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2005/03/25(金)
ブルースおやぢ
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大阪に中島らもという作家がいました。
氏の作品は小説よりもエッセイの方を多く読んだのですが、 その中の一冊にあるブルースマンの話が載っていました。
ブラインド・レモンというブルースマンが居て、若い頃から既に名声を得ていたのだそうですが、 第二次世界大戦の折、アメリカの兵隊としてドイツへと派兵されました。 そこでドイツの捕虜となってしまい行方不明になるのですが、 終戦後、ある収容所で彼は発見されました。 その時彼は、度重なる拷問のためか完全に失明していたそうです。 そんな彼に、彼をブルースマンであると知っていた兵士の一人がギターを手渡し歌を歌ってもらいました。 その盲目となったブルースマンは、以前よりも遥かに深みのある、哀愁の漂う声でせつせつと歌ったそうです。 そうして彼はブラインド(盲目の)・レモンと呼ばれ、再びブルースマンとしての名声を得たという話でした。
ブルースというのは、深くは聞き込んでいませんが、音楽的才能云々よりも何よりも、 その人生で感じ学び得てきた事がダイレクトに味として出る音楽のように思います。 だからどうしようもない人生を歩み酒とタバコでつぶれた喉から出す声が一番合うのでしょう。
そして、この中島らもと言う人もブルースを歌います。 もともと作家として世に出、リリパットアーミーという劇団をやり有名になっていったのですが、 あまり世に知られるほど本格的に活動していないこのブルースバンドも、僕は素晴らしいと思います。 ちなみに、僕は、演劇のほうは残念ながら見たことはありません。 友人の演劇好きが演劇を好きになったのはリリパットアーミーを見たからだと言っていました。 リリパットアーミー自体は、わかぎえふと言う人が継いで活動しているようですが、それにしても残念です。
中島らも氏はかなりのフーテンで、近年も麻薬の不法所持で捕まったり、 酒の飲みすぎで死にかけたりと無茶な話が尽きませんでした。 麻薬と酒、と聞くと眉をひそめる人も多い事でしょう。 でも彼の一文で 「世の中に腐臭を感じ、そしてその腐臭の一番するところは自分の胸元だった」 という言葉を聞けば、その想いの片鱗は解る人には解るでしょう。 もちろん、解らない事は悪い事ではありません。 僕も解りません。
そういった人生でボロボロになった体を引きずった彼の野外でのステージを見ました。 文字通り、彼はよたよたと歩きギターさえも重そうに持ち、 昼間の太陽が眩し過ぎるからか焦点の合わない目を隠すためかサングラスをし、 ぼさぼさの長い髪をしてそこに居ました。 彼は歌いました。 「いいんだぜ、いいんだぜ、お前が○○でも」 そこにはあらゆる欠点が当てはめられ唄われていました。 「いいんだぜ、いいんだぜ」 彼は繰り返しこのフレーズを唄いました。 「いいんだぜ」 と、ダミ声で繰り返し繰り返し。
ただ、優しい、寛容、と言うものとは違います。 そこに唄われている感情は大きすぎて僕には「理解」できません。 それでも、それなのに、この唄声を聴いたとき、涙が出ました。 唄っている事は滅茶苦茶な言葉を使い、滅茶苦茶な事も「いいんだぜ」と唄って赦す。 なぜなら、自分自身がずっと滅茶苦茶に生きてきたから。 滅茶苦茶であると言う事が誰よりも解るから。
「ちゃんとした人」にとっては氏の感じてきた感情はことごとく、 ズボラで軟弱な人間の戯言にしか見えないかもしれません。 でも、はっきり言えるのはそういった人たちの言葉は、表現は、絶対に僕を泣かせる事は出来ません。 まぁそれも「ちゃんとした人」達には意味の無い事なのでしょうか。
僕は改めて中島らも氏のご冥福を祈ります。合掌。
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