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2005/04/19(火)
うらら
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今日はとてもいい天気でした。 同じような書き出しをもう既に何回かやってる気がするのは気にしないでおきます。 でも明日は春の嵐が来るそうで、仕事で早くから外に出る予定なのでゲンナリな今は二時半です。 早く寝なきゃっ。
今日は田辺聖子さん著「ひねくれ一茶」を読み終えました。 前回話題に出してからで考えると時間かかりすぎかも。 俳句や歴史に興味を持っているわけでもなく、時々行く古本屋のおじいちゃんに勧められたので読んでみた本です。 田辺さんの本は初めて読んだのですが、けっこう感情移入して読めました。
一茶は旅をしつつ各地に居る門人(弟子みたいなもの)を巡り歩くのですが、 その旅先で出てくる人々の名前が多すぎて、固有名詞に弱い僕はちょっと辟易してしまいました。 とはいえ、その一茶の人生や日常風景を描きつつ、エピソードの締めや味付けに一茶の句を入れ 話し全体をとても深みのあるものにしていると思いました。
一茶は当時の流行の俳句の人々とは違って非常に俗な言葉や事象を使って風雅を描き出します。 彼も他の有名どころの俳人と同じく、門人を増やし選集を出すという野心も勿論持っていたのですが、 何よりも各地を巡り門人や俳友と交友を深め、句作の世界を掘り下げて行くことを最上の喜びとしたと描かれています。
もちろん田辺さんが調査ナリなんなりをした上での創作ではあるのでしょう。 とはいえ、紹介されている句に対しての違和感は感じないので、そのまま受け取りました。
話の中でグッと来た事をひとつふたつ。
一茶がある門人の家を訪ねたときのこと、門人は「秘伝の俳句の作り方」のような本を手に入れたと言い とはいえ、これはどうなのでしょうと一茶に相談しました。 話によれば、それはかの松尾芭蕉の直弟子が芭蕉より教わった秘伝を書き記した物だと言う事なのですが、 結局それは旅の急場をしのぐ為にその旅の俳諧師がでっち上げた物でした。 そのエピソードの中で一茶は 「句作なんてものは誰かに教えてもらったりして学ぶもんじゃねぇ。悟るもんだ。」 と言います。
これは句作だけでなくあらゆる表現に言える事だと思います。 例えば自分よりもその分野で優れている人間が居て何かを教わったとしても その言葉なりのコミュニケーションからどんな小さな物でも自分で悟らなければ結局は役に立たないと思います。 世にあるHOWTOも全てそういう風に自分で噛んで飲み込んで消化してやっと力になるのです。
みんな内なる世界ではそれぞれ天才なんだと思います。 それは想像力や妄想や夢や狂気や、呼び方はなんでもいいのですが、 それに対して外の世界とを隔てる硬い壁に風穴を開ける方法は、自分でコリコリ開けるしか無いんですなぁ。
もう一つエピソードを。 これは一茶自身の話ではなく、江戸での親友で寺子屋をやっている耕舜という人の話です。 彼はもともと田舎の武家の出で、その地で妻もいたのですが、あらぬ噂のために故郷を追われる事になります。 この噂の内容については語られていませんが、その時の妻は彼を信じるどころか噂の尻馬にのって彼を責めたそうです。 打ちひしがれて、当ても無く故郷を後に一人江戸へと向かう彼の後を一人の女中がついて来ました。 彼が進むと彼女も進み、彼が立ち止まると彼女も止まる。 業をにやした彼は、江戸へ着いても乞食のような暮らしが待っているだけだ!と彼女をきつくさとします。 その時彼女はおずおずと 「それならば私も乞食になります」 と言ったそうです。 ・・・ もうっ!キュンときちゃいましたょ!
失敬、興奮してしまいました。 その女中を娶り、住んだ家の大家から人格と学識を認められ寺子屋を営む運びになり、 どうやら乞食にはならず、貧乏ながらも幸せな暮らしをしたということです。
別に女は男にかしづけとか思っている訳ではありません。 でも、こんな風に人に尽くせる強さを持つ人はとても素敵だと思います。 自己弁護のようですが、元来男は弱いものだと思います。 うすっぺらい外皮の内に何か圧力が存在しないとその形を保つのも困難だと思っています。 その中でも最も強い圧力は、やはり半身ともいってもいい、女性なのだと思います。 なんかちょっと気持ち悪い事言ってる気もしますが。。。
コミュニケーションが楽しいというのも重要かもしれませんが、 こういった強さ優しさを持つというのは何よりも重要だと感じます。 それは幸せになる才能の最重要要件だと思うのです。
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