夢想庵
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2005/04/12(火)
僕は、「解りやすい」という事は、それはそれで危険な事のようにも思います。
わかりやすい物の最たる物の一つに「数」というものがあります。
もちろん、数学、と言うような事になってくると解り易いなんてことは無いのですが、
こと、数、と言うとやはり物事を解り易くする為に人間が発明したものなのだと思うのです。

雛形としては一個の固体としてあるものを並べた場合に見えてくる数があったのだと思います。
賢い人類は、それによって出来た概念を数えられない物にも当てはめてゆき、
水や時間や頭の良さや、あまつさえある種類の信用すらも数値化してきたのだと思います。
(数値化された信用、それはオカネの事です。)

ゼロと1の差を「とりあえず」決め、それを単位に総量に対する数を見出す事は、
その「とりあえず」を共通のものにすることによって、
そのものを伝え合うお互いにとても解りやすくなります。
そしてそれを共通とする人間の数が多くなればなるほどその単位はどんどん強くなっていきます。
そうしてどんどん強くなった単位は長い年月の中で、
さも元からそこにあったかのような顔をしだすのです。

そうして僕たちのアタリマエになった単位やそれによる数は、僕たちの思考の方向を
ただの一方向、多い少ないに当てはめていってしまうと思うのです。

もちろん、数の便利さは全く否定するつもりはありません。
ただ、いつのまにかその解りやすさに頼り切ってしまう、その思考停止のような部分が怖いと思うのです。

僕は非常に理系的なものの考え方というか、理屈っぽい考え方なのですが、
それゆえにか、物事を感覚的に捉える曖昧な方法に惹かれます。
現代は食べ物でも絵画でもなんでも、オカネに換算されてしまっていますが、
それにこだわらず、安くても美味しい物は美味しい、高くてもまずいものはまずいと、
無名の画家の値のつかない絵でもいいものはいい、と感じ取れる、
変な前提(金銭的価値観だけでなく例えば作者との関係性等も含めて)に
左右されない感性を持てたらいいなと思っています。


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