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2005/04/27(水)
…の考え休むに…
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結局の所、何をどう考えた所で何も解るはずは無い事は解っているつもりでした。
尼崎の電車の事故は、死者を既に百人を超え、悲惨さは増すばかりです。
TVでは色々な人が色々な観点から色々な事を言っています。 ある記者会見で御茶を濁すような物言いしかしない、できない、JRの職員に 「人が死んでるんやぞ!」と罵声を浴びせる記者が居たりもしました。 そんな事は解ってるのに。 誰があの場で責任なんか取れるものかと、責任なんか持てるものかと 人の死に責任を持つなんて事が、人間に出来ると思っているのかと、 自分が壇上に立たない安心を盾に声を荒げる記者に腹が立ちました。
記憶というものは案外残らない物で、この事故のハッキリとした記憶も 当事者の方も、当事者で無い僕はなおのこと、徐々に薄れていくのだと思います。 「努力」をすれば、その記憶を残す事も勿論可能だとは思います。 ただ、生きていく上で、この事件や事故が多い時代に遠くて近いこれらの事全てを 記憶に残そうという努力は、もとより破綻が目に見えていると思います。 勿論、当事者の方や深い繋がりを持つ方々なんかは、その事故の記憶は相当強く残ると思います。 でも、まるきりその現場での記憶や感情を全く同じ形で心に保持しておける人は居ないと思います。 ただ、心の傷を癒すのも、ひとえにこの薄れ行く記憶、流れ去る時間があってのこととも思います。
記憶事態は薄れても、その残り香のような「印象」というのは、 例え当事者で無かったとしても、相当長く心の中に残る物だと思っています。
起こってしまった悲劇は悲劇として動かしようはありません。 責任なんていうものも取れる人間なんかいやしません。 そして当事者でなく、ただ事故を遠くで見聞きしただけという僕には なおのこと何も出来ません。 そこで何かを無理にしようとする事も、どこかおかしい気もします。
この事故の後、母と、この事故やその後の動きについて話をする時間がありました。 そこで母が言った事なのですが、「これからは電車に乗って遅れていてもイライラしないようにしようと思った」 という、事故からの母なりの姿勢というものを話していました。 僕は、当事者ではない人間の生活や日常に密着した形での姿勢について 今の所これ以上に良い考えを持つことができません。
今回の事故で、若い運転手の青年が急がなかいといけなくなった理由は JR西日本という会社の体制がそうさせたのだという意見はちょくちょく目に付きます。 ただ、JR西日本が何を意識してその姿勢をとるに至ったかを考えれば それは勿論、僕達を含む利用者たちでしょう。
だからといって僕は別に、社会のシステムが云々とか言いたい訳ではありません。 現代社会に思う所はあっても、それとは別に生活はしていかなければならないし、 何かを否定する事により、知ってか知らずか、それに相反しての自分の正しさを確信するような そんなチャチな意見も持っていません。
ただ単純に、僕たちが払った小銭が職員たちのポケットに入るように 僕たちが放ったイライラは、システムや目に見えないプレッシャーになって彼らの心に影を落とすのでしょう。
人がイライラするのまで押し止めようとは思いません。
ただ、少しでも僕のイライラを無くすようにすれば、と、まぁこれが一つの僕の今の心の置き様なのです。 難しいですけど。
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