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2007/04/25(水)
習慣みたいなもんで
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四六時中、結構めんどくさいことを考えている。
今日は風邪っぴきなのにめんどくさいことばかり考えている。
これは結局、一種の自動筆記(オートマティズム)であり、書く文章の総体として自分があるということです。
ひたすら、書き綴ることに意味があり、書けば書くほど明確に見えてくるものがあるということ。
あ〜、喉の奥が痛い。
しかし、一方ではこうも考えている。 デッサンのように細かい線で、形を正確に書き留める意味は勿論ある。
しかし、芸術というならば一本の線で対象の本質を書き留めることの方が重要なのではないか?と。
だから、たまには誰にも理解されることのない文字を並べることもするし、詩的に自分だけの世界に線を描くこともある。
クソッ!鼻の奥までイガイガする!!
無意識レベルまで掘り下げれば、狂気じみたものが出てきて然るべきだし、その世界が人に完全に理解されるはずがない。(←理解は意識下で行われることによる。) 共有は、となると話は変わってくるが・・・。
夢に興味を持つことは、無意識層の自分に興味を持つってことだ。
昔から多くの人が無意識に日の光を当てようと、様々な試みをしてきた。
俺は意識を駆使して無意識を引っ張り出す方法を探してる。 引っ張り出すってのは語弊があるな。 無意識を【仮想】する。コレです。
支離滅裂な語尾や主語に意味はない。その瞬間の気分の問題でしかない。
とにかく言っておきたいのは、今はディスプレイを見てるだけで頭痛がするってことと、今週借りて見た映画は「いつもより濃い目のCOFFEEが飲みたくなる映画」だったということ。
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