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2007/08/03(金)
見る角度
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ロボットから見ると【人間らしさ】とはアニマル的であること。
で
アニマルから見ると【人間らしさ】とはロボット的であること。
で
ミジンコ界では人間は巨大生物であり、太陽系で見れば人間とミジンコとはなんら変わりない。
で?
で
見る角度の話。
で
ピラミッドは三角
で
四角
で
球体は丸
で
やはり丸
で
完全
で
白紙は0
で
∞
で
1
で
紙
で
だいたい長方形
「ものごとを多面的に捉えよう!」という説教臭い内容をNHKの教育番組的に文章にするとこんな感じかな。
僕はいろんな角度から人間を観てみようと思う。
その点に関しては貪欲である自信がある。
ところで、金って全然貯まらないけど、洗濯物はなんであんなに溜まるんだろうね。
昨日なんて、多すぎて洗濯機が回らなかったぞ。
諦めて2回に分けた。
まいった。
まいったけど全く今日の日記の内容とは関係ない。
関係性を見つけられる人がいたら勝手にこじつけちゃってもOKです。
空間座標上に在る2点は1つの直線上にある。
その意味は、どんなに無関係に思える事象でも少なくとも1つは共通点を持っているってことだ。
要は捉えようとする角度次第だ。
「反比例曲線はずーっと離れてみるとX軸、Y軸と一緒なってただの十文字に見える。スゴイだろ?」と中学の数学のワタナベ先生が言っていた。 (ワタナベ先生は凄く楽しそうにそのことを話していたが、残念ながら中学生という“若さ”はそういった類の喜びをそうそう感じれるものではない。今にして思えば、あの時、あの教室でワタナベ先生はかなりの孤独を感じたに違いない。)
「勝って兜の緒を締めよ。」と中学校のミヨシ校長先生が言っていたが、その言葉は戒めとも激励とも取れる。 (校長らしいシブい御言葉だが、中学生でこの言葉が心に響いてしまうヤツは若年寄と呼ぶに足る逸材だと思う。)
なんで今日はこんなに中学時代のことを思い出すんだろうか。 (まさか、セミの声が記憶の奥のイノセンスな記憶を呼び覚ました!?)
ものごとの本当の姿とはあらゆる角度から見て初めて見えるものなのだと思う。
その考えの基には、僕らはあまりにも無知で、語れることなど唯の一つもない。
あまつさえ万物が時と共に流動するは世の常。
あらゆる刹那にあらゆる角度からものごとを捉えようなど、ヘソ茶だ。
だからこそ尚更その時々に感じることを確かな角度の1つとして刻みつけておきたい。
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