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2005/03/28(月)
くもりなきまなこ
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今日は朝からずっと雨でした。 夕方頃少し止んだりしたもののずっとしとしと。
雨の中、駅から仕事場へと歩いて行く途中、ミョーな物が落ちていました。 初め見たときは変な生き物に見えて、少しギョっとしたけど、 見てみると何のことはない小さなE・Tの人形でした。 なんだE・Tかとか思って通り過ぎたもののハタと、いや、E・Tってかなり変だな、と思いました。 正直、気味悪いと言うかなんというか。 ただやはりあの映画を見た上で言えばそういう感情は無くなっています。 そこは、スピルバーグ氏の凄さだと言うところでしょうか。
作品中に登場する大部分の人はその異形の姿に恐れとか嫌悪をあらわにします。 多分、日常に別の生物としても現れないであろうあの特異なビジュアルを何なのか処理・解釈できなくなるからなのでしょうか。 例えば、E・Tが猫そっくりだったら、あそこまでは怖がられなかったかもしれません。 僕らには、あの類の形の生き物が自分たちに危害を加えないと言う「雛形」のようなものが無いのです。 そういうこと自体を描き、最後には登場人物たちを通じて映画を観た人たちが気づかないうちに、ある高み、 この場合、異形に対する理解、という所にまで持っていかれてるというのは本当に凄い事です。
「くさい」という嫌悪は人間特有のものだ、という話を聞いた事があります。 そういえば、他の動物は匂いと言う物は一旦嗅いでみて、それが体に不快な物かとか、 美味しそう等など、そういう判断を下す材料にします。 例えば「ツーン」とくる薬品的なものは肉体的に不快なのですから大体どの生物も鼻をつまむでしょう。 でも、体臭や排泄物の臭いに嫌悪を示す生き物は人間だけのように思います。 犬なんか平気で雲古なんかをくんくん嗅ぎます。 人間が、そういった臭いを「不快」とし、嫌悪するのは、どうやら後天的な、すりこみのようなものらしいのです。 臭い→汚い→不衛生→不快→嫌悪、というふうにどんどん連想してイメージを膨らませます。
別に汚いを推奨するわけでもないですが、こういった刷り込み的な前提で 物事を断じてしまっている事ってよくあるなぁと思うのです。
「もののけ姫」のアシタカが言う「くもりなきまなこ」と言うのはそういった前提に囚われない ありのままのものの見方の事を言うのかなと思います。 くもりなきまなこがあれば、知識は求めなくても、その見た物感じた物から智慧が生まれるでしょうし、 その智慧から、結果としての、経験としての、知識もついていくのだと思います。
ハテサテ、僕はこのまなこのウロコをどうはがしましょうか。
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