夢想庵
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2005/04/24(日) 映画三本
明日以降、けこう立て込みそうなので今日は借りたビデオから3本観ました。

まず起きて早速、「ペットセメタリー」
ホラーです。監督さんワスレタ。
ホラーは明るいうちに観ないと色々アレなので体力あるうちに観ました。

愛するわが子を失った主人公は止められるのも構わずある禁断の土地に息子を埋葬する。
そこに埋葬された者は再び動き出すのだが・・・という目新しくは無い感じかも知れません。

一応ホラーではあるのですが、なんと言うか、主人公の心の動きとか、主に悲しみが主題で
結末もホラー的ではあるものの、解っちゃいるけどままならんのよさが出ててました。
まぁまぁ楽しめた感じです。


その後は軽くラクガキをした後、
「解夏」を観ました。
少し前に読んだ同名小説の映画化。
原作はさだまさしさん、監督は・・・監督は・・・・これまたワスレタ。

ある病気の為に視力を失う事を宣告された小学校の教師の主人公が
その来る日を迎えるために故郷に帰り、そこでの心の動きを描いたもの、と言えばいいのかな。

日本映画的な特徴なのか、しっとりとした静けさの、「いい映画」だったと思います。
ただ、無茶な作りをしてるわけでもないけど、やっぱり原作の方が面白かった気がします。
解夏、という言葉がもっと印象的に描かれていた気がします。
映画のほうでも山場的には描かれてはいるのですが、何が違うのか。
面白い事は面白かったけど、途中、ちょっと「長いな…」と感じてしまったのは残念かも。
集中力が盛り下がってる時に観たのがいけなかったのかも知れません。

で、またラクガキをしているとメッセンジャーから変な呼び声がっ。
その声に誘われるままにフラフラとPSOBBに繋いでしまいました。
そしてそこで見たものは・・・!
まぁここで書くほど大したもんじゃございませんでした。

ちょっと繋いだ後にご飯を食べながらもう一本見ようとデッキにセットしたのが、
マイケル・ムーア「ボウリング・フォー・コロンバイン」
アメリカの田舎の高校、コロンバイン高校で起こった生徒二人による銃乱射事件を中心におき、
アメリカの銃社会の危険性を訴えるドキュメンタリー映画です。
これはご飯食べながら観る映画では無いと思ったので、途中一回中断して、
軽くご飯を食べてから心の姿勢を正して再挑戦。

描かれている事が大きすぎて、多すぎて、どのことを考えるにも思考がかなり断片的になってしまいます。
ある種の思考停止と言うか・・・。

おぼろげに感じた事をメモ的に・・・。

それぞれの立場の人がそれぞれの都合や価値観なんかを基にした発言は、それぞれに正しいように聞こえます。
銃が好きな人は銃の危険性は言うもののやはり自衛の為に必要だと言い、
アレが原因だソレが原因だと色んな事を言います。
聞いていれば、それも正しい気もします。
銃は悪くない、悪いのはそれを人に向けて使う人そのものなのだと。
正論です。そして意味がないと思います。
みんなそんな事は解っていると思います。
でも、ふとした時に、何故か、事件は起こります。
解っているはずだった人の手によって。
そう考えると、自分も含めて、理性はとても危ないバランスの上に成り立っているのだ、
状況が変われば自分にだって危険な所はあるのかもしれないと思うと怖いです。


事が起こった後に、メディアを中心に理由や原因を探しあい、
それぞれに落ち着く根拠を見つけてそして皆忘れていきます。
自分自身が特にそうだと思います。
その映画中でも、今の日本でもそうですが、マスコミの事件の描き方は
やはり主観があって、「描きたいように」描いている所はあるようです。
見る人が理由が付けやすいように、ドラマとして完結しやすいように。
例えば、アメリカで言えば、犯罪の原因が黒人であるニュースを出来るだけ選んで流していると言うような…。
集団に作用する思想的なものの大きさは既に僕の想像力を超えてしまうので、
軽々しくは口には出来ないのですが、とはいえ組織的なこういう仕組みは怖いと思います。
それによりやすやすと自分が作り変えられる事だってあるのですから。
ここで、自分はそんなにヤワな自我は持っていないという方にはオメデトウとしか言えません。
いや、オメデタイか。
そういうマスコミの矛盾を描く事によって、この映画自体もその中の一つの虚構である可能性もあるという風に
とらえられる事もあり得るのを恐れずに作っている姿勢はとても好感が持てました。

とにかく、このマイケルムーアという人は、何かに怒り続けている人だと思いました。
そして悲しみ続けている人だとも思いました。
この人の他のドキュメンタリーではもっとブラックユーモア的な描き方をしているものがあります。
彼は自らその画面の中へ出てゆき、カメラに写る人とやり取りするのですが、
そのなかで冗談めかして相手を翻弄する時も、口は笑っていても、シニカルな冗談を言っていても、
いつも目が笑っていないのです。
起こっているような、悲しんでいるような、なんとも言えない目をしています。

僕はこういう映画を見ても、殆どの大切な事を取りこぼしてしまいます。
マイケルムーア氏はそういう無関心さにも怒っているのでしょう。
自分自身でも情けないです。
とはいえ、氏の目は、ずっと心に残っています。
それは、何かが起こったときに、その事を考える原動力の一部にはなる気がします。


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