」より少しアウトサイドなくらいが自分の精神的標準位置だと思うのです。

だから、澄みきった蒼に無条件に心惹かれ、沈みゆく夕日を帰るところのように感じ、濁りには悲しみを憶える。

厄介なのは、このテの場所では僕らはその悲しみに打ちひしがれながらも癒されているという事実。

藤村さんの「濁り酒 濁れる飲みて草枕 しばし慰む」というくだりは、まさに藤村さんもその場所に居たことがあるという証だと思う。

さらに厄介なことに、その時そこにいる人にとって「まっとう」という言葉は憧憬と苦痛をともなって響く。

2007/04/03(火) 書きたくなくても書かなければ
本質がそうだからなのか。

今、そのステージに居るからなのか。

言葉が悲しみを深め、

書き綴ることが胸を抉る。

描き出すのは寂寥ばかり。

煙は融け行くばかり。

2007/04/02(月) その時ごとに
10代で解ること

20代で解ること

30代で解ること

以下省略。

その全てが事実だから、自信をもって叫ぼうや。

ビビるこたーない。

2007/04/01(日) たんぽぽ
笑うしかない日曜日。

そう、そんな日曜日。

生でたんぽぽを聴けた日曜日。

その心遣いに感謝。

悲しみも融けて・・・


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.