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2007/04/04(水)
ここちよいところ
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実際の場所の話じゃなくて、人にはそれぞれ心地良くなる精神状態ってのがある。
僕の場合、そこは「なんだかなぁ・・・。」っていう感じの少々やさぐれているところで、全てのモノの意味が薄れかけているところでもある。
何もかもがどうでも良くて、どれでも良くて、どれも良いところ。 一般的にはダメな感じなのかもしれないが、至極、居心地が良い。
そのとき僕は博愛であり、厭世であり、融けゆく煙である。
解り易く言うと、「まっとう」より少しアウトサイドなくらいが自分の精神的標準位置だと思うのです。
だから、澄みきった蒼に無条件に心惹かれ、沈みゆく夕日を帰るところのように感じ、濁りには悲しみを憶える。
厄介なのは、このテの場所では僕らはその悲しみに打ちひしがれながらも癒されているという事実。
藤村さんの「濁り酒 濁れる飲みて草枕 しばし慰む」というくだりは、まさに藤村さんもその場所に居たことがあるという証だと思う。
さらに厄介なことに、その時そこにいる人にとって「まっとう」という言葉は憧憬と苦痛をともなって響く。
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