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2005/05/18(水)
おっちゃんの話しは長い〜
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この日は仕事も明日以降の準備に終止してて、終わりの時間も早めでした。
こないだの日曜日、飲みに連れていってくれた方が、キムチあげるから取りにおいでと言っていたので、 仕事が終わってからそこへ向かいました。
その方は、仕事場からもそんなに離れ禎ない所で、焼き物中心の器屋さんを営んでおられます。 もともと大阪の方ではないのですが、大阪の事にかなり詳しい方で、 そのキムチも大阪も南の方の韓国食材店でわざわざ買いに行ったものだそうです。
それを受け取って帰ろうと思っていたのですが、まぁあがりなさいとのことで、店の奥へお邪魔しました。 そこからずっとお話をしていたのですが、気が付くと二時間経っていました。
かなり博識な人で、若い頃にも色々な国を放浪して、学生闘争の最後の辺りの世代で、 語る事も嫌いではなく、何より人間が好きだとの事で、色んな事を言われました。 その人はお酒を飲みながらだったので話がとび過ぎて時々何言ってるのか解らなくなった事もありましたが、 世代間の温度差も含めて、まぁまぁためになったとおもいます。
ただ、その世代の特徴なのか、言葉で人がどうにかなると信じている感じはありました。 もちろん、言霊という言葉もあるくらいですし、影響は大きいのですが、 とはいえ、色々な深い話を聞かされても、受け取る側との共通の言葉が少なければ なかなか通じる事もありません。 あとで考えてみれば、話のテーマみたいなものは一貫してはいるのですが、 どうにも知識というか、そういうものに頼っている感じがしました。 知識を深め、一つの事柄をより深く認識するのもいいのですが、絶対的な評価尺度があり得ない限り、 それが真理かどうかなどは信じる信じないの問題にしかならないような気がします。 だから、その方の話の中でも、知識による裏付けが多々見えました。 でも、例えどんな知識がある人でも、死ぬ時の満足感にその知識の多少が関わっているようには思えません。
その方の姿勢も思想も、その時のぼくに対して言われた話にも、 受け取るべきものは沢山有ると思います。 全てを受け取ろうとも、受け取れるとも思っていませんが、感じた反論(言ってない、このへんヘタレ)も含めて、 面白い時間だったんだろうなと思います。 眠かったけど。
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