夢想庵
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2005/03/11(金) むー。
今日は本を一冊読み終えました。
村上龍「全ての男は消耗品である」
なんちゅータイトル。

1987年に刊行とある。18年前のエッセイ集。
さすがに今読むと何を今更みたいな内容がつらつらと書かれております。
ただスタイルとしての断言(こう言ったら怒られそーだ)とか、
旅先、というか、仮住まいみたいな感覚の海外での話はなんとも小気味良く読んでて楽しかった。
タイトルに絡むような部分は、僕の文章力で触れると誤解ばっか生みそうなので割愛。

この人の本は、処女作「限りなく透明に近いブルー」第二作「コインロッカーベイビーズ」
「イビサ」「69」と読みました。
「コインロッカーベイビーズ」は上下巻で結構長そうだったので買ってから読むまでがかなり空いたのですが、
読んでみるとなんとも面白い。
施設から引き取られ、軍艦島がモデルとなっているであろう島での暮らし、
九龍城のようなスラムでの暮らし、部屋でワニが飼えるような超高級マンションでの有名モデルとの同棲。
極端な環境が入れ替わり立ち代り現れるのだけど、物語としての不整合性は感じず、
破天荒な登場人物たちにも十分感情移入できる。
決して好きなタイプの考え方をしているなと思う作家ではないけど、天才は感じます。
特に最後のシーンには寒気がしました。
細かい事は表記しませんが、ある種の感受性を試すのにとてもいい作品だと思います。


明日はお休み。
何か旨いもん作りたいなぁ。
イワシが売ってたらマリネでも試してみようかしらん。
あ、オムライス作ろう。卵たっぷりとろとろのやつ。
そういえば、液体チキンスープは売ってるけど、
液体の魚介だし(ブイヤベースと言うのかな?)って売ってないのかな。

2005/03/10(木) ひさびさ普通日記
段々と春の陽気になってきてます。
普段歩くコースからちょっとそれて歩くと、桜並木の公園があって、
この時期になるとツボミの状態を見るためにそこを通るようになります。
ホンのわずかずつ、気のせいかしらと思うほど少しずつツボミが膨らんでいきます。
人間に認識できないほどの速度で成長するツボミ、まるで止まっているかのように見えても
開花直前になると爆発のイメージさえ感じます。
はやく、そんな時期にならないかな。

午前中は仕事も割りとゆっくりで、午後からは神戸に行く予定。
少し早めに出て、職場で飲むコーヒーの豆を買いに行く喫茶店が始めたというランチを食べに行きました。
今日のメニューはオムライス。
魚介野菜がたっぷり、湯煎で固めずとろとろの状態のたまごがのっかっていました。
ソースは魚介だしたっぷりの感じで上品な味でござんした。
僕にはちょっとボリュームが少なかったけどおいしかった。
付け合せのサラダもドレッシングにエストラゴンなんぞというものを入れてるらしく、爽やかなナイスサラダ。

午後から神戸でお仕事済まして、職場へ帰る途中、ちょっと不思議な風景を見ました。
車で神戸方面から大阪方面へ向かう途中、つまり西を背に東へぶぶぶんと走ってました。
ちょうど、17:30過ぎ位で西日が進行方向へさしていたのだけど、
その前方の視界の空は厚い雲がかかっていてどんよりと暗く、
西日のあたる街が妙に浮かび上がっていました。
浮上する街、沈む空。
人間の目は便利かつ適当なもので、
例えば光の強弱なんかの許容量がフィルムやなんかよりもはるかに幅が広い。
だからその明暗の差というものがナカナカ解りにくく、
本来なら気にせずに流してしまう風景だったんだと思う。
仕事で少しは疲れていたけど、流さずに気づけて良かった。

今日知ったお店で、神戸のトアロード近くにある老房という中華料理屋がかなりいい感じ。
内装もいいし、料理の味付けもやたら濃いのではなく、ちょうどいい塩加減。
そして値段もリーズナブル。
個室ぽいところも多いし、食うの好きな人達でオフ会とかやりたいなぁ、と思いましたとさ。

2005/03/09(水) 智慧の実を食べよう3
いやはや、あったかくなってきました。
とはいえ週末天気が崩れて寒くなるとの事。
風邪ひかないようにしねとな〜。

昨日の続きです。

第四章、小野田寛郎・(財)小野田自然塾理事長・81歳
テーマ「そこで生きる力」
1974年から、フィリピン・ルバング島で、日本帝国陸軍少尉として
なんと30年間も任務についていたと言う老人。
えらいことです。
敗戦直後、無線機の故障や、ごたごたの中で、情報が行き届かなかったゆえの事らしいですが、
30年…しかも一人で…。想像すら出来ません。
そして、この人、帰って来たはいいものの、当時の陸軍はもちろん無く、
恩賞等も殆ど貰えなかったそうです。
扱いとしては、30年間無職と同じ。
しかし流石にそれだけの事を乗り越えてきただけある人、
そのサバイバルの知識・経験を生かして自然の中での逞しい青少年育成のための、
前記の「小野田自然塾」を設立。
逞しいです。
まとめるといっても、面白いと思うことが沢山すぎるのと、「平和」の中で生きていく上で
リアリティをもって理解するにはちょっとラディカルな話ばかりなので、難しいです。
全体に、生きる、という事を、
サバイバル生活の中で見出した、その生きる意志、というものを語っています。

「遊んでいるような小鳥でさえも生きるためには苦労する。」
これは小野田氏の言葉ではなく、落語家の春風亭柳昇氏の言葉らしいですが、
とてもよく、端的に小野田氏の言いたい事を表しているような気がします。
「まだ肉体的に生きる力のある間は決して死ぬべきではない、私はそう思うのです。」
今、日本で年間三万人の自殺者がいるそうです。
どこかで、自殺というのは、本当は「生きたい!」という叫びなのです、と聞いたことがあります。
僕は平穏に生きてきて、死にたいと思うような、辛い事にはあたった事がありません。
だから、本当は何も言えないのだけど、それでも今は、小野田氏の言うように、僕も思います。
そういえば、誰かが「生きてるだけでまるもうけ」って言ってたな。

好むと好まざるとにかかわらず、苦労はするもの、
だからどうか、悩まずに、やれるはずだ、と思ってやりましょうと、
氏のように30年も一人でサバイバルした後に僕は言えるだろうか。

第五章、谷川俊太郎・詩人・72歳。
テーマ「世間知ラズ」
詩人だけあって、小野田氏や藤田氏のような肉体派発言はありません。
「意味を取っ払ったところに出てくる無意味、いわゆるノンセンスというものは
結構人間にとって大事なもんじゃないかなと僕は思うんです。」
言葉、というものをこねくり回して考えるのが好きな僕にとってはタマラナイ言葉です。
「ノンセンスというものは人生の手ざわりというものを教える」
これは鶴見俊介氏の言葉だそうな。
意味というものは、人生の論理というか、筋道のようなものを教えてはくれるが、
手ざわりのようなものはあんまり教えてくれないということ。

詩というのは、言葉という具象的なものからその具体性をとっぱらって、
言葉の匂いや手ざわりや温度やうねりやなんかをダイレクトに表現するものだと思うのだけど、
例えば、ネット上ではそういうものは乏しく、
言葉や記号に意味ばかりを乗せてやり取りしているようにも思います。
だって無意味なんて無意味じゃんと言われれば最早言う事は何もありません。
僕は自分が把握できる事なんかホンのわずかだと思いますし、だから断言というのが苦手です。
人間そのものに限界があるように、言葉や、それに限らず、あらゆる表現にはそれぞれの限界があります。
その中で、その逆風ともいえる迫り来るような限界の中で工夫しようとする事こそが
なにがしかの表現をする上で重要なのだと思っています。
だから、才能なんか無くてもいいと思っています。
そして、日常生活の中においての言葉でもそう。
知識やなんかは、あれば役には立つけども、その相手に何が必要かを考える意志が重要だと僕は思います。
このへん、一章の共感するという事に繋がるものがあります。
投げかけとその反応。それがコミュニケーション。
人間は、伝えていくプロセスそのものなんだな、と最近思います。

どうせ食べるならおいしいものがいいように、
どうせ関わらなきゃならないなら、いい関係を。



ちょっと、この日記一連、重いなぁ。うへー。
ノンセンスがどうこういっときながら、一番意味に溺れているのは僕かもね〜でへへ〜。

2005/03/08(火) 知恵の実を食べよう2
昨日の続きです。

第二章、吉本隆明・詩人・文芸評論家・79才
5人の中では最後に出てくる谷川俊太郎氏に並ぶ有名人です。
テーマ「普通に生きるということ」
「普通に生きている人、あるいはそういう生き方を既にやっている人の生き方が、
一番価値ある生き方だと、理想としています」
というのが、基本の論旨なのだが、文章として同じ事が何回も出てきて、
言葉を特殊な使い方している事も相まって非常に難解。
上に挙げた導入部分は解るものの、さらに一歩進んだところでどうにも頭上に?マークが出てきます。
これを感覚的・直感的に感じ取る事が出来たら理解も早いのだろうけど、
今回読む限りは無理でした。
それもそのはずと納得したのが、後半、谷川俊太郎氏のところを読んでいると、
「吉本さんは、歌っているんだなぁと思った」とありました。
つまり、音や間も含めた日本語としての「話し」もしくは「話す」という事全体で、
彼は語っていたのだろうと思われるのです。
だから文章にするとくどくも感じるし、イメージがしにくくもなるのかなぁと。
なので、今ここで、まとめる事はできませんでした。ちゃんちゃん。

第三章、藤田元司・野球解説者・72才
テーマ「気持ちの強さ」
元巨人監督らしいです。
僕は、スポーツの類、というかTV自体あまり見ないので、野球とかもとんと疎いのですが、
やはり、一つの事を突き詰めてやってきて、年を重ねて言った人の話は、ジャンルを問わず面白い。
「ありったけというのは、持っているものを全部さらけ出してぶつかっていく事。」
等身大と言う言葉が、割と巷に出回っていると思うが、
その言葉からは、どうにも甘えが見えるという。
そのときそのときで、ありったけの工夫・努力をすることが大事と、
なんともスポーツマンらしい解りやすく熱い事を言ってます。
ただ、もちろん話はそれだけにはとどまらず、監督もやっていたので、
他人にありったけの力を出させるやり方などについても語っていたのが面白かった。
要するに、言葉を使って相手の気持ちを良い方向へ持っていく事、
それが出来る言葉というもの自体の大切さと怖さについても触れていました。
僕は言葉を使うのは割と好きなほうだとは思っていますが、
これにあるように相手の気持ちをどこかへと動くように仕向けるということはほぼ出来ません。
テクなし直球勝負のみです。あとはミョーなボール球か。
極端な例ではあるけど、好きな人に気持ちを伝える時とか、かけひきじゃないけど、
やっぱりそういう言葉の影響の作用の仕方というのはもうちょっと意識しないとなと思いましたょ。
クレバーになる必要は無いし、ていのいい言い方で逃げる事もしたくは無いけど、
でも、「正直のやり方」も考えたほうがいいなと感じました。
なんでもかんでもそのまんま正直に言っても波風立つだけですしね。
なんだったかな、平安時代とかそういう古い時代の話だったと思うけど、
ある貴族の妻に仕える女官の化粧があまりに下手なのを気づかせるのに、
その人に主人であるその女性が鏡を送ったらしい。
それを見て、化粧はほどほどの状態に改善されたとかいう話を
いつだったか、子供の頃に聞いた覚えがある。
まぁ、直接、ヒデー化粧だな!って注意するよりも、本人が自分で気づくように
仕向けるのがいいのですよ、ということなのだけど、
そういったことって、聞いたときは、話の意味はわかっても、ちゃんと消化できていなくて
頭の中に残ってて、熟成されて、それがふと心にストンと降りてくる事があるけど、
なんというか、算数や英語や〜ってのもいいけど、教育ってそゆことのほうが重要だぬぃと思いました。

続きはまた明日。

2005/03/07(月) 知恵の実を食べよう
「智慧の実を食べよう」という本を読み終えました。
これは糸井重里のHPほぼ日刊イトイ新聞の5周年記念のイベントとして
いろいろな分野における、70歳を超える長老たちによる講演会を単行本にまとめたもの。
5章からなり、それぞれにイトイさんがテーマを出してそれについて語る、というもの。
本当に面白く読めました。

何日かに分けてでも、ちょっとづつ思ったことなどをまとめられたらと思います。

第一章、詫摩武俊・心理学者・76才
テーマ「共感性の経験」
親や、祖父母との係わり合いの中で、共感する、ということを教えられ学んでいく事の大切についてが全体の趣旨。
なんだ、あたりまえの事じゃないか、とも思うけど、
なかなかこれが老人の言葉で語られると、そこはまた違う重みが出ています。
今は、時代の速度が速いためかジェネレーションギャップというものが、世代間でかなりの壁になっていると思います。
そんななかで、どうしても親や祖父母との関係が、昔に比べていびつ、というか、隙間の多いものになってしまっています。
もちろん、そうでない人も居ると思うし、それはとても幸いな事です。
ただ、やっぱり、自分自身の心の動きとかを見つめていても思うけど、
人に対して、思いやりに欠ける心持があることがあるなと感じます。
それはひとえに、共感ができにくくなっているという事が原因なのかもしれません。
ここで語る詫摩さんは、子供の頃に、ちょっとしたことで祖父にされた感謝や、
祖母に言って貰った「こう思ってるんだよね、解っているよ」
という体験を通して学んだ事を語っています。
物事を気づくきっかけなんてものはそういった本当に当たり前の事で、
あたりまえが故に、事の大きさが見えにくくなります。
彼はこう言っています
「学校の教育、テレビや新聞などのマスコミによる教育は非常に普遍的な、一般的なことであります。
親や祖父母からなされる教育は、もっと限定的なものではありますが、
人の心の深いところにまでしみ込んでいく教育なのです。」
前後するのですが、この前に彼はこう言ってます
「共感、という言葉があります。
共に感ずるというのは相手の人の心の状態がどうであるかという事を感じ取って、
その感じ取った結果を、その人に、「こうなんだよね」と伝えてやる事です。
-中略-
人は自分の心を理解してもらえたときに、その人に対して、本当にありがたいという気持ちを持つものですし、
自分もまたそういう気持ちをみつようになっていくものです。
共感ということは、非常に人間らしい感情です。」

人間の関係として、最も距離の近い家族たちから、わかっているよと言われることの嬉しさを感じれば、
おのずと、自分もそれを人にするようになるのでしょう。
もし、自分に自分の家族が出来たら、そういうふうに、感情を理解しあえたらなと思います。
それが出来るようになるまでは日々コレ修行なりね〜。

ところで、この本の装丁の絵はMAYA MAXXという人が描いているのですが、
とても迫力があっていい絵だと思います。
こういった感覚ってすごいなぁ、と素直に感服します〜。

2005/03/06(日) サッチモ
僕はこの人の事をあまりよく知らない。
名前はルイ・アームストロングといい、サッチモの愛称で呼ばれ
黒人でラッパ吹きのジャズメンだと言う位だ。
その音楽もまだ聴いた事は無い。
でも、何で知ったか、この人の逸話でとても好きなものがある。

アメリカでもまだ有色人種に対する差別が強かった時代、
音楽で名を売っていたとはいえ黒人である彼に対する風当たりも例外なく強かったらしい。
ある時、彼は麻薬の不法所持で逮捕され、取締官にこう言ったそうな。
「人種差別の痛み止めさ」

差別等の社会的な圧迫の中で、黒人たちはジャズやブルースを産み出してきたという。
ブルース等は元々音楽の素養など全く無い人間が、いかがわしい商売の客寄せにやったのが発祥などという話もある。
ジャズにしても、その生い立ちはその当時にして相当に反社会的なものだったのだろう。
よく知らないけど。

そうして一流のジャズメンである彼が、そういった悲哀に満ちた皮肉を言い放つのも
仕方の無い事、そして、自然な事であると言えるのかもしれない。

しかし、晩年、彼はある歌を歌っている。
「wonderfull world」ワンダフルワールド、素晴らしい世界。

強い差別を受け、音楽で名が売れるまでは、それこそどん底の生活であっただろうし、
名を売ってからも、もちろん社会的に不利な事は変わらなかっただろう。
でも、最後には言えたのだ。
素晴らしい世界、と。

長い辛い人生を歩んだ上で、その苦労が深くしわに刻まれた顔で、
笑いながらそう言える、イカスじじいになりたいもんです。

CD買おうかなぁ。


今日は、昨日さばいた鯛で鍋。
アラでダシ取り、身は食べた。
しめにソウメンを塩で味付けたダシで頂いて、ごちそうさま。
めちゃうまでした。

2005/03/05(土) ひがないちにち
今日は朝からほとんどオエカキしてました。
ここ最近は、毎日ちょっとづつよりも、いちどきに集中してやる感じになってます。
完成はまだっぽいなぁ。明日仕事だし。

夕方ごろに手を休めて、昨日買った魚を三枚におろしたりしてました。
DCPSOにて教えてもらった鯛だしの湯豆腐をまたやってみようかと思い、昨日市場に行ったところ、
生の天然物の真鯛が30cm位ので1280円で売ってました。やすぃ。
前回は黄鯛でやったのだけど、安い事もあって、味の比較をしてみようと想い、購入。
で、ワタだけぬいて、とりあえず冷蔵庫に。

その夜、DCPSOにてその話を鯛だし鍋を教えてくれた友人に話してみると、
前回の黄鯛では一匹丸ごと塩で焼き〆て鍋にぶちこんだけども、
真鯛なら勿体無いので、骨とかぶと、つまりアラを焼いてダシにして、
身は普通に鍋の具材にしたほうがいいよと教えてもらいました。
ので、三枚におろした身のほうは保存。
アラはこれ終わったら焼き〆にしようと想います。

明日は、そういうわけで鯛だしの湯豆腐の予定なのに、
家にそれの消費量を上回る量の豆腐があるので今日も湯豆腐。
昼ごろから昆布をふんだんに水につけておいて火を入れただけのシンプルなダシで頂きました。
これはこれでもちろん幸せになりましたとさ。めでたしめでたし。

オエカキしてる最中に、細野ハルオミの「マーキュリックダンス」のレコードをずっと聴いていました。
観光音楽と題されて発売されたシリーズの第一弾だけど、他の奴なかなか見ない。
一回だけ京都のレコード屋にあったけどあの当時は学生でオケラだったしな。
全体に静謐な空気が流れていて、まるで音楽などかかってないかのように聴ける逸品。
ただ静かな音ならいっぱいあるけど、濃密なようで空虚、空虚なようで濃密なその音は、
やはり、ホソノハルオミ、最高です。

2005/03/04(金) マカナイ
今日は仕事がずっと中での作業でした。
で、あるなりゆきにより、近所のイタリアンのお店のマカナイカレーを昼に頂く事になりました。
けっこう甘めで、最後にほんのりとスパイスが効いてくる感じ。
マカナイとは言っても、一応客に出す用として作ったっぽいなぁ。
そりゃそうか。
とにかく、おいしかったです。

そういえば、先日のその店に行った時に、同行の人がシェフの人と会話してて、
カルパッチョの話になったのだけども、
あれは料理の名前でなく、もともとは色あいを表現するものだったそうな。
ホントかどうか知らないけど、昔イタリアにカルパッチョという絵描きが居て、
緑を多く使っていたらしい。
その画家の個展を見に行ったある人が、その画廊の隣にあるレストランで食事をする際に、
つい先ほど見てきた絵から得たイマジネーションをシェフに伝えて出来た料理がカルパッチョとなった、と。
だから、カルパッチョというと生もの中心の野菜をふんだんにを使った料理と思いがちだけど、
基本は緑色を中心にしたもの程度の事らしぃ。うろおぼえ。アハハ。
なんというか、チェス好きのサンドウィッチ伯爵の話みたいなもんなのかしらんと思いつつ聞いてました。
3へぇ。

とはいえ、今や日本では、そして向こうでも、カルパッチョといえば
ナマモノを使った料理という方が当たり前になっているらしい。

言葉は他人との共通記号としてのツールだし通りいい方で問題は無いのかなとは思いますね。

2005/03/03(木) 狂骨の夢
今日読み終えた本。
京極夏彦「狂骨の夢」
怪奇探偵小説、とは言わないかもしれないが、
京極さんの代表的シリーズ、
京極堂シリーズの第三弾。

京極堂という古本屋を営む、本業神主の主人公が、
憑物落としとして様々な難事件を解決する。
などと言うとお化けが幽霊が妖怪が小悪魔がイヤ小悪魔は出てこないな、
なんにしてもモノノケの類が出てくるようにも想像できるが、
主人公曰く「この世に不思議な事など無い」と言ってしまう様に、
数々の不可解な因子が、主人公の手により祓われ解かれていくプロセスはなんとも爽快である。
京極堂シリーズは一つ一つが少々長いものの
一気に読んでしまうためにその長さを感じさせない。
三巻目にして、今回は主人公が中盤まで出てこないというような構成ではあったものの、
やはり中盤以降、京極堂登場から一気に読みきってしまった。
面白かった。
第一作「姑獲鳥(うぶめ)の夏」
第二作「魍魎のハコ」
どれも面白い。
興味のある方はゼヒゼヒ。

2005/03/02(水) 寒い日が続く
朝、例によって駅から歩いて仕事場へ行く途中、
風の加減かなんなのか、ふとダシの香りが漂ってきました。
というわけで、昼は蕎麦に決定。等と朝からにへら。
そして、決めた通りに昼食には蕎麦を頂きました。
仕事場の近く、ふらっと歩いて行ける範囲内に蕎麦屋は二軒あるのだけれど、
片方は安かろうアレだろうで、最近はトント行ってない。
とはいえ、場所的に漂ってきたダシの香りはこっちの店からだったんだろうな。
そして、もう片方は、安いとは言えないが昼の定食は良心的な値段でやっている。
昼に蕎麦を食べるといったらもうずっとコッチのお店。
本日の定食は天ぷらそばと炊き込みご飯に小鉢と漬物。
全体にボリュームは少ない。
蕎麦を大盛りにしようかとも思ったけど、やむにやまれぬ理由により断念。

前回来た時は、こんなもんだっけかーと思ったものの
本日は大変おいしゅう頂けました。
体調とか気分とかもあるけど、同じ店でもやっぱ出来不出来はあるのかしらんと
蕎麦をすすりつつ、厨房で忙しく働く料理人を眺めたりしてました。


面白かった本。
筒井康隆「幻想の未来」
デビュー第二作目とかだったような気がします。
とはいえ、同人雑誌みたいのとか色々やってたみたいだし
デビュー前のキャリアも色々あるんでしょうけども。幻の作品とか。
そんなわけで、かなり若い頃に描かれた作品である。
全体としては、人類滅亡直後ってな感じから始まる、割とグロテスクな表現の多い話。
エピソード的に書かれていて場面ごとにけっこう時間が飛ぶ。
もちろん、「主役」というキャラクターは居ない。
最後の、僕はそう思ったのだが、カタルシスとも言える終わり方のための、
そのプロセスそのものを描いたと言えばいいのかな。
若い頃だから、色んなものの意味を探る上での一つの答えとしての作品なのかな、と思いました。

3月絵日記の続き


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